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テーマ:鬱病(2269)
カテゴリ:躁鬱病とたたかう
英会話を習っていて、講師に言われたことがある。
もっと簡潔に話すように。大体「5ワードくらい」で、話すように。 英語で文章を書くのならともかく、 話すときは、簡単にするのが良いそうだ。 そう考えると、これまでの学校教育ってなんだったんだろうって思ったりもする。 文法、単語、長文読解・・・・それは生きた英語ではなくて、 大学試験のための英語、あるいは仕事、研究のための英語だったのだと 今は思えるのだ。 本当はもっとシンプルに考えれば良いのに、 わざわざ、難しく考えてしまうみたいだ。 もしかしたら、それが、日本の英語教育の問題点なのかも知れない。 シンプルと言うと思い出すのだが、最近、携帯電話が本当に多機能化している。 電話が使えて、メールが送れて、今では、ゲームが出来たり、音楽も出来たりする。 それはそれですごいことで、日本の技術のすごさと世界(特にアジア)の工場ラインでの コンビネーションが上手いのだろう。 だが、本当に必要なものなのか。携帯電話が、幕の内弁当のような、 なんでもあり状態でよいのだろうか。 携帯電話にとって、本来の機能とは何か。 コミュニケーションの道具である。 そう定義するならば、電話とメールが出来れば良いのではないか。 確かに、ゲームで時間つぶしが出来ればよいだろう。 音楽を聴けたら楽しいだろう。インターネットを使えたら便利かも知れない。 でも、問題は電池だ。通常、あまり使わない人であれば、待ちうけで数日は電池が持つ。 だが、ゲームしたり、音楽を聴いたりすると、1日で切れてしまったり、 使いこなしている人だと、会社のパソコンからケーブルつなげて充電したり・・・ もし、突然、事故や災害が起こったとき、電池切れだったら、どうするのだろうか。 最近、そういうことを考えると、闇雲にゲームなど出来ないな。などと思ってしまう。 (もっとも、災害時に電話がつながるかというと、いささが疑問だが。携帯の管理センターでパンクしないように制御しているだろうし) もちろん、自分もゲーム好きなので、フリーのアプリを入れて遊んだりもした。 が、今は入れているだけで、ほとんど使っていない。 自分の思いとしては、携帯は携帯。ゲームはゲーム。インターネットはPDA、パソコンから。 などなど、使い分けるようにしている。かさばるし、重くなるのは難点だけど。 そうすれば、いざという時に何も出来ないって事態には陥らない。 つまり、例えばテレビデオを買いました(たとえが古いですが)。 ビデオが壊れました。修理に出しました。治して貰っている間、テレビを見ることは出来ません。 これってナンセンスではないかい? コンピュータの、いや、プログラミングの世界では、 「モジュール化」「カプセル化」と呼ばれている。 つまり一つの機能で済ませるように、モジュール(パーツみたいなもの)を作り、 それを組み上げるのである。 その場合、もし一つのパーツに不具合があったら、そこだけ治せばよいのである。 テレビデオの場合、ビデオ部分のパーツを引っこ抜いて修理に出せたら、 テレビを見ることも可能なのである。 一つの機能をシンプルに。 物の考え方もシンプルに。 シンプルな物を組み上げて行って、大きなものを動かしていく。 そういった考え方、アプローチが必要ではないかと考えている。 先の携帯電話の話に戻すと、「いいじゃん、便利なんだし、毎日充電すればいいじゃん」 という話にもなると思う。それはそれで至極当然の話。 でも、電池を充電できるのって、たかが数百回。仮に500回充電可能だとする。 毎日充電すると1年半で電池寿命が起きる。 今のリチウム電池だと、1年使うと電池のもちは70%まで落ち込むそうだ。 そう考えたなら、1年ちょっとしか持たないことになる。 そのとき、電池を買い換える?最近のオプションの電池って高いですよね。 何千円かしますよね。そうしたら、新しい携帯に機種変更しますよね。 そうすると、どんどん消費されていく。消費文化が加熱する。 これって、やばくねーーーー。って感じです。 金持っているヤツはいいけど、金無いのに、どんどん消費するのって、 きっついよね。 うーん。何で鬱病のコーナーでこんなことを書いているのか、 理由が分からなくなってきた(苦笑)。 自分の脳みそも、行動も、考え方も、シンプルでありたい。 自ら、スパゲッティ状態で絡みあって、複雑に考えてはいけない。 簡単なことの積み重ねで、大きなものを動かせるようになりたい。 よりシンプルに。そして、楽しく。 って言っても、シンプル=何も考えないというわけではないですよ。 考えることを放棄してはいけない。何事も。 自分のことは自分で出来るだけ考える。 たまには他人のアドバイスも必要かも知れないけれど、 最終的には自分の意思で決めること。 他人に転嫁しない。それが自分の信条である。 って、強引にまとめてしまいましたが、ま、こんなところで。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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