ザッハトルテ自家製作への道~今回は「ただのチョコレートケーキ」になってもうた
年末年始の課題・・・個人的には伸井太一先生編著「第二帝国」を読むことにしていた。今から約100年前に崩壊した「帝政ドイツ」の政治、軍事、日常生活、科学技術のあれこれ、を記した本で、一例を挙げれば「クノールのインスタントスープも帝政ドイツで生まれたんだよ」「帝政期のザクセンで発明されたのはブラジャー、コーヒーフィルター、チューブ入り歯磨き粉・・・」このような帝政ドイツの小ネタ満載で、十分楽しませていただいた。そもそも自宅のダイニングに帝政ドイツ軍旗をどかーんと掲揚しているほどの帝政ドイツヲタなもんで・・・。年末の買い出しで、嫁さんは森永モントンと板チョコ2枚+生クリームを買って来た。この材料でピンとくる。もしかしてザッハトルテ作れってこと?1月2日は両親宅へ挨拶に行くので、じゃあその時に完成したの持ってく、ということになった。元旦はケーキ製作という初仕事が待っている。年末はBSで「戦争と平和(オードリーが主役のやつ)」をひたすら見続けた。いよいよプロイセンがナポレオンをやっつける重要なきっかけとなったことを噛みしめながら鑑賞したのだ。明けて正月・・・新年の宴はBGMに「ニューイヤーコンサート」のCDを聴く。指揮はジョルジュ・プレートル~フランス人はやっぱりフランスが一番と思っているのか、初っ端からいきなり「ナポレオン行進曲」だもんなぁ(笑)。ところで、今年のお節は少しばかり豪華に。拙者の要望は蒲鉾をやめてテリーヌに、昆布なんか要らないからローストビーフ入れて欲しい、お雑煮の2杯目はクノールコーンポタージュとのコラボで! ナポレオンがロシア遠征に失敗してフランスに逃げ帰った後、欧州全体が大戦争になる危機を憂えて、オーストリア外相メッテルニヒがナポレオンに助け舟を出そうとする。ところがナポレオンが諸国に何らかの譲歩をする気がないことが分かり、とうとうオーストリアも対仏同盟に参加し、フランスの運命はここに決する。このヘンの展開は少し感慨深いものがある・・・なんて話になって、おやまあメッテルニヒと言えばザッハトルテの事実上の生みの親ではないか、いよいよ作製に入らねば!と台所に立つ。普通のケーキと大違い~スポンジの凹凸に悩ませられる先月のクリスマスケーキはこれまでに無い出来だった。でもザッハトルテは初めてなので今回は練習を兼ねてだ。グレーテルのかまど、森永のホームページ、いろんな媒体を調べたのだが、みんな言ってることが違うから、どれを信じていいのやら。何やら、森永の板チョコは自家製造から100年になるんだそうで、100年前に起きた様々な出来事に思いを馳せつつ、心して作らなければならないと自らを奮い立たせる。スポンジケーキは時間短縮で森永モントンを使ったから、まぁよく出来たが、微妙にデコボコが出来てしまった。普通のケーキなら、ナッペの作業で平らにすればいいのだが、上からチョコを流しかけるという行程は全く勝手が違うことを思い知らされることになる。レシピでは、ジャムを煮詰めて糖衣を作ることになっているが、糖衣が全体を覆うに至らず、早くも誤算が生じた。チョコを生クリームと共に溶かして上から流しかけるところが作業のハイライトだが、先述のようにスポンジのデコボコがそのままデコボコな表面になってしまい、これまでやってたようなナッペで何回か補正・・・という訳にもいかない。これは難しいぞー!こういう時の誤魔化しで、デコボコが著しい側面はココアパウダーで逆の意味の質感を出して、さらに余った生クリームでホイップの飾りでもつけておいた。まるでカラーリングが阪急電車である。皇妃エリザベートが愛した、あのザッハトルテを作りました!とはとても言えない結末になったが、とりあえずこれを両親に持って行くことになった。気になるのは味の方だが、不格好な割には味は美味いという評価をいただく。味なんて格好が良くても悪くても一緒なのであるが・・・。ただ、デーメルのザッハトルテの「あの独特の味」にはほど遠い、ということで、そんなん当たり前やろ!と納得するしかない。また一つ大きな課題が出来たか・・・。