一目散に逃げた船長と、船首で「天皇陛下万歳」を叫んだ船長~確かに時代は違うけど
韓国・珍島付近で起きた旅客船セウォル号の沈没事故~インターネットでは、船長が下着姿で海洋警察に保護される場面がこれでもか、と出て来る。何でも乗客の救助を放棄して逃げたとかで、韓国社会から袋叩きに遭っているらしい。あそこまで船が傾いたら、もはや打つ手は無いはずであり、自分の身を守るのも精一杯だったろう。だが、船長だからこそ逃げる術を理解していた訳で、乗客たちはどうして良いのか分からぬまま、大勢が犠牲となった。 船といえば、今年見たテレビで忘れられない番組がある。NHK‐ETV特集「戦時徴用船~知られざる民間商船の悲劇~」だ。太平洋戦争当時、旧大阪商船の嘱託画家だった大久保一郎画伯が、撃沈された商船の生存者の証言をもとに、沈みゆく自社の商船や乗組員達の姿を描いていくという話だ。 太平洋戦争では、多くの民間商船とその乗組員達が戦場に動員された。戦争のために作られる軍艦と違い、民間商船は装備も貧弱であり、優勢な連合国軍の攻撃を前に次々と撃沈されていく。乗組員はもちろん丸腰のままであり、多くの人が犠牲となった。 大久保画伯は、船の専門知識がある訳でもないため、生存者の証言だけを頼りに絵を描いていく訳だが、その一枚一枚があまりにも生々しい。 ある絵は、満員になった救命いかだが描かれていた。女性客をいかだに乗せるために、海に入る若い船員の姿も認められる。証言によると、彼は「私は大丈夫です!」と笑顔を振りまいてみせたが、後に救助艇が駆け付けた時には、あの若い船員の姿はなかったという。 またある絵は、沈みゆく商船の船首に立ち、「天皇陛下万歳」を叫ぶ船長の姿が描かれていた。それは決して美化されたものではなく、生存者が見た船長の最期の姿を、証言のとおりにそのまま描いたのだという。この船長は、なにも操船を誤った訳でもない。敵艦の攻撃を一方的に受けた、どうしようもない状況下にあっただけだ。 日本海軍の艦長なら、艦と運命を共にすべき立場であっただろうが、民間商船の船長でさえ、そこまでの決意で乗船したのである。これが、「韓国人が死ぬほど嫌う旭日旗の旗の元にあった、日本の船乗り達の生き様と死に様」である。韓国社会は、「下着姿で逃げた船長」より立派な人物が、旭日旗の旗の元に存在したことを認めることは永久に無いであろうが・・・。 ちなみに大阪商船という会社は既に存在せず、商船三井が業務を引き継いで現在に至っている。その商船三井が、戦後補償をめぐる中国の損害賠償訴訟で、船舶の差し押さえを受けた問題が注目された。会社側も、軍部による徴用で大きな損害を受けた訳だが、NHKの番組によると、日本政府からの補償は全く支払われなかったという。島国である日本は、船が無くては経済が成り立たないが、その船舶が今になっても「標的」となり、「犠牲」とされるとは・・・。