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カテゴリ:★☆Jaguarの国際医療体験談☆★
えっと、ほんのちょっとだけなんですけど、写真が送られてきたので紹介していこうと思います。今回は中央アフリカ共和国の首都バンギの市内(他の地区にすると裕福なほうです。)と診察が終わった後に手伝っていた食料配布、給食サービス、それと訪問治療をしたときの写真が3枚だけ入っていたので紹介します。ちなみにamis d'afrique(アフリカ友の会。情熱大陸を良く見ている人は知ってるかもしれませんね☆)ではほとんど診察室にいたんですが、そのときの写真は何故か送られてきませんでした^^; その診察室にいたときの写真も含め、イスラム教徒街や地方の村での啓発教育、かわいい子供たち、本当にシビアなエイズ患者の訪問治療、自立支援、その他もろもろ見てもらいたいものはいっぱいあるのですが、写真が送られてきて『中央アフリカ共和国 その二』があることに期待しましょう☆
バンギ市内 これは中央アフリカ共和国の首都バンギにあるamis d'afriqueの前を通ってる道です。ここは結構大きな市場になっていて午前中からたくさんの人が集まります。 これはお店の一つ。女の人の前にあるのはとうもろこしで、左側にあるのはマニョックみたいですね。マニョックはイモみたいな根類から作られるもので、地元の人の話によると腹持ちがいいとのことですが、かなりのニオイがします。 「でたっ!」と思った人、正解です。これはイモムシですが、中央アフリカ共和国の人たちの間では重要な蛋白源(肉やミルクは高すぎて買える人が少ない)です。ちなみに自分は食べてません。 この溝は一番上に載せた写真に出てた道と裏通りにある住宅/市場の間にあるものです。もちろん流す水なんかありませんが、魚や肉をさばいたり、野菜のくずなんかもそこに捨ててしまうので、ものすごく衛生状態は悪くなっています。 ちょびっとアップ。 食料配布 これは配布するうちの一部です。手前が油で、向こう側にあるのは小麦粉だったと思います。 うっくらせっと。この袋たちは一つ50kgでした。ちなみに袋の上に書いてあるWFPはWorld Food Programかなんかの略だと思います。 袋の糸を解いて開封していきます。ちなみに手前にいるのはパトリックといって、18か19?にして子供が二人いるお父さんです。怠慢なガキ大将でしたが、アフリカから帰るときには片言英語で「tomorrow, kengo, fly, me, patric...」と言って泣くしぐさをしてくれました。今回は幼児のころから親代わりの徳永先生(amis d'afrique代表)も一時帰国ということだったので、冗談じゃなく本当に泣きそうだったのが「素直でいいなー」と思いました。 こんな具合に載せて、小麦粉は5kgくらい、砂糖はちっちゃいカップで1杯、油は400ccくらい、コーンは1kgくらいずつあげます。 食料配布の日になると朝からこんな列がずらっとできます。この食料をもらえるのはamis d'afriqueのカルテをもってるAIDS患者だけになっています。診察室がこの奥の方にあったのでいつもこの人だかりの前を歩いて行ってました。 これは診察を終えて手伝ってたときの写真です。食料をもらいにくる人の数も半端じゃない上に小さい小屋みたいなところでするので、すぐに真っ白になるし、脱水状態になります。ある日、水が飲みたくても飲めない(生水厳禁)くて、それでも人が次から次へと来るのでやめるにやめられず、帰った後ひどいことになりました。汗 給食サービス amis d'afriqueでは栄養失調児と超栄養失調児に分けて給食サービスを行っています。栄養失調児の給食には米、大豆、とうもろこし、砂糖、ピーナッツバターなどが入っていて、カルピスウォーターみたいな色をしてるお湯みないな感じでした。超栄養失調児にはオイルサーディン(いわし?)とクロレラを混ぜたものを配給しています。 栄養失調の赤ちゃんと母親です。赤ちゃんはちょっと低蛋白症が出てるみたいで表情がありませんね。ぼうしをかぶっているのでわかりませんが、低蛋白の子は髪を見ると赤みを帯びてふにゃとしている(アフリカン特有の黒くてごわっとしている髪とは違うものになります)ので良くわかります。 訪問治療 3枚しか送られてこなかったうちの貴重な1枚。このおうちでは、結核を併発しているエイズ末期の女性を診ました。下痢もひどく、極度の脱水状態だったので抗生剤を足した点滴を夕方までかけて2本いれましたが、タンなどもベッドの下にはき捨ててあり、結核が広まる現場を見た気がしました。ナースがほとんど見えない血管を探し出して点滴をしている間、俺はずっとその子の手を握ってしっかりと目を見てあげることしかできませんでした。訪問治療先では写真のように手洗いのための水と石鹸を用意してくれますが、このときの自分の心の中は、何もできない自分とあまりのエイズという病気の難しさ(経済や文化、地域性も含めて)にただどんよりとしているだけでした。左の人はドクター。 道なき道を行きます。正直、こういうところを歩いているときは前の患者さんたちのことで心が締め付けられる思いでいっぱいです。だけど、時間は次の患者さんのところに行くまでの猶予しかありません。次の患者さんは前の患者さんと関係なく、医療側としては元気を与えれる状態で顔を合わせれなくてはいけません。 エイズ患者の自宅診察です。この人は実はamis d'afriqueの職員さんで、自宅診察をしてきた人のなかでは一番軽症だし、裕福なおうちでした。しかし、写真でもわかるように寝るのは地面にござみたいなものを敷いただけのところです。右奥が患者さん、白衣の人がドクター、左にいるのが徳永先生、右手前が自分です。 と、まだこれだけしか写真をもらってないのですが、もらえたとき随時に更新していきたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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