洋服屋は、9人で一人前・・・
Nine tailors make a man...
洋服屋、つまり仕立て屋は力が無いので、9人でやっと一人力と言う意味のようである。
9つのものが紡ぐもの。
それは、洋服だけではない・・・
今日は血圧の治療で医者に行くので、ついでに会社を休んでしまった。で、たまには本でも読むかと、昔読んだミステリの再読に挑戦した。
「ナイン・テイラーズ」創元推理文庫 ドロシー・L・セイヤーズ作・浅羽莢子訳
知る人ぞ知る、イギリスの女流ミステリ作家ドロシー・リー・セイヤーズの「ナイン・テイラーズ」は、推理小説マニアなら必読の「古典ミステリベスト10」にたびたび数えられる傑作である。
正確には、教会の鐘は8人で鳴らす(のだそうだ)。
そこには決められた規則が存在し、宗教的な戒律にも似た伝統が存在する。
鳴鐘術(めいしょうじゅつ)と言う。
日本では、お寺の鐘と言えば、大きな釣り鐘が一つ垂れ下がって、「ごおおぉおーーん」と鳴って、夕焼け小焼けが定番であるが、教会の鐘の音というのは作中の翻訳表現を借りると、カンカン、コンコン、カランカラン、コロンコロン、ガンゴンガンゴン、ガラーン、グウォーングウォーンという音が混ざって、作られているのだ。
何となくガランガラン鳴らして適当に和音を作り出しているのではなく、一番の鐘に始まって八番の鐘までがそれぞれ打つタイミングが決まっていて、8人の人間の呼吸があって、すばらしい鐘の音が、町の遠くまで響き渡る仕掛けになっているのである。
教会のある場所にすむ人々の生活の中での事件やイベントにあわせた鐘の音が決められている。
「ナイン・テイラーズ」つまり九告鐘とは、「葬送のための鐘の音」である。
この小説では、イギリスの田舎町でその九告鐘がきっかけとなって、ある事件が起き、そこに名探偵ピーター・ウィムジィ卿が絡む。
ピーター卿というのも、ミステリファンの間では有名稀代の名探偵だが、一般にはあまり知られていないようである。
というのも、この「ナイン・テイラーズ」をものした作家、ドロシー・セイヤーズ自体が、あまり我が国では読まれていなかった。
だいたい、アメリカの代表エラリー・クイーンとか、イギリスだとやはりアガサ・クリスティが、我が国では好んで読まれている。
しかし、このところ、古典を懐古する波がミステリにも訪れ、読まれていなかった数十年前の海外ミステリが今頃になって翻訳される事が目立つようになって来た。
まあ、こういう古典懐古の波は十年に一度くらい起こるようではあるが、やはり評価された古典に比べて、現代ミステリにあまりにも愚作が多いため、無難に古典ミステリが注目されるのであろう。
中でも、古典ミステリの常に上位に位置するこの「ナイン・テイラーズ」は、昭和30年代に翻訳されて以来長らく絶版で、マニアの間では垂涎の書となっていた。
いくら名作でも、読んでもらえなければ、万人に読まれる愚作よりも日陰者。
海外ミステリの老舗、創元推理文庫で、この数年をかけて、このドロシー・セイヤーズの諸作が新たに翻訳され、ついには、名作「ナイン・テイラーズ」も新訳にて上梓されたわけである。なんていって、話題にしておいてこういう事言うのも変だが、とっくのとう、この文庫が発売されたのは、1998年であったのだが・・
よく言うのだが、私も一時はミステリマニアを自負できるほどのコレクターであった。
当然この稀覯本「ナイン・テイラーズ」(創元世界探偵小説全集・平井呈一訳)も本棚には並んでいたが、いかんせん、数十年前の汚い本だとなかなか読むに至らない事が多い。
結局、私が読破したのは、創元推理文庫の新訳版の方である。
イギリスの文学のにおいを持ちながら、ある事件を追うミステリである。
実はある意味、「つまらない」。
例えば、クイーンやクリスティ、日本だと横溝正史とかのようなトリッキーな謎が提示されるわけではない。
というか、冒頭で紹介した、鳴鐘術の記述が詳しすぎて、キリスト教でない日本人が読むにはかなり退屈な部分もある。
しかし、そういう味付けが、またたまらないという人には高級料理に匹敵する読み物となっている。
本当はある意味人には勧められない傑作なのだが、現代ミステリがどうひっくり返ってもかなわない、古典の崇高さを知りたい人にはうってつけの書物となるだろう。
出来れば、ゆっくりと味わって読んでほしい文学ミステリの古典なのである。
このウン十年の間に読んだ数千冊の本の中でも、百本の指に入れても良い作品である。