塩飽衆の備讃瀬戸 2022.11
塩飽衆が支配した備讃瀬戸の中心は本島らしい。与島のパーキングから眼前にみえた。山城跡が山上にあるらしい。自治領として江戸期を過ごし、代官所の建物や町並みが残っているらしい。是非上陸してみたいものだ。技に秀でて塩飽大工とも呼ばれた技能集団でもあったらしい。水夫としても咸臨丸の渡米時に多く採用されたと聞くので優秀な衆であったらしい。水島コンビナートの中の運河に突き出た岬の上に本太城跡があるが、能島村上の城だったと読んだ。塩飽衆も戦国時代は能島村上の支配下に入っていたらしい。瀬戸は古代から海上交通が盛んな内海であったらしいが、必然、歴史の舞台でもあるわけか。村上海賊と塩飽衆が拠点とした島々に、今では、巨大橋梁の威容がそびえる陸路ができたわけか。本島、牛島など一望与島から備讃瀬戸大橋を一望 24吋別窓表示宇多津から備讃瀬戸大橋を望む