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裏豪渓と呼ばれている渓谷に百五十年近く前の信仰の痕跡があった。山陽新聞の高梁川流域の観光案内動画によると、備中松山藩七代藩主で幕末の老中板倉勝静を思う藩士が修験となり、祈りが成就した後に庵を設けて帰依した地と。
板倉勝静の事績をみると、仁、義、忠、利他、滅私を体現した指導者であったようだ。起用した部下もまた、山田方谷に見るように仁義に厚い知者であったらしい。 天の岩に金比羅を祀ったと言われる天野幽乱(天野遊峰とも)もまた、同じ精神を発揮し、幕末の世情と藩内の沈鬱を憂い、新政府に処断、幽閉された藩主の解放を祈り、厳しい修験道を極め、その姿に感銘した民に救いを与えていたようだ。 高梁川流域のこのあたりの地には、戦国の備中兵乱や、幕末の備中松山藩の存亡にみるように、義と利他の精神を支柱とした指導者の歴史があるようだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Dec 9, 2021 10:43:30 AM
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