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プロフィール

まつけん7

まつけん7

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2009年02月04日
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テーマ:鬱病(2269)
カテゴリ:躁鬱病とたたかう
2001年の年始、たぶん1月8日だったと思う。

カミサンと一緒に駅前のクリニックに行った。

予約無しだったので、しばらく待ったが診察してもらった。

診断はうつ病。

抗うつ薬と安定剤、睡眠導入剤、そして1ヶ月休養の診断書を貰った。

クリニックを出たら昼を過ぎていた。

まずは直属の上司(先輩)に電話した。

運良く自社に居たので、そのまま会社に出向いた。

カミサンは駅前の地下街あたりで
服とか見てくると言い、俺を待ってくれた。

会社の会議室で、今の状態を先輩に話した。

涙が出て止まらなかった。

体調はどうあれ、仕事を投げてしまう自分が許せなかった。

でもこれ以上仕事を続けることも出来ない。

解決策も見いだせなかった。

どうしようも無い歯がゆさがあった。

先輩は状況を理解してくれた。

そしてすぐにマネージャに連絡をかけてくれた。

先輩がマネージャに俺の状態を説明してくれたが、

その携帯越しからマネージャの大きな声、怒鳴り声が聞こえた。

先輩はそれをなだめるように説得し、休みを取る手続きを取ってくれた。

先輩に本当に感謝した。有り難いことだと思った。

2時間くらい会議室で待っていると、同僚(協力会社さん)が入ってきた。

彼も少し体調を崩したらしく、病院から直接出向いてくれた。

簡単にシステム設計作業の引き継ぎをした。

その同僚に何を説明したのか今では判らないが、おそらく
システム設計の仕方、ドキュメントの保存場所、これからの方針などを伝えたのだと思う。

最低限すべきことをして、会社を出た。

そしてカミサンと合流して自宅に帰った。

その後のことはあまり覚えていない。

しばらくは、ぼーっとコタツで横になり、テレビを見るか、布団に入るくらいしか出来なかった。

動くこともままならなかった。

トイレまで歩くことも難しいことがあった。

這いつくばるようにトイレに行ったこともあった。

風呂、シャワーは面倒くさく入れなかった。

1週間くらい入らないのは、ざらだった。

見かねてカミサンが俺を布団から引っ張りだし、

風呂場まで引きずり、俺の体や頭を洗ってくれた。

本当に廃人だった。

時折、カミサンと一緒に散歩した。

散歩といっても、田畑の道を500メートルくらい歩く程度だった。

住んでいる地域は田畑が多く、冬の時期は稲の刈り込んだ後が寒々しい。

北風も冷たかった。

でも、何の感情も沸かなかった。

夕日を見て美しいと思ったり、空気のうまさや、北風の冷たささえ感じることが出来ずに、本当に麻痺していた。

俺は絶望を通りこしていた。

でもそれ以上にカミサンはどういう思いで俺を支えてくれていたのだろう。

絶望を通りこしていたのでは無いか。

俺以上に。

そう考えるだけで涙が止まらなくなる。

人が壊れるということ。

壊れていくということ。

周りの辛さ。



親とはどんな話しをしたのか覚えていない。

だけど、親には「うつ病」と言うのが判らない。

精神疾患というものが判らない。

骨折したとか、手術したとかいう怪我や病気なら理解できるが、

うつ病、ノイローゼみたいに目に見えないものが判らない。

関連する本、分かりやすい本を渡しても、読もうとしないし、
(元々、本が無い家庭だし、活字を読む習慣も無かったのだが)

TV番組などの情報を教えても見た感じはしない。感想もない。

おそらく親にとって見たくない、直面したくない現実だったのかも知れない。

ふたをしたかった現実なのかもしれない。

何も出来なかったのかもしれない。

今となってはそう言った理解を求めることは
無意味だと感じたので諦めているが、

あのときは理解者というか、支えてくれる人がほしかった。

そうしたことが、自分にはショックだった。

たぶん、俺もカミサンも途方に暮れていた時期なのだと思う。

どうすればいいのか、どうやったら快復するのか。

色々な情報をかき集め、二人(俺はもう廃人だったけど)で、
この危機を乗り越えようと奮起していた。


療養に入ってから3ヶ月後、復職した。

リハビリを兼ねて、時間短縮で軽作業をすることになった。

会社はうつ病の俺に対して、とても配慮をしてくれた。
それは今でも感謝している。

簡単なドキュメント作成をしていた。

本当に難しくない作業。

画面のパーツをチェックしたり、時にはプログラムを見たりもした。

本来ならば負担になりえない作業だった。

しかし、1ヶ月くらいでまた体調を崩して休職した。

次は4ヶ月休職。

そして復職。

配属先は社内SEと言うか、人事管理部門だった。

社内システムや、総務的なお手伝いをする仕事だった。

そこでの仕事は1年くらい続けることが出来たが、

また体調を崩すことになり、休職することになった。


本当にうつは治っているのか?

どうやったら治ると言えるのか?

クスリとリハビリで治るのか?

まったく判らなかった、先が見えなかった。


会社の方々も俺を気遣ってくれている。

通勤日を短くしたり、就業時間を短縮してくれたり、
軽作業をさせてくれたりと本来なら考えられない対応をいただいた。

本当にありがたかった。

でも、うつ病が本当に寛解することは無かった。

どうしたら良いのか途方に暮れてしまった。

「うつは治る」と巷で言うのに、俺はまだ戦っていた。

そもそもどこからが治るという線引きすらない。

折れた骨が繋がるような明確な基準など無い病気。

不安だった。

お先真っ暗というのはこのことだと感じた。



でも、人の温かさ、情けを感じることも出来た。

夏の暑い日に、ドアベルが鳴った。

カミサンはちょうど買い物に出かけていた。

出ると、総務部時代の上司だった。

何も連絡が無かったので、自分は驚いた。

本当に散らかっていて、汚い部屋に入ってもらい、

上司と少し話をした。

本当に嬉しかった。

突然の来訪で驚いたけれど、嬉しかった。

朦朧としていたけれど、その時間だけは今でも覚えている。


だが、それでも、うつは良くなかなかった。

だんだん自分の生きる目的、意味が判らなくなっていった。

暗闇の中で何をしたらよいのか判らなくなってきていた。

心がすさみ、あれて行った。







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最終更新日  2009年02月04日 10時43分37秒
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