農に対する思い
今から11年前私は体をこわしてしばらく仕事を休みました。長時間労働で心も体もクタクタになりました。食べても もどす くだす。気力はゼロ。「ア~ 何もかもいやだ」「何も考えたくない」・・・・・「何のために生きているんだろう??」「この先どうしたらいいんだろう」そう考え始めたとき数年前から思っていたことがはっきりと頭の中に浮かんできました。それは「自分の食べる米を自分でつくりたい」という思いです。ご縁とタイミングがかさなってトントン拍子に話が進み京都の綾部市で米つくりをスタートすることができました。素足で田んぼに入って田植え!家族みんなで田んぼでおにぎりを食べる♪自然とのつながり、家族とのつながり。自分を見つめ直す時間。農を通して、いろいろなことを体験できました。真夏、草とりをしているとき田畑と野山の中に1人ぽつんと居る自分。「自分も大自然の中のひとつなんだな!草や虫や稲や野菜と同じ立場なんだな。ただ少しだけ体が大きくて能力が発達しているだけ?でも自然環境を壊し続けている人間って本当に賢いって言えるのだろうか」そんなことを考えながらの草とり。私の心と体を元の元気な状態に戻してくれた農!周りの人たちとのコミュニケーションのきっかけをつくってくれた農!米つくり、野菜つくりに感謝しています。先行きの分からない不透明な時代。ストレス社会。こんな時代だからこそ1人でも多くの人に土に触れてほしい、人と会話してほしい。人間は大自然とつながっています。人間は人と人の間に生まれて人に助けられ、人の役に立つことで喜びや生きがい、自分が生きている意味を実感するのだと思います。私は1964年(昭和39年)辰年の10月に生まれました。東京オリンピックが開かれた年です。戦後の焼け跡からみんなが力をあわせて物質的な豊かさを手に入れました。あれから50年の歳月が経ち、今後は、みんなで力を合わせて心の豊かさを体感し物質的にもバランスのとれた時代にしていく。これが今を生きる私たちの役割だと思っています。小学校の教科書に宮澤賢治のこんな話が載っているそうです。(半農半X研究所 塩見直紀さんの2012 辰年年賀状より)***「農」の字の上半分の「曲」は、大工さんの使う曲尺(かねじゃく)のことです。そして下の「辰」は、時という意味です。年とか季節という意味もあります。曲尺(かねじゃく)というのは、直角に曲がったものさしのことだ。それを使うと、一度に二つの方向の寸法が測れる。だから賢治の言葉は、「その年の気候の特徴を、いろいろな角度から見て、しっかりつかむことが大切です。」という意味になる。(以下省略)***農を通して多様性を認め、相互理解を深めお互いを尊重する。土も、微生物も、草も、虫も、鳥も、木も、人間も・・・・・まわりのために、自分の役割を果たしながら生きている。自分も未熟。相手も未熟。だから助け合う、ゆるし合う。そうすれば心も体も徐々にほぐれてくる。2014年は、農林に時間を注ぎましょう。