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10/21 鹿児島 旅行記
早起きして開園時間に西郷隆盛公園へ 日本一大きい人物像らしいです。 巨大な銅像で昭和後期の作品です。
西郷隆盛の遺品の数々や、西南戦争と題する53点の錦絵などが展示されていました。 西郷どんの生涯を知ることができます 観光案内より 「西郷隆盛が住んでいた武家屋敷跡。 明治6年(1873)に朝鮮への使節派遣を主張したが、論争に敗れて鹿児島に戻った。 それから西南戦争の起こる4年後までをこの屋敷で過ごした。 建物は西南戦争時に焼失したが、明治13年(1880)に復元された。 庭には当時使用されていた井戸が残されており、現在も水がたたえられている。 西郷隆盛と、親交の深い庄内藩家老菅実秀との座像が建てられている。」 幕末史跡にも興味深々です。
どうしても一度は行きたかった「知覧平和会館」へ。 特攻隊員が人生最後の数日を過ごした馬主、三角兵舎は質素な建物でした。 ここで遺書を書いて酒を酌み交わし最後の夜を過ごしたそうです。 資料館の遺品、遺書、の展示に涙が止まらない・・・(写真撮影はもちろん禁止です) 命を散らさせらせた若者を決して忘れてはいけないと痛感します。 このような歴史の事実があったこと、そして若い彼らが、親に感謝し精いっぱい生きたことにまた涙・涙・涙 どんなに無念だったことでしょう・・・ 戦争は終わっても心の傷や爪痕はしっかり残ります。 戦争を知らない私達世代には、当時の人々の生き方は理解し難いところもありますが、 特攻隊の歴史を知ることで、いかに戦争が惨いか、平和が貴いかを改めて思い知らせれました。 一度は行くべき所です。 今の知覧は平和で穏やかでした。 写真はありませんが、平和会館ロビーではフッペル社のピアノを展示されていました。 太平洋戦争末期、出撃前の特攻隊員が佐賀県鳥栖市の学校を訪問し、ベートーベンの「月光」を演奏したという逸話に感動された方から寄贈を受けた同型のピアノだそうです。
そのあと向かったのが【瀬平自然公園】 開聞岳(薩摩富士)は特攻隊員がみた最後の本土の景色と言われています。 まだ20才前後の若者がどんな思いで特攻隊の飛行機で知覧の基地を飛んでいったのか想像するだけでまた涙・涙 もう少し早くポツダム宣言を受け入れていたら、多くの若い命は助かったのでしょうか。 海岸線を越えて覚悟を決めた彼等の心情に思いを馳せて、 そして【桜島】へ🌋 噴火ちょっとだけ噴火していました。
噴火は日常的に起こることなので、克灰袋(火山灰を集めて捨てるための袋)が配布されたり、 天気予報の中に降灰予報(噴火した時にどこへ火山灰が降るかの目安がわかる!)があったりと 特有の習慣があるそうです。 鹿児島観光をたっぷりと楽しみました。 鹿児島の日本の変化に大きな影響を与えた歴史も興味深かったし、 なんといっても雄大な自然の宝庫を、そして大地を満喫できました。 感動といっぱい出会えました 行ってよかった また行きたいです
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Last updated
2024.02.12 00:12:28
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