ミニマリスト志向で→アパートの和室は「ただの殺風景に・・」
実家から札幌へ出て数年の一人暮らしを経験したが、その時のアパートは「収納場所が6か所もあるから家具が要らない」と言っても過言では無かった。デザイナーズマンションのたぐいだが、地方だから家賃も安く済んだのだ。ここで「ホテルで寝起きするような暮らし」も悪くないと思った。 どうせ数年もすれば転勤するんだし、モノは最小限にして身軽になっておこう!こうした理由で拙者もミニマリスト的な志向が定着していった。一例を挙げると、音楽をフラッシュメモリに貯めるのが当たり前になり、新たにCDを買うこともほとんどなくなり、MDを使うこともなくなった。鉄道模型を買ってもレンタルレイアウトで走らせる方が楽しいことも学んだ。趣味の変化もミニマム化を後押ししたと思う。 それから・・・東京へ転勤となり、その後に新婚生活が始まった。東京と言ってもタマ地方だが、一丁前に家賃は高い。だから玄関ナシの「ドア開けたらいらっしゃいませ」的なアパート~それなら発想を変えてお店のような自宅Bar風に~「ワイマール」時代のドイツを勝手にイメージしてみた。→自宅Barのネタはこちらでもどうぞ・・・ 帝政ドイツの三色旗(赤・白・黒)に倣い、生活物資はこの3色でまとめるというルールを設定!なので緑のスポンジや黄色のサランラップの箱などが犯罪的に浮いて見える(笑)。 リビングに設置した安物のカーテン式クローゼットも、自分の好きなカーテンを付けられる製品を選ぶ。窓のカーテンと揃えることで統一感が出せるのだ。ここでも(赤・白・黒)の色合いが基本。和室は敢えて「パーテーション以外、何も置かない!」を徹底。そのためには、持ち物の総量規制が必要となる。ちなみに最近やったことは、「西部警察の番組で爆破された広電の模型を買うために、長らく作らないまま放置していたドイツ海軍戦艦ドイッチュラントのプラモをハードオフで売却した」ということ(笑)。これで収納スペースを確保する。 なぜ和室に何も置かないか・・・それは「布団敷いて寝るから」・・・思い切り布団を敷いて、どこにもブチ当たらないのも一つの贅沢だと思う。旅館みたいにね。でも一つ悩みがあった。それは、「あまりにも殺風景」なこと。 床の間とかあれば絵になるだろうが、なにせアパートの和室。モノが無いと殺風景なこと甚だしい。ミニマリスト的な考え方は、取捨選択の決断力を養ったりする上では有効だと思うが、見た目が殺風景過ぎると何かが欲しくなる。ということで壁にウォールステッカーでも貼ろうということになった。 でもやっぱり殺風景・・・禅の美意識など何も伝わってこない。無という空間も、功罪半ばということか。ところが、夜になって二人分の布団を敷けば畳の部屋は十分埋まり、何だかちょっと幸せな気分に。この微妙さは何と表現していいか分からないが、要はミニマリスト志向にも限界があるということだ。布団も処分して寝袋でいいや、まで突き進んだら、ある種の心の病だろう。汚部屋は論外だが極端なミニマリストも困りもの~バランス感覚をどう保って行くかは自分の問題として常に模索して行かねばならない・・・。