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テーマ:鬱病(2269)
カテゴリ:躁鬱病とたたかう
今日は体調が悪い。
9時過ぎに家内に起こされ、朝食を食べ、薬を飲んだ後、 コタツの中で寝てしまう。 家内が言うには、いびきをかいていたらしい。 多少は疲れているのだろうか。 次に目覚めたときは、昼の1時を回っていた。 とりあえず、昼ごはんを食べて、薬を飲む。 そして、着替えをして(かなりおっくうだったが)、 車に乗り、近所の図書館まで行く。 昨日の雪で、車のフロントガラスが凍っていた。 これまでだったら、外出したくなくて、図書館に行くのを止めただろう。 でも、今は、無理やりにでも行くようにしている。 無理が出来るのは今のうちだ。社会復帰してから無理してリタイアするくらいなら、今無理をしておいたほうがいい。 たった、5分たらずのことではないか。本を返すだけ。 それでも「図書館に通った」という実績につながる。 おおげさかもしれないけど、それがオレの人生のスタートラインにつくための条件ではないのだろうかと思っている。 英会話教室に通うのも、今は趣旨が変わってきた。 確かに英会話そのものを習うというのも大事な目的だが、 今はそれは2次的な目的でしかない。 とにかく、出来るだけ休まずにレッスンを受けること。 それと、何事にも、どんな環境下におかれても、自分を見失わない度胸を養うことである。 レッスンになると、日本語はまったく使えない。それは講師も、生徒も皆そうだ。その環境下で雑談であったり、質問であったり、答えを聞いたり、意見を言うのも全て英語なのだ。本来なら、それはストレスと化すのだが、今のオレにとっては楽しいのだ。文法が無茶苦茶でもいい。人とコミュニケートできれば、相手に自分の意見が伝わればいいのだ。 そう思ったら、日本に居て、日本語で話すこと、意見を述べることがどんなに楽な行為なのかが分かった。 まるで、高速道路で突っ走っていて、下の一般道路で走ったときに、ゆっくりに感じるのと同じ感覚といっていいのだろうか。 自分の中で、頭の中で余裕を持って人に話すことが出来る。 これまでは、なかなか出来なかったのに・・・ だから、大金を注ぎ込んだが、英語だけじゃない力をも身につけることが出来たんだと思う。そういう意味では英会話教室に感謝したい。 自分の人生ではあるが、他人も見守ってくれる人生。 他人のためにも、いいかげんなことは出来ない。 そのためには、己の心を鍛える必要がある。 甘やかさないで、やれるところまでチャレンジする。 それを放棄したくない。まだ、オレの人生は終わっていないから。 今のリハビリ期間を大事にしたい。 そして、社会復帰して色々な人たちに安心と、そして感謝を述べるために、 そして、自分自身が幸せを掴み取るために、生きていかなければいけないのだ。 きっと、オレには一般的は「うつ治療のための処方箋や禁句」は必要ない上体にあると確信している。あとは自分が腹を決めるだけ。 ただ、それだけなのだと思うのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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