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カテゴリ:報徳記&二宮翁夜話
2022年7月17日(日)
報徳記巻の2 現代語訳「報徳記」巻の2 【7】先生辻門井二邑の里正を教諭す 常州(茨城県)眞壁郡辻村の庄屋を源左衛門といい、同郡門井村の庄屋を藤蔵という。二村ともに旗本の斎藤某(鍬太)の領地であった。 斎藤氏は経済状態が苦しく負債が多く、領地に命じて今年に来年の租税を先納させ、それだけでなく時々用金と称して、人民の財産を取ることに節度がなかった。このため二村の民は困難貧苦にたえきれなくて亡民となり、戸数が減少し土地は荒れ果て貧窮がきわまった。 庄屋は何度も憐れみ地頭に求めたが許さない。豊年でも十分に食が足らなかった。 隣村はこれを見て悲歎が止まなかった。庄屋は貧しい人々を倒してまで主の求めに応ずるに忍びず、自分の財産でこれを補ったが、地頭の費用はいよいよ足らず、満足することもなく求めることは止まなかった。源左衛門と藤蔵は大変に君の不仁・無慈悲を怨んで語って言った。庄屋というものは村民を安らかにすることを主な任務とする。だからたびたび貧しい人々のために憐れみを請うた。しかし地頭が慈しみがなく二村から取ることが限りがない。どうして衰えた村の貧民の米金で限りない求めに応ずることができようか。我らもまた貧しい人々と共に亡び滅することは遠きではない。それなのに二宮先生が三村の衰廃を起し、その民をかわいがり大事に育てる事は、父母が子を恵むようである。すぐに桜町に往って物井村の民となるならば後に栄えることは疑いないだろう。早く苛酷な苦しみをのがれ、仁徳をそなえた人の民となるほうがよいと。そこで二人ともに桜町に来て、人の道にそむいたひどい行いのために立ちがたくなっていることを嘆いて、物井村の民となることを請うた。 先生は深く憐れまれて、二人にこう教えられた。 「お前達の今日の不幸は実に憐れむべきではあるが、祖先以来の居住の地を去って、この土地の民になることを求めるのはおおいに道を失っている。今私が臣民たるものの道を教えよう。 およそ上(かみ)君となり、下(しも)臣民となるもの、本来は一物であって二物ではない。たとえば、一本の木の根と幹と枝と葉が離れることができないようなものだ。だから根が朽ちる時は、枝や葉はひとり全うできない。枝や葉が枯れる時は、根もまた全うすることができない。お前達は数百年来、君となり、民となって、平穏無事に相続してきたのは一朝一夕の縁ではない。祖先以来の主の恩を顧みる時は、それは大きいと思うか、小さいと思うか、はたして大と思うならば、お前の一世の力を残さずこれに報いても、どうして百分の一も報いる事ができよう。そうであるのに今、怨みの心を懐くものは他でもない。君は君であり民は自から民であるとし、利を主として義を忘れ、財だけを見て恩を顧みないためである。このために地頭の艱難に当って、君主の憂いを憂いとしないで、ただその厳しい求めをのがれようと謀る。どうしてこれが難に当って臣民の義を尽す道であろうか。それに万物は皆すべて盛んになったり衰えたりすることがある。天地間に存在するすべてのものは限りがなくても、一物も自然の盛衰存亡を免れるものはない。国に盛衰があり、家に盛衰があり、人に盛衰がある、このために盛んであるものは必ず衰え、存するものは必ず滅し、生あるものは必ず死ぬ。これが天地自然の道である。そうであれば、お前の主君の家がどうしてひとり盛衰がないことができよう。お前の村だけどうして盛衰がないことがあろう。お前の家だけどうして盛衰を免れよう。お前の主君の家は以前必ず盛んであったであろう。だから今、衰えるべきその時のまわりあわせが来て必要な費用が不足し、このためにやむを得ず、領地に取って不足を補っているのだ。領主が盛んである時には領地もまた盛んである。領主が衰える時は村もまた衰れる。主君が富む時は、めぐみは下に及び、主君が困窮する時には下がその憂いを受けることは、たとえば枝や葉がしぼみ枯れて、根もまた朽ちるようなものだ。だから忠臣・良民は主君の艱難に当っては、身命をなげうってその憂いを除き、祖先歴代の高恩に報いようとする。力が足らなければ死してのちに止む。米穀や家財を報いるなど言うに足りない。 今、主君がめぐみ憐れむ心が薄く、多欲でむさぼるといっても、その領地に求めるだけである、だから領地の物を取りつくすに及んでは、その求めは必ず止むであろう。たきぎが尽きれば火も消えるようなものだ。お前達は時のまわりあわせを知らないで、また祖先以来受けた所の大恩を顧みてこれに報じようとする心もなく、たきぎを抱いて火に向い、火が消えるのを求めるようなものだ。早く抱いたたきぎを火中に投じるならば、たきぎは尽きて火は燃えるところがなく、主君の求めも止む事に何の疑いがあろう。このために家財や田畑を一物も残さず、君に差し出してその不足を補うがよい。しかし主君の行うところを怨む心があって、これを出す時は、誠心の行いではない。従来受けた恩に報ずることを主とし、主君の家のためだけに計らい、所有する田畑、家屋、器財をことごとく売払い、その価格も低い時は主君の利益が少なく、価格が高い時は主君の利益が多い。だから心を尽し、高価に売払うがよい。これが主君の家が衰える時に当って、正しく臣民として行うべき常道である。家の存亡は必ず自然の数があって逃れることができない。お前達の家は滅ぶ時が来ているのだ。そうであればたとえ道理を知らないで、知謀でいったんは主君の求めを免れたとしても、子孫にならずものが出るに及んで必ず家を失うであろう。子孫のならずもののために失うより、主君の艱難の一助ともなし、良民として報恩の道を行うがよい。いやしくもこのようであれば神明もこれを感じ、人もあわれみ、後に必ず廃家再興の時が来るであろう。これもまた自然のことわりである。 もしこの善行をなさないで自ら滅するのを待つのは、主君と財を争い、家を滅ぼし、恩を知らない無道の者となり、主君もまたしもじもの民を虐待するという汚名をあらわすにいたるであろう。誠に嘆くべきいたりではないか。お前達はこの二者のうち、どれを是とし、どれを非とするか。もしこの言葉を是とするならばすぐに主君に差出して、その後に領主に嘆願するがよい。その時、こう言うがよい。ただいま主君の家の艱難に当って恩を報ずるため力を尽してこれ補い、主君のご苦労を安らかにしようと念願しましたが、貧民の微力ではできかねます。少しで報恩の一端にも足らないと思いますが、衣類・家財・田畑に至るまで残す所なくこれを売り払って、なお少しでも価格が多いように主君のわずかな補いとなる事を願って、四方にかけまわって、高価に売払いましたのでこれをさしあげます。しかし主君の艱苦がどうしてこのわずかなお金で補うに足りましょう。私たち二村の庄屋として諸民に先だって、主君の家のために家を廃してこれを献じます。諸民もこれにならって、次第に家を廃し、献じることは疑いありません。主君があって民があり、民があって主君もまた安らかにできます。ですから二村の民がことごとく退散するようになっては、田畑が荒廃し、租税の出る所がなく、主君の家の禍いはますます深くなることでしょう。これが私たちの悲嘆が止みがたい所です。仰ぎ願わくは主君の賢明をもって後栄の道を慮ってくださり、先君への孝道を全くしていただくならば、私達の喜びはこれに過ぎるものはありません。今一家をなげうって主君の命を奉じます。明日から道路に立っても、もとより私達の甘んずる所です。そうして主君がもし私達を憐んで、領地の中の居住を許してくださるならば幸いです。困窮が極まり飢えや寒さをまぬがれがたいとしても、数百年来、代々君恩に浴し、相続してまいりました。名残り惜しく故郷を去るに忍びません。 このために村人の家を借りて、その余った田を耕して永く君の領地に居住することを願うのですと。 領主がこれを許すならば主君の善心が自ら発動して永安の道も生じるであろう。そうであればお前達も村の余った田を耕して、あるいは荒地を開いて、精神力を尽して耕作するがよい。必ず天の恵みを得て再び相続の道を生じよう。よく努力し、よく慎んで、いよいよ主君の恩を忘れてはならない。 もしこのように嘆願しても、主君が許さなければどうしようもない。君民の道が既に尽きたのである。 ここにおいてやむことを得なければ、妻子とともに当村に来るがよい。 もと十石を所有すれば十石の民とし、五〇石を所有すれば、五〇石の民とし、百石の所有であれば必ず百石の田畑を与え、以前有する家財に至るまですべてこれを与えよう。 そもそも天下の人民はおのおのその主君につかえて田を耕し租税を納め一家を経営する。 その主君がたとえ道を踏んでいないとしても、下としてこれを怨むべき道はない。 そうであるのに怨む心を発して、家財を持って来るものをいれて、この地の民となす時は、その領主に対して信義の道が立つことができない。かつ衰運にあって、まさに滅びようとする原因を抱いて来る者は、たとえどのような多くの幸いを与えても原因が尽きていないから、再び災害が並び起こって、滅亡に及ぶことは天理自然であって疑いない。だから私はこのような者を受けないのだ。 そして領主の憂いを憂い、報恩のために良民の道を尽して、一家一物も残らず主君に差し出し、一身をいれる地がなくなって来るに及んでは、まさに滅びようとする因縁がここに滅している。だから新たに幸福を与える時は必ず再び栄えることは疑いない。その領主もまたこのような良民を廃棄し、領地の居住をも許さない時は、この地の民としても、何のさしつかえがあろう。 お前達はこの道理を了解し断然として私心を去って、この道を行うがよい。 もし私の言葉を疑って行なうことができないで主君と家財を争って、主君を怨んで自分を是とし、禍いを免れることを計画するならば、数年を待たないで、必ず亡びるであろう。お前達はこれを疑い惑ってはならない」と。 二人はこれを聞いて感動し、その教えに従いますと言った。 後、源左衛門は私心を去ることができず、地頭を怨んで、財を出さず、地頭はこれを放逐した。 終に家を失って他国に逃亡した。藤蔵はこの教えを尊び信じて主君の命が来れば時刻を移すことなく残らず家・財産を差出そうとした。ある時に使者が用金の督促の命を受けて門井村に来た。藤蔵の誠意を聞いて、命を伝えないで帰った。後再び来たが命を発することができなかった。 一家滅亡の禍いを免れて、今に至るまで一家を保全している。 ある人が先生に質問した。先生がその未だ起こらないことを察し、教えを下して、きわめてわずかな違いもないことはどうしてでしょうか。 先生は言われた。「そもそも大風が起こるときは木に触れて動揺が止まない、その木を伐れば暴風もこれに触れることができないのは自然ではないか。 易経にいう。『同声相応じ同気相求む。水は湿に流れ、火は燥につく』 と。 主君は多欲でその求めは厭くことがない。源左衛門は、私の言葉を用いないで、欲でこれに応じた。 だから滅亡を免れなかった。藤蔵は欲をきって更に私念がなかった、だから多欲もこれに触れることができずに全うする事ができた。自然の道理は、過去と未来を論ずることなくてもおのずから明らかではないか。どうして違うことがあろうか。」 令和4年5月8日現在 「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー 全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行) 国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県 鹿児島県奄美、沖縄県 市区町村立図書館 図書館 (北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、 (青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市 (岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、 (宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町 (福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町 (栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、 (茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町 (群馬県)2館 館林市、渋川市 (埼玉県)1館 所沢市 (千葉県)2館 市原市、流山市 (神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町 (新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市 (長野県)1館 白馬村 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最終更新日
2022年07月18日 20時33分51秒
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