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カテゴリ:城
史跡 高松城跡 附 水攻築堤跡 (岡山県中世城館総合調査報告2020はこちら)
豊かな田園の広がる扇状地にたって、東と北を取り囲む丘のような山を確認しながら、東西南北に布陣を追って、三万の兵と旗指物がひしめく姿を想像してみた。 東にある低い石井山に秀吉の本陣跡の白いのぼりが見えた。平原と川と囲む山の位置関係を確認すると、足守川から水を引き入れる水攻めを可能にした地形が理解できた。 三万の軍勢があるとしても、土木工事の短い工期、堤の規模、投入費用の大きさに驚く。今、実感するのは難しいが、さぞかし羽柴方は、勢いづいていたのだろう。 清水宗治の首塚や自刃の地にたつ五輪塔を見ると、本領安堵と家臣の助命を自身の首と引き換えにして切腹する清水宗治の義を思った。 ここから足守川を5キロほど遡ると、江戸期の足守藩の陣屋跡がある。1601年に姫路城から所領替で木下家定が足守藩主となり、明治まで続いたそうだが、家定は、北政所の実家杉原家の兄で、木下、豊臣を名乗ることを許されたそうだ。足守川の秀吉との関係は深い。 穏やかな水田地帯の真ん中に、秀吉の天下取りの起点が静かにあった。 24吋別窓表示 24吋別窓表示 24吋別窓表示 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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