転落の日から自分は・・・
「格差社会」の到来を迎えて、自分として心の準備をしておかなければならない。今の自分の立場を冷静に考えると、どう考えても両親のような「中流階級」の生活を死ぬまで送れるとは思えない。一度でも転落の日を迎えると、そこに待つものは知的にも経済的にも貧困を余儀なくされる灰色の日々だ。 もはやあらかじめ「転落のそれから」を思い描く必要にも迫られていると言っていい。だから消費行動は防衛一色、毎月の給与は血液と同じと観念せねばならない。海外旅行などと論外、娯楽はホームページ作成と投資と音楽に溺れるだけで十分、貧乏人がいかにそれらしく生きるかを模索する今日このごろである。なぜそんなことを考えるに至ったか、日本はまだ「格差社会」に対する準備が出来ていないからだ。欧米のように、階層によって読む新聞も娯楽も違う社会では、各階層の人間はその範囲内で何もかも収まるように出来ている。日本人の多くは、自分はまだ中流であるという幻想を持ち続けている訳で、その行き着く先は様々な葛藤の連鎖との闘いであるに違いない。 そもそもなぜ資格試験に興味を持って取り組むのか、実は何か前向きな目標がある訳でもなく、知的教養に遅れを取ることへの恐怖、つまり恐怖が支配しているだけと言っていい。さらに知的教養を失えば投資活動もままならない訳で、さらに生活は窮乏する。FP技能士などと、底辺である我々にこそ必須の資格と言っていい。 どんなに絶望的でも、せめて結婚願望は捨てないように気を配っている。結婚生活とは我慢大会そのものであるはずで、時代がさらに何もかも困難にさせるのは薄々分かってはいる。しかし、人間の歴史のほとんどが貧困との闘いであったことを考えると、なぜ人類がここまで存続してきたのかをよく考えなければならない。 そして今日も何かの勉強に取り組もうとする。気持ちを奮い立たせるために、何か音楽を聴こうとする。平原綾香では気持ちは一向に高ぶらず、仕方なく80年代の音楽に助けを求める。日本人が元気だった80年代、自分はまだ小学生であり別にノスタルジーの持ちようもないのだが、あの時代の文化を借りないと元気も出ないというのは全く問題と言えようか。平原綾香/The Voice【送料無料商品】希望格差社会 「負け組」の絶望感が日本を引き裂く