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カテゴリ:城
能島村上水軍の勢力下に永くあった海城(本太城跡の岡山県中世城館跡総合調査報告2020はこちら)らしい。能島水軍は、塩飽水軍などとも組み、瀬戸内海を支配していたそうだが、元々は、能島水軍は、毛利に従っていたらしい。その後、三好勢、浦上勢と組み、毛利と戦い、小早川隆景にこの城をおとされてしまったそうだ。備中兵乱時には、毛利との関係は修復されていたそうだが、この城が、毛利勢の児島進出の拠点になったらしい。
水島コンビナートの威容の塊の中に運河があり、そこに突きでるようにかろうじて残っている岬に城跡はある。岬の陰には古くからの港も健在だった。 岬の陸側にある神社から遊歩道が整備されている。昔は、唯一陸とつながっていた細い馬の背をわたると、城跡が草木に潜ってあった。枯れ草と茨に覆われ、幾重もあるはずの曲輪には入らなかった。 コンビナートの操業音が鈍く響き渡っていて、公園として城跡を整備できれば、戦国時代の海城と近代産業の牙城とも言えるコンビナート群の対比は、強烈な印象を与えるだろうにと思う。 以前、人気をはくした「村上海賊の娘」のモデルは、能島水軍を率いた村上武吉の娘で、架空の小説とはいえ、織田の水軍との海戦の活劇は面白かった。この城がその海賊の城と思うと、海賊史の痕跡としても全体をみてみたい。 24吋別窓表示 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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