family
昨日見た映画、昨日・今日読んだ本にもらったメール、今日のREIKIアチュ。そこから何か大きなメッセージがわたしに向かって送られてきているような気がして、それが何なのか気になってきょろきょろしてたんですよぉ(笑)そしたら、今晩、荷物を受け取りに郵便局へを走らせていた時のこと、ふと言葉が降りてきた『自分の為の人生を自分のために生きる』今、わたしの周りには『自分の人生を自分のために一生懸命生きている人』が集まっている。他の誰でもない、自分自身の人生を生きている人達。それは、必死にとか死に物狂いでとかっていう懸命さではなく、『自分自身を真ん中において、自分に正直に自分の魂の喜ぶ生き方を探しながら、楽しみながら前に進んでいる人達』という意味。皆、自分が自分の人生を生きることが、家族や周りの人達をも幸せにしていく生きかただって知っている人達。その代表格みたいな人がきっとD氏であって、目の前でそれをわたしに見せるために現れてくれたんだって思ったら、彼にありがとうを伝えたくなった全ては自分で過去に選んできた結果が『現在の自分』につながっているにも関わらず、不平不満やうらみつらみを外の世界のせいにする人が多いし、そいうやって、今自分がやらないことの言い訳をしている人がたくさんいる。あの時こうしていたら、あれがこうだったら今頃は・・・とかなんとかって、会社や上司や親や子供やだんなや彼女や友達やいろんな人や状況のせいにして、今の自分を肯定しようとしたりする。『あの上司のせいで胃潰瘍になった』とか『資格がないから就職できないとか』とか『だんなが束縛するから自由時間がない』とか『子供がいるから働けない』とかってね。きっかけはそうだったかもしれないけれど、最終的にそうすることを選んだのは自分だってことを忘れがち。『結局は、今自分が何を感じどう生きたいのか』ってことをまったく無視して生きてきたんだってことがだんだんとわかってきた。もちろん、みな人間だからそういう部分(何かのせいにしたいこと)も持っているだろうし、わたしだってそう。ただ、他の何かのせいにして自分の存在価値を低くしてしまっているのを知っているか、知らずに外の世界に責任転嫁し続けていきていくのかではまったく人生が変わってくる。自分と正面から向き合いながら、それを受け入れつつ、自分がどんな風に生きていきたいのかを感じ考えながら前に進んでいる人達といると、すごく勇気をもらえる。わたしも元気をもらえるし、応援してるよって伝えたくなる。一人ひとりが自分の人生を生きることによって、いろんなことが変化するんじゃあないのかなぁ。家庭で、職場で、学校で。一人ひとりがそういうことを考え始めた時、お互いをもっと尊重できたり応援できたり、喜びやがんばりをシェアできたりすると思う。誰かを責めたり、憎んだり嫉妬したりってなくなっていくと思う。そういうことって、自分の中に恐れや不安があったり、自分を否定してる部分があったりするから出てくるものだって思う。すべては自分が思い、選んできたことなんだって分かっていれば『選んだのは私やったんや。な~んや、わたし、悲劇のヒロインになてみたかっただけやん』って、それまで大変だと思っていたできごとも、思わず笑えちゃったりするなんてこともあったりするわけ。わたしの中では、JJやBBともそんな風な関係になっていけたらよいなぁって思うしね。『自分を生きる人生をシェアしあえる関係』になれたらうれしい家族であるということは、お互いの人生に深く関わって行くということ。無条件に愛を持ってお互い励ましあったり喜びあったり守りあったりできるということ。親子兄弟は血のつながりがあるからもちろんだけれど、人はあたらしく家族を作っていくことができる生き物。結婚によって血のつながりのない他人と家族になる。パートナーの家族とも新しく家族になっていく。仕事でもプライベートでも、協力して何かを成し遂げたとき、それもまた大きなFamilyになっていく。保育園や小学校でも、同じクラスでたくさんの時間をすごすことによって子供たちの中にFamilyができていく。日本人同士、white ,black,mix kids同士...小さいものから大きなものまでたくさんのコミュニティがあって、それはどれもFamilyに例えることができると思うし、たとえそう感じることができないとしても、人との関わりなしに生きていくことはできないのだから、今こそ、それを思い出してく時代が来ているんだとつくづく思う。今たくさんの悲しい事件が起きているし、それは人間関係の希薄さや相手を思いやることができなくなってきているからだってよく言われている。自分のことしか考えていない人が増えているって。これは『自分の人生を生きる』こととは大きく異なっている。駄々っ子みたいにもっと私を見てもっと僕の言うことを聞いてもっともっとかまってよ愛をちょうだいよって自分を満たすことだけしか考えられない自己中の人。ほんとはすごくさびしいんだよなぁ。外の世界から他人からのアクションによってのみ自分を満たそうとする人。お金や名誉や家や車や・・・物質的なもので自分の中を満たそうとしてみるけれど、手に入れたところで、愛を感じることができなければ結局はまたむなしさに襲われるだけ。昨日の映画の1シーンに、大富豪のエドワードとサラリーマンのカーターが大冒険から帰って来た時、エドワードは一人ぼっちで高級マンションのキッチンで出来合いのデリの夕食を用意し、カーターは奥さんの手料理を息子や娘、孫達と囲んでにぎやかな食卓を囲むという場面が出てきた。映画とはいえ、エドワードのむなしさ、悲しさにほんとに胸が詰まる思いだったと同時にカーターを見ると、家族がいるっていいなぁ・・・ってつくづく思ったのでした。世の中の、いわゆる成功者と言われる人達を見ても、自分勝手にやって大成功したひとなんていないんですよね。皆、そこには大きな愛がある人に喜んでもらうことに自分が大きな喜びを感じて、自分の魂が喜ぶことをやってきた人達が皆に喜んでもらえる結果を残してきたんだろうなって思う。最近またわたしのバイブル、『天使のレクチャー』を読み返していたところ。『愛』がすべてだって書いてある。そうそう。この本に出会ったときのことを思い出した。衝撃だった。わたしが思っていたこと、感じはじめていたことを全部天使がレクチャーしてくれていたのだから・・・・・去年の夏にスピリチュアルカウンセラーのAさんにセッションしてもらった時にも、自分の使命を思い出して、これからはその次元で物を考えて行く時がきましたよって言われたことを思い出した。やっぱりわたしにとって、この5月はいろんなことを再確認する時期みたい。