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カテゴリ:イマジン
朝、公園で鳥の鳴声がしてそちらにカメラを向けたら写っていた。
野鳥をば撮るのは難しい。ちょっとうれしい。 静岡の友人が左膝が痛むというので、O脚矯正の方法とスロースクワットのやり方の資料をば郵送した。 「資料ありがとうございます。なかなかスロースクワットできないのですが」とあった。 明治期のクリスチャンで新井奥邃(おうすい)という人がいて 「友に対する循環の黙愛」を説いている。 「友に対する循環の黙愛ということがあります。 それは毎日一人づつ、その日は誰を思うというふうにして、 順々に友人のためを思ってそれを繰り返すのです。 しかして決して友人にその事をば知らせないのです。」 友の膝が良くなるよう、また幸せであるよう黙して憶念する。 新井奥邃(おうすい)ー荒井常之進ーという人 新井奥邃という人 新井奥邃という人その2 新井奥邃の文章は格調高くそして難解である。 文は人なり、この人の文と人となりは容易には人を近づけない。 隠路あり、照々の天に宏遠の道より開く。 クライストの微妙の戸なり。 一息開けて億兆相抱くべし。 一息閉ぢて衆星隕越を致さん。 生命の機は一息にあり――意なり。 この文を見るがよい、容易に理解を許さない、しかし何かしら崇高なものを持っていることは感得できる。また文のリズムの心地よさ。 「新井奥邃の人と思想」(播本秀史)にこんなエピソードが載っている。 「弟子のなかで最年長の人が 『どうも頭が古いものですからお書きになったものを読んでもよく分かりません』 と言ったら新井奥邃は 『頭が古くでわからなければ足で読んだらよいではないですか』と大喝した。」 足で読むとは、実践をしなさいということであろうか。 新井奥邃は、独り神と語らい問いかけ祈っているふうがある。 新井奥邃が亡くなった時、枕元から「奉祈」という書が発見された。 それは遺言によって「この祈りの文は予と神との機密に係るもの、必ず世に公にするゆえんのものにあらざるなり。」とある。 これは、第一次世界大戦が起こったとき、この大殺戮の原因をすべて自分ひとりに求め、自らの命をささげようとする祈りである。 「 † ああ父母上よ 我らの罪を赦したまえ † 我が罪大にして深し 我が心は震動し 我が意は困憊す 悲しみその痛みを極め 頭脳明を見るあたわず † (略) † 我らの心は不良なり 我が性は死せり 母上よ父上よああ我らの神よ † 我ら今実際に父母上の御家において壊乱の罪を暴犯しつつあり † 神の子女を無数に殺戮す いかんぞ震怒を免れんや † 世界の悲惨その責誠に予が身に在り この予が身に在る責を世は知らず ただ我が父母神のみこれを知りたまいぬ † 我が罪深し千刑万死に常る (以下略) (これはイエスが世の人々のために罪をあがない、死んだことに倣っているのであろうか。 まさにイエスであればこのように自分を誅して万民を赦すよう神に祈ったに違いない。 そして新井奥邃は神を父上母上と呼ぶのである。 最後の文では大父母と呼ぶ。 尊徳先生は大父母とは天地のことだと言われた。父母のその父母、またその父母とたどると天地にいたる、これを大父母、元の父母と呼ぶと。 この発想は新井奥邃は全く同じように思われる。) † ああ貴神大父母よ 神の天地の再新のために我をして罪人の死を主上において死せしめたまえ 願わんと欲してこの身ああ今その力なし 1914年記 1918年自写 不孝子」 最後の「不孝子」というのがいかにも奥邃のそうした神に対して父母に対する子として臨んでいたことを感得させる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年05月17日 19時13分20秒
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