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2022年06月18日
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・世間の人の願いはかなえられない。 願ってもかなわない事を願うからである。
・仏説は面白い。
受けた恩を忘れず、早く未来の種を願えと説く。
私も不止不転・循環の理を説く。


二宮翁夜話巻の3
【32】翁曰く、常人の情願は、固(もと)より遂ぐべからず、
願ひても叶(かな)はざる事を願へばなり、
常人は皆金銭の少きを憂ひて、只多からん事を願ふ、若し金銭をして、人々願ふ処の如く多からしめば、何ぞ砂石と異ならんや、
斯の如く金銭多くば、草鞋一足の代、銭一把(は)、旅泊一夜の代、銭一背負(せおひ)なるべし、
金銭の多きに過ぐるは、不弁利の到りと云ふべし、
常人の願望は、斯の如き事多し、
願ふても叶はず、叶ふて益なき事なり、
世の中は金銭の少きこそ、面白けれ。


【32】尊徳先生がおっしゃった。
世間の人の願いは、もとより遂げられない。
願ってもかなわない事を願うからである。
世間の人は皆金銭の少いことを憂えて、ただ多い事を願う。
もし金銭を、人々が願うように多くするならば、どうして砂石と異なることがあろうか。
このように金銭が多ければ、草鞋一足の代金が銭一把(は)、旅宿の一夜の代金が銭一背おいとなるであろう。
金銭の多すぎるのは、不便利の至りというべきである。
世間の人の願望は、このような事が多い。
願ってもかなわず、かなっても益がない。
世の中は金銭が少いことが、面白いのだ。
【33】翁曰く、
仏説面白し、
今近く譬へを取つて云はゞ、豆の前世は草なり、草の前世は豆なり、と云ふが如し、
故に豆粒に向へば、汝は元草の化身なるぞ、疑はしく思はゞ、汝が過去を説いて聞かせん、
汝が前世は草にして、某の国某の村某が畑に生れて、雨風を凌ぎ炎暑を厭ひ草に覆はれ、兄弟を間引かれ、辛苦患難を経て、豆粒となりたる汝なるぞ、
此の畑主の大恩を忘れず、又此の草の恩を能く思ひて、早く此の豆粒の世を捨てて元の草となり、繁茂せん事を願へ、
此の豆粒の世は、仮の宿りぞ、未来の草の世こそ大事なれと云ふが如し、
又草に向へば汝が前世は種なるぞ、
此の種の大恩に依て、今草と生まれ、枝を発し葉を出し肥を吸ひ露を受け、花を開くに至れり、
此の恩を忘れず、早く未来の種を願へ、
此の世は苦の世界にして、風雨寒暑の患ひあり、早く未来の種となり、風雨寒暑を知らず、水火の患ひもなき土蔵の中に、住する身となれと云ふが如し、
予仏道を知らずといへ共、大凡此の如くなるべし、
而して世界の百草、種になれば生ずる萌しあり、生れば育つ萌しあり、育てば花咲く萌しあり、花さけば実を結ぶ萌しあり、実を結べば落る萌しあり、落れば又生ずる萌しあり、是を不止不転循環の理と云ふ。

【33】尊徳先生はおっしゃった、
仏説は面白い。
今近くたとえるならば、
豆の前世は草なり、草の前世は豆なり、というようなものだ。
だから豆粒に向えば、なんじは元は草の化身である、
疑わしく思うならば、なんじの過去を説いて聞かせよう。
なんじの前世は草であって、だれだれの国のだれだれの村のだれだれの畑に生れて、
雨風をしのぎ、炎暑を厭って草におおわれ、兄弟をまびかれ、辛苦・患難をへて、豆粒となったなんじであるぞ。
この畑主の大恩を忘れないで、またこの草の恩をよく思って、早くこの豆粒の世を捨てて元の草となって、繁茂する事を願え、
この豆粒の世は、仮の宿りであるぞ、未来の草の世こそが大事であるというようなものだ。
また草に向ってはなんじが前世は種であるぞ、
この種の大恩によって、今草と生れて、枝を発し葉を出し肥を吸って露を受け、花を開くに至ったのだ
この恩を忘れないで、早く未来の種を願え
この世は苦の世界であって、風雨寒暑の患いがある、早く未来の種となって、風雨寒暑を知らず、水火の患いもない土蔵の中に、住する身となれというようなものだ。
私は仏道を知らないけれども、おおよそこのようであろう。
そして世界の百草は、種になれば生ずるきざしがある、生ずてば育つきざしがある、育てば花が咲くきざしがある、花が咲けば実を結ぶきざしがある、実を結べば落るきざしがある、落ればまた生ずるきざしがある、これを不止不転・循環の理というのだ。
*二宮金次郎を民間から登用した小田原藩の君主大久保忠真候は天明元(1780)年12月に誕生した。
尊徳先生より、7歳年長にあたる。
大久保候は、大阪城代、京都所司代を勤め、老中に登りつめるのであるが、京都所司代の折は、宮中・公家と交わって近来稀な和歌の名手としてたたえられた。
その和歌にちなんで「霞の侍従」「曙の侍従」と別名をもって呼ばれたほどであった。
その没後7年目に編集された和歌集「春鶯集」から年代をつけて、いくつか紹介してみよう。
文化7年(29歳)
早春鶯 三冬つきはる立ぬればわが宿の垣の外面に鶯ぞなく
なにはに在て春夕故郷という事を
     思ひ出るわが古郷もかくやあらむ難波わたりの霞む夕暮
難波にありける頃月の歌
     古郷の空なつかしみ十六夜の月にもおもふ武蔵のゝ秋
☆大久保忠真候の歌には結構故郷を懐かしんだ歌が多い。
 大阪城代、京都所司代、老中と勤め、自藩にとどまることが少なかったのだ。
文化8年(30歳)
暮春  山の端のかすみも薄く立わかれ残り少きはるをしそおもふ
文化10年(32歳)
箱根路の花とて紙に押ておこせたる人のもとへ
     古郷は鄙にしあれど花垣に君かこゝろの匂ふ嬉しさ
雪ふりける日故郷の人に逢て
     難波かたなにと語むしら雪のふるさと人につもるこゝろを
女のもとによみて遣しける
     時の間も見ぬは恋しき人垣にけふの夕をまちそかねぬる
恋のこゝろを
     朝な夕な軒端を過るまつ風におもふあたりの音信もかな
女のもとへ
     くれて行春は惜まし我はたゝ妹にあふちの花をこそまて
☆恋や女性を歌った歌はこの年に多く出てくる。
文化12年(34歳)
故郷初春 立かへる松の緑も青によしならの都の春の初空
ある人の東へまかる馬のはなむけに
       旅ころもこれも弥生の春の空花に霞に袖匂ふらし
碓氷峠を越る日雨降ければ
       旅衣うすひの御坂越行は袂涼しく雨そふり来る
夜あくる頃諏訪の湖を見やりて
       横雲のわかるゝ色も諏訪の湖のみとりにうつり合にけり
木曾の山路を下りて
       こゝろさへ平になりぬ信濃路の木曾の御坂を越尽しては
☆中仙道を使って江戸へ往復することが多かったのだ。
文化14年(36歳)
初春霞 栄行民の朝けのけふりより都の空も霞そめたり
神無月廿日あまり仙洞の御園見せさせたまふに立ならへる木々の紅葉満も残さず散も初す山のたゝすまひ御池のさまなととりどりにいはん方なし・・・・
悠然台 賑へる都の民の夕けふり冬も長閑にかすむとそ見る
☆この歌によって「霞の侍従」と呼ばれるようになる。仁徳天皇の故事を踏まえて、自身詠んだ「初春霞」の歌をベースとしているように思われる。
こよろきの古郷にいたりて二日とゝまりしに年久しく難波または都にまかりければ国のまつり事をはしめてよろつのことくまくましけれと又来むこともいつとしらねば何くれといそかはしさに
    身にかへてとはにそおもふ萬民所を得つゝとみ栄へなむ
☆忠真候の歌はほとんど自然を対象としていたが、このころから領主として小田原藩の民の生活に思いをはせた歌が出てくる。
月蝕   あやまたは改めぬべき理をみるとか
文政元年
・8月 老中となる。
・11月 酒匂川河原で二宮らを表彰する





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最終更新日  2022年06月18日 09時16分06秒



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