下津井城 備前、児島 2021.1
瀬戸内海の潮待ちの港として栄えた下津井の背後の山の上の立派な破城だった。(下津井城跡の岡山県中世城館跡総合調査報告2020はこちら) 宇喜多秀家が昔からの砦を城にし、城代を浮田家久にしたらしい。浮田家久は、三村家親を火縄銃で狙撃して暗殺した遠藤秀清らしい。毛利がその宇喜多と和睦したため、三村は毛利から離反し、備中兵乱となったが、備中兵乱の最期の戦いは、常山城の陥落だった。 下津井城の城主が変遷して池田氏の代の時に、常山城は廃され、下津井城を整備したらしい。部材を転用したとの言い伝えもあるらしい。 一国一城の時代に入ると下津井城も廃城となったらしい。 築城から廃城まで半世紀足らずらしい。城主の変遷は、児島の戦国史をよく表している。 下津井城跡からの眺めは見事で、連なる瀬戸大橋、讃岐富士、塩飽諸島、行き交う船、見飽きることはなかった。水軍の寄せる様子を城からみていたのだろうか。下津井の廻船問屋跡、漁港が眼下に三の丸下の石垣大手門跡別窓表示。西の丸から24吋別窓表示。二の丸からにほんブログ村