宝塚海軍航空隊(栗山良八郎著)を読む
大東亜戦争末期、夢の殿堂・宝塚大劇場は閉鎖され、海軍に接収された。ヅカファンの皆様方も、其のくらいは話で聞いたことがあるかも知れぬ。戦時中最後の公演となった「翼の決戦」では、閉鎖を惜しむファンの長い列が宝塚大橋まで延々と続いたそうだ。拙者が愛読している日本史便覧にも載っている。さて、閉鎖した後の宝塚大劇場では、一体どのようなことが起きていたのか、其れを詳細に綴ったのが「宝塚海軍航空隊」なのである。海軍航空隊と云えども、本書では空母はおろか、ゼロ戦すら出て来ない。宝塚には元々港も飛行場も無いのだから無理もないが。海軍当局は、此の大劇場を基地ではなく、教育機関として使った。集まったのは予科連=ある程度の学校を出た少年で飛行機乗りになりたい奴は集まれ!と煽られて志願した兵士達である。乙女達の夢の殿堂は、ある日を境に野郎だらけの汗臭い世界に一変したのである。図書館で見つけた超年季入った本毒毛虫め!覚えておれ!・・・私的制裁を繰り返すサディスティックな班長をハメようと結託する練習生、班長の腰巾着のような指導練習生を転隊直前にボコボコにリンチする練習生、是まで痛めつけられた鬱憤晴らしに後輩を殴り倒す練習生、予科連の日常は苛烈である。殴られても蹴られても、海軍に入って七つボタンを着たい!あわよくば士官に出世したい!そんな血気盛んな若者達が何百人も集まるのだから、そりゃろくな事が起きやしないが、本書では相次ぐ事件や揉め事を克明に描いて行く。もちろん、指導する側の下士官や将校の人間描写もリアルだ。下士官の日常生活ぶりから、当時の宝塚の街並みや、池田や新開地の遊郭の様子なんかも良く分かった。阪急社員をまんまと騙した俗悪な分隊長、彼に対してささやかな抵抗を試みるタカラジェンヌの挿話も、なかなか真に迫るものがあった。彼女は、分隊長に楯突いたことで死地へ赴くことになった学徒出身士官との茶席で、「必ず還って来て下さい」と自分の小指を鋏で傷つけ、滴る鮮血を士官の湯飲みに垂らすのであった。作中、最も胸が詰まるシーンである。将校と下士官と予科練生との関係、軍人と地域住民との関係、軍人とタカラジェンヌとの関係・・・其々が複雑な糸で絡み合い、戦局の悪化と共に其の糸が激しく絡まり合っては千切れて行く過程がまことに生々しい。「花のみち」の謎を解き明かす宝塚映画劇場・・・本書で初めて知ったコトバだが、接収された大劇場の近隣に、小規模ながら営業している舞台があったらしい。其処での出し物の様子が述べられていて、文字で書かれたモノをビジュアルに置き換えるのは読む側として苦労する訳だが、あれこれ想像を膨らませることが出来る愉しみを与えて呉れた。とにかく天津乙女の存在感は圧倒的だったことが記されている。伝説のジェンヌ様だ。戦局も破局を迎えようとしている時分だが、娯楽に飢える庶民が殺到し超満員であったことは驚きであった。そうだ、だからこそタカラヅカは戦火にも耐え、百年を超える伝統を繋いだのだ。威張り腐った帝国陸海軍の、何とまぁ脆いことか。幽霊兵=玉砕し損ねて死んだことになっている兵隊が、大劇場の舞台で巡検中の兵長とケンカになり、兵長をオーケストラピットに突き落として殺してしまうエピソードに、胸が震える気持ちになった。脚色なのか、真実なのか?もし真実であるならば、日々行われている舞台もまた、違った迫力をもって受け取ってしまいかねない。あゝ此処は日本の生々しい歴史の一舞台なのだと。そもそも、あの大劇場自体が戦争の大きな生き証人なのである。有名な「花のみち」の堤が、何故か途中で途切れている謎も解き明かして呉れた。其の陰には、一下士官の汗と怨念の日々があった。物語の主人公である。どうだろう、拙者は妄想癖が激しいもんだから、此の小説をタカラヅカの舞台で再現したらどうなるだろうと考えた。でも無理かなぁ。男ばかりの世界だから、娘役の出番が少な過ぎるか。予科連の若者達は、次々と特攻隊員として戦場に赴いていった。本書のコトバを借りれば、「乙女の園で死ぬための訓練を受け続けた」のである。忘れることは決して許されぬ、此の昭和秘史をぜひとも語り継いで欲しいものだ。