見せ物小屋の完結、あるいは、その始まり・・・
光文社文庫版江戸川乱歩全集が完結した。
全30巻。
思えば、この日記を始めた頃に、刊行が始まり、毎月1冊ずつ刊行されるので、買い始め、それに触発されて乱歩の想い出から、見世物小屋の想い出へと話を広げて駄文を綴ったときがある。
ま、いわば、私のお気に入りの追憶の一部分である。
(原文日記はこちら・別ページにまとめた完全版はこちら)
その、文庫ではあるが、本格的な江戸川乱歩の全集が、今、全て揃ったわけである。
江戸川乱歩と言えば、ある意味、見世物小屋なのである。
子供の頃は「少年探偵団」「怪人二十面相」であった。
明智小五郎であった。
小林少年であった。
明智小五郎は小山田宗徳で、二十面相は大平透だったのだ。
鉄の鎧に身を固めた悪魔が闊歩していた記憶もある。
金色に輝く仮面が、まぶしい光景に思えた光景も懐かしい。
塔上の奇術師の笑い声は、夜の夢にまで出て来た覚えがある。
夜の夢・・・
江戸川乱歩の有名な言葉にある。
現世(うつしよ)は夢。
夜の夢こそ真(まこと)。
私たちが、生きている、この現実は実は夢で、
夜寝ているときに見ている夢こそが現実なのだ。
確か、この発想は、乱歩が探偵小説の始祖と仰ぐエドガー・アラン・ポオにあると思われるのだが、言い得て妙な発想である。
と同時に、昨今流行ったあの近未来サスペンス「マトリックス」の舞台設定がまさしくそれだった。
半世紀以上前に、現実の秘密を暴いたのを先見の明というにはあまりにも単純すぎるだろう。
後日、乱歩の作が、少年探偵ものだけではなかったと気づくのだが、そのほとんどが、子供心には、ずいぶんきつい内容であったことは今でも心に焼き付き離れない。
その見世物小屋の数々・・
芋虫。
両手両足をなくした戦傷兵のあまりにも哀れで悲惨な末路。ドルトン・トランポの映画「ジョニーは戦場に行った」が、全く同じ主人公であるのだが、後者は反戦映画というテーマを持ったものであったのに比べて、乱歩のは、何も反戦テーマにしたわけではなく、人間の猟奇性を猟奇的に描いたものであった。しかし、当局の検閲にあい、出版禁止になっていたものである。
屋根裏の散歩者。
屋根裏を徘徊する孤独な青年。節穴からのぞく生活の場面は、ある意味穴の中にだけ存在する幻想だ。毒液を天井からたらして、睡眠する美女を毒殺したら完全な密室殺人が可能だ、という一見ミステリの方向に話は後半で変わってくる。となれば最後は、明智小五郎の登場だ。
人間椅子。
豪奢なソファの中に男が潜んでいる。それに座る、妙齢の美女を、毎日抱きかかえる快楽。そして、黙っていることができず、最後に彼は告白の手紙を送るのであった・・。確かに、今座っているソファの中に人間が潜んでいて、皮一枚を隔てて、淫靡な快楽に浸っていたら、それは恐怖である。現世にはあり得ない幻想の出来事なのである。
そのどれもが、現世を夢ととらえ、では実際の現世はどこにあるのかと言えば、それは夜の夢に他ならないのだ。
光文社文庫の乱歩全集は、全30巻。
各々が600ページを越える大部なもので、長編探偵小説、短編猟奇小説、少年小説の読み物に加え、彼の随筆・評論もほとんど全部網羅した、本格的な「江戸川乱歩全集」である。
探偵小説に関しては、ちょっと、というかかなりこだわりのある自分であると自負しているので、当然のこと乱歩の小説は全部読んでいる。
少年小説は、前述の通り、子供の頃、雑誌「少年」でいくつか読んでいたが、改めて、全部が揃った段階で、是非再読してみたいものの一つであった。
随筆や評論も細切れや、単発の記事等で読んでいたが、まとまったところで読んでみるのもまた一興であろう。
江戸川乱歩再読破。
まあ、老後の楽しみの一つとしよう。
しかし、全30冊。置き場所に困ってます(^_^;