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吹屋には、銅を産出し、残滓の酸化鉄からベンガラを製造して、全国に供給して繁栄した後に、時代が変わり、抗が閉じられ人が去っていった産業史がある。
繁栄を支えた製品の搬出路として、吹屋往来と言うルートがあったらしい。吉備高原の急峻な台地を成羽川の河岸まで繋ぎ、成羽川から高梁川に入って玉島港まで運んで、船積みしていたらしい。 吹屋往来は、急峻であるため、牛馬、人の往来には限界があり、近代車両交通に転換するのが難しかったことから、尾根沿いから島木川の渓谷沿いの道に付け替える工事が、大正三年から始まり、難工事の末、15年後の昭和四年に貫通したそうだ。 その最大の難所が羽山第一と第二の隧道だったらしい。恩讐の彼方にのモデルとなった耶馬渓の青の洞門は、江戸時代に工期三十年の日本最古の隧道らしいが、同じ手彫りの羽山の隧道は半分の工期となる。 細く暗い隧道を抜け、上を見上げると、頭上に迫る岩塊壁の迫力に唸ってしまう。貫通している隧道は圧倒的な近代化の痕跡だ。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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