映画「風の谷のナウシカ」~もう30年も経ったのか~(2)
映画版「風の谷のナウシカ」のラストはまことに感動的であった。核兵器を彷彿とさせる巨神兵はぶさまに朽ち果て、ナウシカ姫の愛とやさしさが風の谷の人々を見事に救った。最後に愛は勝つみたいなファンタジーと言ってしまえば終わりだが、見事な締めくくりだったと思う。映画館で、小学校の体育館で、そしてテレビの前で、多くの日本人が涙した。 巨神兵=核兵器は悪だ、トルメキア帝国=戦争は悪だ、たとえ醜い虫たちでも同じ生き物なんだ、自然と共生しよう!自然を守ろう! 映画がもたらした、これらのメッセージは、やっぱりファンタジーだったのかもしれない。冷戦が終わり、核戦争の恐怖は次第に人々の間から忘れ去られていったが、緊張の糸が切れた後に待っていたのは、バブル崩壊に象徴される日本社会の停滞であり、ユーゴ内戦に象徴される、グダグダした戦争があちこちで続く、不安定な時代の到来だった。理想を語り、大きな物語を語る以前に、目の前の現実はあまりにもリアル過ぎた。 風の谷のナウシカは、あの映画版公開から10年後の1994年に至るまで、漫画版として書き続けられた。拙者は、漫画版がそれからも描き続けられていたことも、しばらく知らないでいた。ところが何かのきっかけで漫画版のストーリーを知るに及んで、愕然としたことが多々ある。 例えば巨神兵。映画版では、世界を破壊するだけの吐き気を催すような生物兵器であったが、漫画版では、巨神兵の真の役目は「裁定者」。人類社会の荒廃を正すためには一度すべてを無に帰すべく、世界破壊が選択された、それが火の七日間だったという。なんか宗教じみた話である。しかも、ナウシカ自身が巨神兵を動かし戦う場面すら存在するとは2度驚いた・・・。 腐海も、旧世界の人類が作った人工的浄化装置で、そもそもナウシカを始め火の7日間後に生まれた人類も実は人工生命体であり、1000年前の人達は、世界が浄化されるまで眠りについているんだと。えらい飛躍した話になったな。 1984年当時なら、まずこんな飛躍した話についていける人はいないだろう。いや、拙者は30年経ってもちょっとついていけない。腐海だの蟲だの、これまであり得なかった生命体が僅か千年のうちに地球を埋め尽くす不自然さは感じたが、映画版では腐海の生い立ちも漠然としていて、それがかえって気色悪くて味わい深かった。人間が作ったもの・・・と言われると、「そこまで頭良かったら、もっとましなもん作るはずではないか」という感想しか湧いてこない。 ナウシカを始め、地球上の人類も人工生命体だったとなると、ご愁傷様というか、さらに感情移入が違ったものになる。なんかもう、オンラインゲームとかの○○伝説だの○○戦記だの、ごく一部のコアなファンだけがのめり込むようなストーリーに思えた。映画版が三鷹ジブリの森的とすれば、漫画版はどちらかというと秋葉原的という匂いがする。 アマゾンのレビューでこんなことを書く人がいた。アニメ版を漫画版の一部なんだ、アニメは漫画版の子供向けバージョンで2時間におさめるため内容がないとかアニメ版しか知らない人はナウシカを知らないとか言ってほしくないな漫画版は連載中の作者の思想の変遷や、ナウシカというフィクションの少女を好きになってしまったオタクに向けた反感が作品の方向性を変えたように思われるのです。ロックバンドが自身の名声を高めたいがゆえ従来のファンが愛する路線を捨て批評家受けを狙った作品のようでもありますコンサートで初期の曲を期待してるファンをミーハーとか質の低い連中と蔑視するのですそしてその複雑になった内容を理解できる俺は頭がイイと主張したい人たちがアニメ版を好きな人を下に見る作品に思われるのです くーっ、味わい深い!