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カテゴリ:報徳記&二宮翁夜話
御所・寝殿。
北条義時は高らかに12人の名を呼び「並びに江間義時。以上、13名でございます」。 “13人衆”が一堂に会した。 梶原景時「これより訴訟取り次ぎはこの13人によって執り行います」。 「鎌倉殿の13人」13人衆は一堂に会したのか?時代考証・木下竜馬氏が最速解説 頼家と13人の合議制 [ 2022年7月17日 頼家「平三、聞いていた話とは違うな。 むしろ誰か1人に力が集まらないので、好都合だ。のう、小四郎。 しかし、私は騙されない。丸め込んだつもりでいたかもしれんが、小四郎、端からわしはおまえたちを信じてはおらぬ。 父上は最後まで御家人に心を許してはおられなかった。わしも同じだ。 平三、残念だ」 頼家は時連や頼時ら6人の若武者を招き入れた。 頼家「わしが選んだ。手足となって働いてくれる者たちだ。信じられるのは、こやつらだけよ。これより、わしの政はわしとこの者たちで行う。もちろん、おまえたちと切磋琢磨してのことだ。新しい鎌倉を、皆で築いて参ろうではないか」 景時「頼朝様は、いささか亡くなるのが早すぎましたな」 頼家に訴訟の取り次ぎを行う「13人の合議制」が導入されたことは、「吾妻鏡」の正治元年(1199年)4月12日の記事にある。 「様々な訴訟については、羽林(りうん、源頼家)が直に決断されることを停止し、今後は大小の事については北条殿(時政)・同四郎主(義時)ならびに兵庫頭(ひょうごのかみ)(中原)広元・大夫属(たゆうのさかん)入道康信(三善康信)・掃部頭(かもんのかみ)(藤原)親能(在京している)・三浦介義澄・八田右衛門尉知家・和田左衛門尉義盛・比企右衛門尉能員・藤九郎入道蓮西(安達盛長)・足立左衛門尉遠元・梶原平三景時・民部大夫(二階堂)行政らが談合を行って、計らい処理する。その他の物が理由もなく訴訟のことを(頼家に)取り次いではならない、と定められたという」(吉川弘文館「現代語訳 吾妻鏡」より)(※当時、大江広元は中原姓、中原親能は藤原姓) ドラマの時代考証を担当する1人、東京大学史料編纂所助教の木下竜馬氏 「何か新たな文献が発見されたということでもないんですが、『吾妻鏡』の読み直しが進んで“頼家も意外とデキる人物だったんじゃないか”という再評価の動きが、この10年ぐらいで出てきました。その前に、まず1980年代ぐらいに研究が精緻になって、北条氏の傀儡とされてきた3代将軍・実朝の再評価が始まったんです。初代・頼朝はもともと評価が高かったので、その間の2代・頼家も見直してみようと。今まで素通りしてきた『吾妻鏡』の記事を足元から丁寧に読んでいくと、案外、通説とは違う一面が見えてきたんです」 「『吾妻鏡』では、頼家が乱暴なことをする記事と、北条泰時が立派なことをいう記事が対照的に配置されています。これは、頼家の暗君ぶりと比べて、泰時、ひいては北条氏の素晴らしさを目立たせようとする後世のプロパガンダではないかと考えられるようになりました」 「頼家=暗君」と捉えれば「13人の合議制=頼家の政治関与を排除するシステム」になるが、木下氏は「それが18歳の若き頼家を支え、補佐するためのものという新説が出てきたんです」と説いた。「訴訟の取り次ぎを13人に限るが、最終判断は頼家がする、というのは新説の立場です。しかし、頼家はそれを自分の政治権力が蔑ろにされていると感じる。これは旧説の立場。旧説と新説の2つの見方をドラマの中でぶつけて緊張感を出しているのは、三谷さんの力です」 「問題なのは、13人全員が鎌倉で揃って会議をしていたのかどうか。その記述は『吾妻鏡』にはないので、今ひとつハッキリしません」 キーポイントとなったのは「吾妻鏡」にある「談合を行って」という文言の解釈。 「『談合』の意味を『複数人が集まって相談する』と取れば、『13人が一堂に会して会議をしなかった』とは必ずしも言えないんじゃないか。『13人が一堂に会した』シーンをドラマで描くのもアリなのではないか。私としては、そう考えています。時代考証の会議でも、この『吾妻鏡』の解釈をめぐっては、ちょっとした研究会のような議論になっていましたね(笑)」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年07月23日 19時40分58秒
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