柳田國男記念公苑 利根町布川 2018.10
布佐の対岸の布川に町営の資料館があった。 松岡國男として、明治二十年、西暦1887年、十三歳から二年ほど過ごしたところで、兄が開業している布川の小川家の跡らしい。この医家一族が集めた書籍を土蔵で読み漁ったそうだ。その中に赤松宗旦の「利根川図志」があり、本に誘われ銚子への徒歩旅行を試みたと解説があった。 16才で進学のために上京し、次兄に森鷗外を紹介され、鷗外からかわいがられたとあった。長兄は、松岡医院を布川から布佐に移転し、國男は、田山花袋や島崎藤村などの友人を連れて布佐を訪れたそうだ。 布佐は、江戸時代、銚子や九十九里の魚を江戸に運び込む中継の川港で、ここで陸揚げして松戸まで陸送し、再び、江戸川で舟運したと聞く。その道はなま街道と。いつ頃まで盛んであったのかわからないが、経由地として栄えたらしい。主要河川の流域は、流通路としてさぞかし賑やかだったのであろう。 布川の丘から見下ろした利根川を白帆をあげた船が遡上してくるのを見てみたいものだ。