傘の餅
昨日、姉の四十九日の法要が終わりました。お線香を絶やさないようにするのとご飯・おかずをお供えするのは母の役目。高齢でありながらもなんとかやりとげました。私の役目は、いつも綺麗な花を絶やさないようにすることでした。その仕事も昨日で終わり。後飾りの小さな祭壇も、葬儀社さんに今日引き取っていただきました。ところで、「傘の餅」というものをご存知ですか?私たちはこういう形でお供えしました。 四十九日には一升のお餅をついて、それを49個の丸い小餅とそれを積み上げた上にかぶせる傘とに分けます。飾り方・分け方は地方や宗派によって色々あるようで、下段から(16,16,9,4,3,1)と積み上げる、というところもありました。私たちは、上の傘の部分を手でひきちぎって分けて参列者に持って帰ってもらいますが、これも色々とやりかたがあるみたいです。あるサイトでこんな写真を見ました。 お坊さんがお経の後にこんな風に人の形に切り分けてくださり、その場で参列者が分けて食べるそうです。それにしてもこの姿・・すごく物悲しいですよね。こんな形のお餅、私だったら胸につかえて食べられそうにもありません。姉は障害を持っていたから、歩き方も普通ではなかったし人よりも遅かったのです。母はそんな不憫な娘が、死出の旅でも人よりも遅れをとっているのではないかと心配で、よたよたと杖をつきながら必死に歩いている姿をしょっちゅう夢に見るそうです。・・そうなのかな。私としては、通夜の前に湯灌していただいたときに係の方が言ってくださった言葉を信じたいのです。こうして清めたから、生前に持っていた悪い所や病はすべてなくなりました、安心して送ってあげてください、という意味のことを。ともかくも四十九日を終えてこれでひとつの区切りというわけです。亡くなった直後は、もう病院に行かなくてもいいんだと思うとすごく寂しかった。今日からはもうこないだ活けた花はまだ大丈夫かな、つぎはどんな花を持っていこう、と考えなくてもいいと思うとまた寂しい・・でもでも、花はずっと飾ってもいいんですよね。忌明けもしたことだし、これからは思い切りカラフルな花を飾ってあげようっと。