東京→鹿児島の赴任生活が始まる~市電、タイヨー、天文館など、ディープなネタが続々と
新幹線・鹿児島中央駅を降りた。何もかも未知の世界故、緊張の度合いが半端無い。不動産屋に向かうべく、まずは市電に乗ったが、早くも「池田泉州銀行STACIA・PITAPA」が使えないことが判明、じゃらじゃらと小銭を両替することになった。市電は高頻度に運転されていて、街の顔として君臨しているのが何とも頼もしい。市電とかごしまシティバス不動産屋で鍵を受領して、新居のアパートへ向かったが、どうも足元が不自然だ。路面は常に砂っぽいのだ。もしかして火山灰?アパートまでの道のりは、雑居ビルがひしめく雑多な街で、はっきり言って死んでいる。何だか寂しい感じだが、何もかも決まった以上、与えられた条件で生活するしか無い。引越荷物を受領し、出来る範囲の片付けをやっていたら、すぐに夕方になってしまった。とりあえず、夕食を買いに外へ出たら、何だか景色が変わっている。煌びやかなネオンが灯り、人通りも増え、微妙に活気がある。代行業者のクルマがあちこちに停車している。明らかに今からご出勤とみられる、着物姿のご婦人とか。そうか、ここは夜の街だったのか。どうも我々は、南九州最大の歓楽街「天文館」にほど近い物件を借りたらしいのだ。タイヨー銀座店、というスーパーがあった。目を引いたのは営業時間。深夜3時まで営業するそうだ。さすが夜の街だ。その店に入ったら、寒いには恐れ入った。まるで店全体がそのまま品物の冷凍庫みたいな感じ。パートのおばちゃんは、よく凍えないで生きていられるもんだ。店内は珍妙なお祭り風の有線が「ジャンジャガジャン、ジャンジャガジャン!」と流れていたが、急に「タイヨー、サンサンサン!」という、四〇年くらい前に録音したみたいなテーマソングに変わった。何ともディープなスーパーだ。とりあえず、家の中は最低限の衣食住だけ優先的に整理して、後は嫁さんに任せる。もう次の日には出勤せねばならないのだ。翌朝、突き抜けるような青空に響くのは、「ピーヒャララララ、ピーヒャララララ」という鳶の鳴き声。鳶が街中に住んでいるとは驚きだ。鹿児島スゲー。電線にとまっている鳶を間近に見た。日本人は鳶を一段低く見ているが、こう見ると、鳶の風貌は立派な猛禽類だ。そんな風景を眺めながら、藩邸まで歩く。東京の国電の、うんざりするような混雑からは、しばし解放されたって訳だ。でも、朝の市電はかなり混雑しているようだ。藩邸に着いてからも緊張の連続だった。まずは藩主に挨拶を申し上げ、ご家老にも挨拶を申し上げ、前任の藩士から仕事の引き継ぎを受けて、早くも頭が一杯だ。深夜の天文館界隈そんな頭一杯な状況が数週間続き、一区切り付いたところで藩内の懇親会が行われる。夜遅くの天文館は壮観だった。客引きの男達が辻々に立っていて、さらに呼び込みのお姉さん方も大勢いる。一体どこから湧いて来たのか、と不思議に思うほどの人出だ。閉口したのは、解散となっても方角が全く分からないこと。昼は城山が見えるから、おおよその位置関係が掴めたが、夜のテカテカと煌めくネオンの樹海にいると、自分の家の方向が分からない。他の藩士の方に、電車通りまでの行き方を教えてもらい、ようやく脱出できた(笑)。どんなに遅くなっても終電を気にする必要もない。天文館を過ぎて、数分も歩けば家に着いてしまうからだ(笑)。桜島から噴煙がもくもくと上がる休日が少し楽しみだ。片付けも一段落して、嫁さんと海岸線の方へ行ってみた。家からは、時々汽船の警笛が聞こえる。数分も歩くと港へ出られるのだ。港内は、鹿児島県内の離島へ向かうとみられる汽船が停泊していた。しかも桜島が見えた!確かに、頂上からは噴煙がもくもくと上がっている。この時は、わーい桜島だーと喜んでいたが、火山灰との闘いに明け暮れることになるのは、もう少し先の話だ。続きは追ってまた書いていきます。