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テーマ:鬱病(2269)
カテゴリ:躁鬱病とたたかう
一人でTVを見ても、
PCを触れても、 何となく楽しくない。 むしろ、いらいらとしてしまう。 昨日、今日と、そんな日だった。 だから、思い切って、電車に乗り、 知多半島にある、美浜の美術館に足を運ばせた。 電車で、片道1時間30分の道のり。 同じ静かなら、家の中よりも、 美術館の中に身を投じた方が良いと感じたのだ。 都心を抜け、工業地帯を通り、だんだんと田畑や丘が見える頃、 1時間に3本しかない単線の駅を降りる。 久しぶりの無人駅だった。 美術館までの道のり、 閑静な住宅地を抜ける。 駅周辺には、自然と家以外何もない。 コンビニや自販機すらない道を歩く。 風を感じ、 小鳥のさえずり、 落ち葉が舞い、 落ち葉を踏む音が耳に心地よい。 今日は、さまざまなノイズから逃げたいと思った。 電車に乗るときだって、ヘッドホンをつけなかった。 周囲の音に気を配りたかった。 電車の揺れ。 電車の音。 車掌のアナウンス。 流れる景色。 それらは、みなリアルで、 開放的だ。 いつもヘッドホンで音楽を聴き、自分の殻に閉じこもりながら 電車に乗っていた時とは違うリアルさ。 緑を純粋に綺麗と感じた。 本当に小さな美術館にも関わらず、 3時間も絵を見入ってしまった。 小高い丘から見える、海の景色の美しさ。 杉本健吉の墨絵、仏画が、人の心を清くさせる。 悶々と考えに耽ったときは、 一人、家に篭るよりも、 自然や社会の中に身を投じ、 そこで一人悩めばよいのではないか。 このように時には、心が洗われる時だってあるのだから。 1+1の関係にも、美があるかも知れないけれど、 1+1のすきまや行間にも、美を見出すことが出来る。 とらわれない自分でありたい。 「ほとけ様」の前で、そう思い、願い、祈ったのだ。 そうしたら、杉本健吉が、 「常識から幻想は生まれ難し」と、言ってくれた気がする。 今日は得がたい体験をしたと思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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