映画「戦争と人間(日活)」から考える日中戦争
五味川順平を持ち出すなどと、「古いなぁ」と指摘されそうであるが、中国の反日暴動を報道等で見聞きしつつ、そもそも満州事変以後の日中の戦争とは何だったのかを考えるとき、「映画:戦争と人間」はいろいろな示唆を与えてくれる。 この映画「戦争と人間」は、五味川小説を映画化したもので、日活史上最大規模、あるいは日本映画史上空前絶後のスケールである。あの石原裕次郎でさえ「ちょい役」で、当時の大物俳優はほとんど総出演していることからでも分かる。もっとも娯楽作品としても十分楽しめる訳だ。この映画で描かれている日中戦争前夜の日本国内は、アメリカ発の世界恐慌によって空前の不景気に陥っているありさまだ。その当時の不景気というものは、もう想像を絶するものだ。東北地方の農村では、若い娘さんが奉公に出されたり人身売買を強要される。都市部では労働争議が頻発し、公安警察は「労働者階級」に少しでも同情的な言動を行っただけで「アカ」とみなして逮捕・拘禁しようとする。あらゆる混乱から、もはや中国へ進出しなければ食ってもいけないという状況に、財閥の思惑と軍部の思惑が一致し、あらゆる策謀が繰り広げられていくのだ。 日本の一般国民が、もう目を覆いたくなる貧困に陥っている点、貧困からくる無教養が、時の政府の方針を無批判に受け入れさせている点(国民の選挙でヒトラーが政権を獲得したことと大きな隔たりを感じる)、中国国内がほぼ無政府状態で、在外邦人の権益を守るためには軍隊を駐留させなければならなかった点等など、複雑に絡み合う各種の要因が悲惨な日中戦争を生んだことが分かってくる。やっかいなのは、様々な要因があるだけにその一つの要因を無視したり軽視したりすれば、歴史の評価が全く違ってくることだ。 ちなみに五味川は、「歴史は今の自分たちを反映する」とも述べている。歴史とは、自己を正当化するための手段としての科学であるらしい。何か変な気もするが・・・。あまりにも長い映画なので、見終わるまでに「何年もかかった」ぐらい。