旧遷喬尋常小学校 2020.8
明治40年(1907)に完成したもので、設計したのは、江川三郎八(さぶろうはち)と言う県の技師だそうだ。この人の数々の実績を展示してあり、その生涯は、心揺さぶられるものだった。 会津藩士の子として生まれたそうだが、幼くして父を病気で失い、長兄も病死し、次男の兄も戊辰戦争で白虎隊員として戦士し、母、姉、三郎八の三人が残されたそうだ。戊辰戦後は、会津藩とともに郷里を追われ、転封先の青森の僻地にて苦労を重ね、明治六年にようやく故郷に戻り、母から、もともとは普請方であった家の再興を託され、13歳で宮大工棟梁の下で住み込みで働き、25歳で棟梁となり、27歳で念願の福島県庁の技術者として採用されたそうだ。登用後も仕事に邁進し、橋、建物、神社等の設計・現場監督をこなし、実力を発揮し、人望を集めたそうだ。 42歳で岡山県庁への転任の誘いを受け、福島縁のある岡山県知事、岡山県土木課長がいることから、転任を受け入れ、建築技師として岡山にて数々の成果を上げたそうだ。無学にもかかわらず、高等官に上り詰め、叙勲されるまでになったそうだ。晩年まで仕事の依頼は絶えず、勇退後も民間の建築を手がけたそうだ。 江川式建築と呼び、西洋建築ではあっても堂宮大工としての一間幅の設計基準や木割りを基本にしているそうで、独特の風合のある建築物が残されているそうだ。旧閑谷学校の資料館も三郎八の関係建物と。 旧遷喬尋常小学校のらせん階段も三郎八の得意意匠らしく、もともとは、三郎八が設計に携わった福島県伊達市に残る旧亀岡家住宅の建築時に大工の棟梁が設えた螺旋状階段に影響を受けたと思われるそうだ。 西洋建築の気詰まりな感じのない、温かみのある建物だと思う。24吋別窓表示〝江川式〟擬洋風建築──江川三郎八がつくった岡山・福島の風景本体価格 1,800円体裁 A4判変型・並製・72頁ISBN 978-4-86480-528-52019年12月発行