結婚写真を作る!(レトロに大正時代風に?)
いよいよ寫眞撮影当日となった。スタヂオからの案内によると、新婦殿は1時間早く来てくださいとのこと。全くその通りだと思うので、嫁さんは1時間早く家を出て行った。こっちは髭を剃るくらいなもんで、身支度なんぞ五分もかからない。まぁ昨日は散髪ぐらいは行ったよ(QBハウス)。男はなぁ、バリカンでがぁーっと、是に尽きる。舞い散る桜の花弁で掃除が大変極まりない我がアパートを1時間遅れで出発。国電に乗って吉祥寺を降り、スタヂオに到着したら、スタッフさんが拙者の衣装を用意してくれていた。もちろん、男の着るものなんて着替えに五分もかからない。嫁さんの支度が終わるのを待っていたが、その間どうしていいか分からず、貸し衣装を着たままボーッと佇んでいるのは恐ろしく間が抜けている。いよいよ撮影!これね、どう表現していいか分からない。と云うのは、プロのカメラマンに写された経験がないもんだから、目が完全に泳いでいて、(@@)こんな感じなのだ。とにかく、恥づかしくってたまらない。撮影のセットは、古びた壁に古びたチェストと洋書が置かれたセット。セピア色に色あせた作品を勝手に妄想する。寫眞と云う技術が生まれて以来、より鮮明に写るよう努力が重ねられ、多くの人がそれを望んでいた訳だが、それを「余計なお世話」と考えてしまうこともある。多少、あいまいな表現の方がありがたいと思うこともある。大正時代あたりの、爆発するようなフラッシュで「ドン!」と撮った寫眞の方が、作品として味があるのではないか?撮影終了!出来上がり結果をパソコンで見せられる。スタッフさんから「いいのを選んでくださゐ」と云われて、実は二人で途方に暮れた。表情がいいけどポーズが間が抜けていたり、ポーズはいいけど顔が怖かったり、最後は消去法的に選ばざるを得ないところに哀愁を感じる。云って見ればそれは当たり前か。俺たちはモデルじゃない。これまで楽ありゃ苦もある人生を刻んできた顔そのものだし、被写体として相応しい表情やポーズをすぐにとれる訳じゃない。数週間して完成品が届く。何だか本当に色褪せた作品に仕上がり、或る意味ホッとする。親戚に送る葉書用の切手を買いに郵便局へ。慶事切手を買うのも一生に一度くらいだろうか。富士通のワープロで宛名を印刷し、郵送へ出す。職場の女の人がね、寫眞見せろと煩い。実家の向かいの奥さんも、寫眞見せろと煩いらしい。なんで女の人は、こーゆうの見たがるんでしょうかねえ。