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カテゴリ:イマジン
鎌倉時代草創期は、生き残りをかけて、裏切りや殺戮がたえない。
2月6日に放送された第5話では、伊豆国司の目代・山木兼隆(木原勝利)の後見で平家方の実力者・堤信遠(吉見一豊)の館を襲うシーンからはじまる。 それまで柔和だった北条時政(坂東彌十郎)が一変。鬼気迫る表情で次男・義時に、「(瀕死の堤を前に)武士の情けじゃ。ひと思いにいけ」「これで終わりじゃねえぞ。はじまったばかりだ」と言い聞かせ、最後は自らの足を使って堤の首をはねる衝撃的なシーンで幕を開けた。 北条時政は石橋山で敗れるて形勢不利とみるや、頼朝の首を差し出して大庭に許してもらおうぜ、とか、甲斐源氏との交渉後、「心が折れた、箱根権現にこもって、静かに暮らそうぜ」とか、義時に愚痴る。 しかし宗時がなくなったことを知って、義時に兄の遺志を告げと託す。 歴史上も、その言動で頼朝から次第に遠ざけられたようだ。 ・『吾妻鏡』は40歳を越えた時政に「介」や都の官位等を付けず、保有武力に関しても石橋山の戦いの頼朝軍の構成を見る限り突出した戦力を有していたとは言いがたい。 ・平治の乱で敗死した源義朝の嫡男・頼朝が伊豆国へ配流された事によりその監視役となる。 妻・牧の方の実家は平頼盛の家人として駿河国大岡牧を知行していた。やがて頼朝と娘の政子が恋仲となり、二人の婚姻を認めることとなり、その結果頼朝の後援者となる。 ・治承4年(1180年)8月17日、頼朝軍は伊豆国目代山木兼隆を襲撃して討ち取った。この襲撃は時政の館が拠点となり、山木館襲撃には時政自身も加わっていた。この襲撃の後頼朝は伊豆国国衙を掌握した。その後、頼朝は三浦氏との合流を図り、8月20日、伊豆を出て土肥実平の所領の相模国土肥郷(神奈川県湯河原町)まで進出した。北条時政父子もほかの伊豆国武士らと共に頼朝に従軍した。しかしその前に平氏方の大庭景親ら3000余騎が立ち塞がった。23日、景親は夜戦を仕掛け、頼朝軍は大敗して四散した(石橋山の戦い)。この時、時政の嫡男・宗時が大庭方の伊東祐親の軍勢に囲まれて討ち死にしている。頼朝、実平らは箱根権現社別当行実に匿われた後に箱根山から真鶴半島へ逃れ、28日、真鶴岬(神奈川県真鶴町)から出航して安房国に脱出した。 ・時政は、頼朝とは一旦離れ、甲斐国に赴き同地で挙兵した武田信義ら甲斐源氏と合流することになった。10月13日、甲斐源氏は時政と共に駿河に進攻し(鉢田の戦い)、房総・武蔵を制圧して勢力を盛り返した頼朝軍も黄瀬川に到達した。頼朝と甲斐源氏の大軍を見た平氏軍からは脱落者が相次ぎ、目立った交戦もないまま平氏軍は敗走することとなった(富士川の戦い)。その後、佐竹氏征伐を経て鎌倉に戻った頼朝は、12月12日、新造の大倉亭に移徙の儀を行い、時政も他の御家人と共に列している。 ・寿永元年(1182年)、頼朝は愛妾・亀の前を伏見広綱の宅に置いて寵愛していたが、頼家出産後にこの事を継母の牧の方から知らされた政子は激怒し、11月10日、牧の方の父・牧宗親に命じて広綱宅を破壊するという事件を起こす。12日、怒った頼朝は宗親を呼び出して叱責し、宗親の髻を切って辱めた。これを知った時政は舅の宗親への仕打ちに怒り、一族を率いて伊豆へ立ち退いた。 ・文治元年(1185年)3月の平氏滅亡で5年近くに及んだ治承・寿永の乱は終結した。 10月18日、後白河院は義経の要請により頼朝追討宣旨を下すが、翌月の義経没落で苦しい状況に追い込まれた。11月24日、頼朝の命を受けた時政は千騎の兵を率いて入京し、頼朝の憤怒を院に告げて交渉に入った。28日に時政は吉田経房を通じ義経らの追捕のためとして「守護・地頭の設置」を認めさせる事に成功する(文治の勅許)。 ・時政の任務は京都の治安維持、平氏残党の捜索、義経問題の処理、朝廷との政治折衝など多岐に渡り、その職務は京都守護と呼ばれるようになる。在京中の時政は郡盗を検非違使庁に渡さず処刑するなど強権的な面も見られた。時政の在任期間は4ヶ月間と短いものだったが、義経失脚後の混乱を収拾して幕府の畿内軍事体制を再構築し、後任に引き継ぐ役割を果たした。 ・鎌倉幕府内の熾烈な権力争いを時政、政子、義時は勝ち抜き、「坂東武者の世を作る、そのテッペンに北条がなる」とドラマで宗時に言わせている時代へ向かう。 💛時政役の坂東彌十郎(65)がイブシ銀のようにその演技が目をみはる。 演芸誌のベテラン記者 「初めてこの役者を見たという視聴者も多かったようですが、歌舞伎界では知る人ぞ知る名役者。ファンからは“やじゅさん”と親しみを込めて呼ばれています」 ・『鎌倉殿』の脚本の三谷幸喜とは、2019年に初仕事をこなしている。 三谷が作・演出した歌舞伎『六月大歌舞伎 月光露針路日本(つきあかりめざすふるさと)風雲児たち』に彌十郎が出演。 「江戸時代に伊勢国からロシアに漂流した日本人団の一人を演じ、その芝居に三谷さんが胸打たれた。この縁で大河への出演が決まったのです」(歌舞伎関係者) ・ドラマの公式ツイッター「義時の父。愛すべき平凡な田舎侍。家族思いで武芸にも長(た)け、いざというときには頼りになる。後妻・りくと二人三脚で、天下取りの大勝負に挑む」 ・彌十郎「歌舞伎に登場する北条時政は、既に執権職に就いており、怖い人物のイメージがありますが、今回はそれ以前から描かれているようで、はじめは権力とは無縁の田舎のいち豪族、そして何より主役の義時の父という重要な役どころです。映像作品への出演経験がほとんどない私ですが、歌舞伎での時政のイメージはすべて消して、三谷さんとご一緒にゼロから作り上げていきたいと思っています。撮影が始まるのを今からワクワクして待っています!」 ・サンドウィッチマンMCの地元の魅力を伝える番組「ロコだけが知っている」(NHK総合)。この日(2022年1月19日)で坂東彌十郎で、VTRで、「政子の産湯の井戸」を紹介する際、リポーターが「ここにはある人にゆかりの井戸がありますが、それは誰でしょう」と出題する前に、「ここには『政子の産湯の井戸』があるんだよ」と先走って発言。さらに、「名物はなんでしょう?」という前に「名物は鮎なんですよ」とまたもや先に答えを言ってしまい、「言っちゃいけなかったんだ」と照れ笑い。 むむ、うっかり本音をいってしまうドラマのキャラ、愛すべき好々爺は、地の坂東彌十郎なのかも。 ・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年02月13日 21時22分06秒
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