災いの元はオーストリア、大損こいたのはプロイセン
本日6月28日、第一次世界大戦の発端となったサラエボ事件から100年を迎えた。オーストリアの皇太子がセルビア人民族主義者に射殺されたのをきっかけに、オーストリアがセルビアに宣戦布告、セルビアを後押しするロシア、オーストリアを後押しするドイツ、ロシアと協商関係の英仏が瞬く間に戦争状態に突入した。欧州では様々な関連行事が行われているらしく、あの戦争はいったい何だったのか、あらゆる方角から再検証なりが行われるのだろう。 皇太子を射殺されたオーストリアの怒りはもっともだが、戦争を思いとどまってくれたら、こんなことにはならなかった。そもそも、オーストリアは戦争に強くない。さすが文化大国だけあって、軍楽隊の演奏は超一流で、皇帝は華やかな軍装で兵士達が行進するのを眺めていれば満足していたらしい。こんな訳で、ドイツ統一戦争ではプロイセン軍に散々蹴散らされる体たらく・・・その彼らが戦争を始める気になったのは、ドイツ帝国の支援を当てにしていたからだ。 大変だったのはドイツだ。自軍の倍以上ある連合国軍相手に互角に戦ったが、最後は敗れた。敗戦の結果、旧プロイセン領の多くを失うこととなる。いったい、ドイツは何の為に戦争をしたんだか・・・。 その約20年後、ナチスドイツは旧プロイセン領の失地回復を狙ってポーランド領に侵攻、第二次世界大戦が始まった。そして結局のところ彼らは敗れ、旧プロイセン領のほとんどを奪われることになる。ドイツ軍の最高司令官はヒトラー総統。彼はオーストリアの田舎町出身・・・。伝統を誇ったプロイセン貴族達は、たかがオーストリア出身の元伍長に全てを潰されたのである。 ずぅーっと昔のドイツ統一戦争ではどうか。ドイツ人の多くは、オーストリアが統一国家の国造りに協力してくれればと思っていた訳だが、オーストリアは承知せず、プロイセン王国は統一国家の成立に向けて血のにじむ苦労を強いられた。 プロイセンは優秀な軍人を数多く輩出し、ドイツ統一以後、ドイツ軍の中核となった。プロイセン貴族の中には、新興勢力ナチスに嫌悪を示した者も数多い。その彼らが生真面目に戦えば戦うほど、自分たちの領地が奪われるという不運に見舞われることになる。 そう、災いの元はオーストリアにあるのだ。でも最後に悪者になったのは「プロイセン=軍国主義」・・・この奇妙な歴史認識、なんかおかしくねーか?