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個があっての全体。全体があっての個。
そして両者が、独立個体としての「個」と、 独立個体としての「全体」の相互協力関係にある。 相互協力関係とは、理念、戦略を柱として、 その枝葉としての情報、これらの共有が図られる関係、 と言っていいのではないか。 そして、この関係は、そのまま組織のありかたに通じる。 組織という概念には、組織内(自体)と組織外がある。 以前にも別の原稿で何度も触れているが 内と外では、圧倒的に外が広いし、深いし、大きいし、多い。 いわゆる多勢に無勢の関係である、それが逆転することはない。 こうした理屈と費用対効果、もしくは投資対リターンの 経済の論理を合わせて、端的に言うと、 組織外に仲間、同志、友達の多いことこそ、その意に添えるし、 経済的にも有利になることがわかる。 もちろんそれらは数だけではなく質も関係する。 だから、極論をいえば人にしろ、組織にしろ、 成功は、仲間、同志、友達の友人の数と質によるといえる。 このことを逆に言えば、 孤立系、封鎖性の高い、他との連帯性の低い 閉じこもり系の企業がうまくいかなくなる確率が 高くなるのは当然ということだ。 同根、 「俺が俺が」の人もうまくいかない。 「自分中心の人」も、うまくいかない。 「自分で何事もやりたがる人」もうまくいかない。 その理由の根本には、 人は、自分の外部の存在である有機的システム、 社会システムに組み込まれていることがある。 個は全体を構成し、全体は個を内包する。 その全体もまた他の全体と、同様の関わりを持って それぞれ宇宙全体を構成している。 畢竟、個は常に個の外部との関わりを有し、 他との関わりのない個は存在のしょうが無いのである。 時として個内部の論理で内部体制やシステムを 強く固めることが、外部との関係を疎にし、 時には切断するといったことが、 結果的に死の戦略になりかねない理由はここにある。 繰り返す。 企業内の結束や統制、打わ合せを密にするといったことで、 逆に外部との情報の流れを遮断するケースがしばしば起きる。 これは外部と孤立したため相互交流が分断されたためである。 組織の内と外のつながりを通じ、情報は流れている。 これは人の呼吸を考えればわかりやすい。 呼吸とは、内部と外部との空気の交流である。 この交流がとまった時が「死」。 これは,自然の摂理である。 人も企業も然り。 内と外との相互交流が行われなければ、「死」である。 その典型的な例が、「癌」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.03.13 08:22:41
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