反核運動がロシアや中国・北朝鮮をかえって利するとしたら間抜けにも程がある
_今年もまた、広島・長崎の「原爆の日」がやって来た。毎年毎年、平和宣言やら核廃絶のメッセージやらが発せられるものの、一体何の役に立っているのかいよいよ疑問ばかりが募る。ロシアによる核の恫喝を見たまえ。広島や長崎の人々が何を訴えようが屁のカッパ、これが覇権主義国家の現実ではないか。 そもそも日本人に対して説教してどうする。人は、話を聞いてくれそうな善良な相手に対して大きな態度に出るが、本当に厄介な相手に対して見ぬフリをしたりお茶を濁そうとする。別に不思議でも何でも無い。拙者だってそうだ。元KGBだったプーチンは、人間のこうした弱さを知っている。それ故に、人の弱みに付け込み、あそこまで増長するに至った。気が付いたら、あれよあれよと云う間に核戦争が現実になりそうな気配だ。 日本やNATO諸国は、自由と民主主義の国だ。だから核兵器反対を訴えても逮捕される訳でもないし、政治家も話くらい聞いてくれるから、賛同する人間を増やすことも出来る。中国やロシアや北朝鮮はどうか。思想の自由も表現の自由も無い世界に反核運動など根付く訳が無い。ロシアや中国の諜報機関は、むしろ日本やNATO諸国で起きる反核運動を好ましく思っているかも知れない。そうやって声を上げさせれば、民主主義なのだから国の指導層は無視が出来なくなる。国防予算を増やせなくさせたり、基地建設を頓挫させたり出来れば万々歳ではないか。実際、旧ソ連のKGBが、西側諸国の反核運動を裏で煽っていたという事実がある。もちろん、プーチンはそれを知っているはずだし、どうやってアメリカやNATO諸国に怒りの矛先を向けさせるか熱心に研究しているのだろう。表現の自由があることに付け込んで、例えば「ヤフコメ」に自国に有利なコメントを投稿する工作活動などと、当たり前のように行われている。反核運動を指導する人々は、こうしたことをちゃんと認識しているのか。 そう、ロシアや中国や北朝鮮の一般国民を動かさなければ意味が無いのだ。彼らは当局の厳しい管理下にあり、核兵器廃絶の声を上げる以前の問題に置かれている。こうした状況を打開しなければ、核廃絶の訴えは、プーチンや習近平や、あの妙なヘアスタイルの男を利するだけである。然しながら、思想の自由、表現の自由を、あの専制主義的国家群に伝播させるなどと、気の遠くなるような話だ。これはもう、国家レベルの機関が関与しないと何も出来そうにない。拙者もどうすればいいか知恵を持たない。もちろん、アメリカや同盟諸国は、情報戦や心理戦の範疇でそれなりに努力はしているのだろう。我が国に至っては、諜報機関さえ無いのだから全くお話にならない。だから何を訴えようが、あの国々にしてみれば「屁のカッパ」なのである。 イスラエルの諜報機関「モサド」は、イランの核技術者を暗殺してまで核開発を阻止しようとした。核拡散を本気で止めるなら、そこまでやるしか無いのである。平和は祈っているだけでは獲得出来ないと云う一つの好例であるが、このことを可能にしたのは、イスラエル国民に「覚悟と信念」があるからであろう。北朝鮮の核施設を空爆することは無理だとしても、拉致被害者すら救出出来ない私達は、全く不勉強で不誠実だと途方に暮れるばかりである。