民をみせしめに殺す軍
日本兵を殺した父 デール・マハリッジ 2013年 半藤一利の「歴史のクズカゴ」に、日本再建の裏話として、室蘭、釜石、日立などにアメリカ機動部隊が浴びせた艦砲射撃は、工員の住宅が中心で、港湾施設、鉄橋、溶鉱炉は壊さずに生産力を温存して、戦意を喪失させ、厭戦気分を煽る攻撃であったそうだ。 高橋洋一の「戦後経済史は嘘ばかり」によると、米軍の攻撃で国内は徹底的に破壊されたと思いがちだが、工業用機械器具は34%強失われたが、基礎的生産手段はあまり破壊されなかったと。大規模な軍需工場は徹底破壊されたそうだが、民生用工場は案外残ったそうだ。 有馬哲夫の「スイス諜報網の日米終戦工作」では、巨費を投じて開発した原爆により終戦したとの構図を造り出すため、トルーマンは、完成まで日本には降伏させない意向であったと。原爆の使用方法を決めた陸軍長官達からなる暫定委員会の結論は、無警告、多くの住民に深い心理的印象を与え、多くの労働者が働き、労働者の住宅に取り囲まれた重要軍事施設に使用すると言うものだったと。数十万の一般市民の殺戮を承知したものだったそうだ。広島、小倉、新潟、長崎のうち、有視界爆撃可能な天候地に投下せよ、更に、準備完了次第次も投下との命令だったそうだ。 著者デール・マハリッジが父の戦友から10年かけて聞きだした証言によれば、動くものはすべて撃てとの命令があったそうだ。ニック・タースの「動くものはすべて殺せ」のベトナムと同じだ。ベトナムでは、遺体毀損、耳はぎ蒐集、首輪にして戦功の証にしたものもいたと。沖縄でも金歯や耳を蒐集した者がいたそうだ。投降する日本兵を銃殺する米兵を上官は黙殺し、民間人、婦女子を火焔放射や白燐手榴弾で焼き殺したそうだ。沖縄では、ひとりも捕虜にせず、少尉からとっとと殺して先に進めと命じられたそうだ。 ロバート・D・オルドリッヂの「オキナワ論」では、米兵の犯罪率は県民より低く、処罰も厳格化され、教育されて沖縄に来ていると。本土への複雑な感情と政府への経済的な依存に、左翼知識人の非現実的な理想論とメディアによる意図的虚説が完全な誤解を広げ、沖縄の本質がぼけてみえなくなっていると。本質的問題は、沖縄問題が存在していないという逆説だと言う。 果たして、欧米とは、植民地支配、大東亜戦争、沖縄戦、ベトナム戦争でのアジア人との関係を直視できる国々なのか、どうか。