最近の阪神タイガースの選手達に不足しているものは何だろか
わたしの家族・親戚で 「東京がなんぼのもんや」 式の大阪人は数多い。東京人の好かんところ=気取ってるから、だそうで、「寿司は食わしてやる、落語は聞かせてやる、またそういうの持ち上げるアホがいる」と辛辣だ。大阪のお寿司屋さんなら、大将がボケの一つカマしてくれるかもしれない。お客さんに突っ込んでもらう余地をちゃんと残しておいてくれる、だから心地いい~これは東京には見られないサービスではないだろうか。 例えば、大阪日本橋の国立文楽劇場に行ったときのことだが、すぐ近くの喫茶店で時間つぶしをした。店先に、洒落た小便小僧が建っているのだが、お小水を受けているのは、何とゴミ収集で使うポリバケツ・・・とにかくお客さんに突っ込んでもらう余地をちゃんと持っているのが大阪のええとこ、なのである。水を循環させるホースをビニールテープで固定してある様子を見ながら、物理学のお勉強までさせていただいて、また一つ賢くなれた訳だし・・・。かつての阪神タイガースも、突っ込みを入れる余地を量産してくれていたかつての・・・ということは、今は残念ながらそうとは思えないからだ。なるほど、最近の虎戦士は、みんな洗練されている。アスリート然としてるんです。金本さんとか、珍プレー大賞を取るタイプじゃない。惜しまれて引退した赤星さんは、現役当時から車椅子寄贈活動に取り組むなど、野球人以前に社会人としても非の打ち所が無い。みんな素晴らしい人達なのだが・・何か物足りないところがある・・・つまり彼らはあまり生意気ではなく、従って突っ込みを入れる余地に乏しいことだ。かつて阪神タイガースに川藤という選手がいた。長打と思いきや、脚が遅すぎてセカンドタッチアウト、という伝説のプレーをはじめ、突っ込みを入れたくなるエピソードに事欠かない。浪速の春団治とも言われた川藤さん、野球中継にも度々登場し、「解説だれや?川藤やな、アホなこと言うてんなぁ」と嘆くのも束の間、突っ込みを入れるのに忙しくなって、結局最後までお付き合いしてしまうのである。過去の阪神には、新庄、岡田前監督、田淵、江本(敬称略)等など、個性的な選手が多かった。彼らが時折見せる、常軌を逸した言動に 「えーかげんにせぇ」 と突っ込みながらも 「東京がなんぼのもんや的な反骨精神をくすぐる小気味よさ」 がミックスジュースのように沸いてくる・・・ファンにとって、これらは適度な栄養源になったのではないだろうか。ユーモアを理解する大らかな「阪神ファン」が、世の中を明るくする? スノーボード国母選手に対する異様なバッシングが起きた件について、精神科医:斎藤環氏は、 「態度は人並みであれ、ただし成績では突出せよ、などと無茶なことを平気で言う世間=マスコミ」 について分析している。この事件はもちろん、 「突っ込み」 の次元を超えている。相手の 「ボケ」 を楽しむ心の余裕が無いからだ。 これほどまでに社会が成熟し、価値観の多様化が進んだと思いきや、日々強まる 「同調圧力」・・・私たちは、無言のままスポーツ選手や若虎達を追い詰めていることは無いのか、何だか心配になってくる。 スポーツの天才に、常軌を逸した部分があるのは、むしろ当然なのに、何者かに臆しながら、すまし顔の小市民を演じたところで何になろう。せいぜい、権威を笠に着た威圧感が滲み出るくらいではないか。そういう気取った態度と相反するのが阪神ファンであるのは間違いない。若虎達は川藤に学べ!阪神ファンは常にユーモアの心を!社会を明るく楽しくするヒントはここにあり?