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テーマ:鬱病(2269)
カテゴリ:躁鬱病とたたかう
サルトル、色川武大、そして俺(勝手なのだが)との繋がりを書く。
簡単に言うと、ある象徴的な物や権威などに対する、ある種の不気味さ、気持ち悪さを感じるということである。 サルトルは哲学者であり、小説家でもあったのだが、 名前は皆さんもご存知かも知れないが「嘔吐」という小説がある。 主人公は公園に座っていて、マロニエの樹を見たときに、気分が悪くなり吐き気を催した。 色川武大は小説家であるが、阿佐田哲也の方の名前で有名な作家である。 彼のエッセイの中で、「新幹線から見る富士山が恐ろしく感じる」と書いている。 それは、どちらも何か象徴的な物に対する、威圧感や、気持ち悪さを自分のどこかに持ち合わせているのであろう。 そこに、何故、俺が出てくるかというと、先日、お世話になったM上司の送別会をするために、久しぶりに会社に行った。名古屋駅から会社までの近道は、地下街を歩いて、ある出口の階段を上がると、そこから歩いて2分足らずのところまで行くことができるのである。数年前から地下街出口の風景は変わっていた。従来あった映画館もあったビルが取り壊され、新しいビルが建設中だった。毎日会社に通っていたわけではないので、取り壊された景色は知っていたが、送別会の日に見たビルは70%くらいの完成度になっていた。その雰囲気たるや堂々たるもので、威圧感も感じるほどであった。目の前にビルがやってきて、俺を押しつぶすような、迫り来るような圧倒的な感覚があったのだ。 JRと高島屋が合弁して立てたビルが立ったときは何も感じなかったのである。 何故なのであろうか。 今になって思えば、それが、サルトルや色川武大が示したような感覚なのかも知れない。そう感じたのである。 名古屋の景気は凄い。T社他、製造業を中心としていまだ衰えを知らない。 その象徴として、今立てられているビルはT社の物であった。 おそらく俺はそのビルにT社の象徴、力、威圧感などを感じてしまったのかも知れない。 そんな風に感じているのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年03月31日 11時15分20秒
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