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テーマ:鬱病(2269)
カテゴリ:躁鬱病とたたかう
前回と同じような話になりますが、
やはり言葉というのは難しいです。 時には凶器になりうるし、相手や周りを傷つけ、 また、自分をも傷つけることが出来ます。 どうやら、自分の心の奥底には、 凶暴な物がいるようです。ぶっち 研ぎ澄まされた、ナイフのような、 切れ味の良い、危険な凶器。 そういうのが心の奥底にあり、 他人をそして自分を傷つけたいのだとうずうずしているようです。 なんておろかなのであろうか。 また他人を傷つけてしまった。 そんなことをする必要がないのに。。。 意識的に危険な言葉を発することはありません。 むしろ、ふと無意識に出てしまう。 いえ、言っておきたいとうずうずしている自分がいるのです。 知るということは、必ずしも良いことではありませんね。 時には、知ったことを他人に話すことによって、 知らなくていいことまで教えてしまい、他人を不幸にさせてしまう。 あるいは不愉快にさせてしまう。。。 ただ、どれだけ後からフォローをしようが、 言葉は見えないし、追っかけることが不可能なので、 未来の自分について考えることが賢明なのでしょうね。 少なくとも、これのために、続けている英会話はやめません。 恥さらしでも良い。パスポートの切れる2週間までは、 ちゃんといきたいと思っています。 極論かも知れませんが、生きて恥を忍ぶというのでしょうか。 もっとありていに言えば、「逃げたくない」。 ただそれだけなのです。 水に良い言葉をかけると、結晶がきれいに出来て、 悪い、汚い言葉をかけると、結晶も壊れているそうですね。 自分の中の結晶(血など)も、今は壊れているかも知れませんね。 今晩にでも、家内に言って、良い言葉で作られた水の結晶の写真文庫を 借りてみてみたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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