肥薩線~せめて吉松―人吉間だけでも先に復旧出来ないものかな
令和2年7月豪雨で球磨川が氾濫し、JR肥薩線が大きな被害を受けた。明治時代の米國製鉄橋が流されてしまい、旧鹿児島本線の遺構とも云うべき貴重な歴史遺産が消失してしまった。肥薩線は、「SL人吉」とか「やませみ・かわせみ」とか「いさぶろう・しんぺい」とか、三種類もの観光列車が走っていたので、何時か乗っておこうと思っていた。ところが、コロナ禍で観光どころではなくなってしまい、やっと落ち着いて来たので何時か訪ねようかと思っていた矢先の出来事なので本当にショックだ。特急「はやとの風」肥薩線は、隼人―吉松までの鹿児島県内区間は健在だから安心していたが、この区間を走る「はやとの風」が、9月下旬で休止すると云うから、8月最後の週末に急いで乗って来た。肥薩線の超田園地帯霧島アートの森湧水町は「その名のとおり湧水が出る」日豊本線は海岸沿いを道路と並走!世界遺産を展望室から覗き見したり・・南九州の秘境とも云うべき田園地帯を通り、栗野から霧島アートの森を訪ねる旅。築100年を超える駅舎を見学したり、プラットホームに米軍機の銃撃の跡を見たり、肥薩線の長い歴史を十二分に堪能することが出来た。此の旅の様子は、相模太郎ホームページに「ベストな写真」を掲載しています。(→詳しくはこちらから)「古き善き時代」を遺すことの難しさそして次の関心事と言えば、肥薩線は復旧出来るのか?と云う問題。旧鹿児島本線時代なら、政府は陸軍を総動員して復旧しようとしただろう。ところが現在の肥薩線は、典型的な閑散線区。しかも、明治時代の発展途上な技術で作られていたため、其のまま復旧することが難しいらしい(要は保安上よろしくない)。何となく「これは無理そうだな」と云う感じがするが、是では人吉駅やくま川鉄道が孤立してしまう。肥薩線の吉松から先、人吉までの復旧は可能なのだろうか。「幸せの鐘がある真幸駅」「肥薩線最高地点の矢岳駅」など、魅力あるスポットがあり、スイッチバックにループ線など、貴重な鉄道遺産が残っている。球磨川氾濫の被害もあまり無い区間だ。ところが、此の界隈は秘境の秘境の其のまた秘境。運休前の時刻表を見ても、通過する列車は片道たった三本だけ!生活路線としての機能は、ほとんど無い。ただし、人吉に直通する唯一の鉄道と云うことになれば、新たな需要も生まれるような気がするが、肝心の「はやとの風」が運休では、前途は多難なようだ。↑のサイトはこちらから・・