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⑤ 難村救済⑴ 山名郡堀越村〔現袋井市堀越〕は、村高八八五石五斗一升六合、田の反別八〇町六反八畝一三歩、畑の反別一〇町一反九畝二二歩、戸数一〇四戸人口三七五人。弘化、嘉永の頃より村政がはなはだしく乱れ、風俗は頽廃の極に達してしまいました。当時、堀越村の村民は年貢が納められないため、村高の過半を地頭渡邊家へ土地を没収されていました。そのため農業は日々に衰退し、村民は不義を行っていました。村内に生産した米麦は村民の需要を充たすに足らないため、村民は連帯して高利の米を借り入れ、その返済は秋の時期、米価が下落の時に行うために、米一俵の元利金に当てるのに一俵半ないし三俵余も売却しなければならないようになりました。その時の名主役永井五郎作がこれを憂い、岡田佐平治について教えをこい、一村の興復をはかるには、報徳社を起すことが急であると感じて、駿河の人荒井由蔵を招いて村民を永井五郎作の家に集めて連日連夜報徳の道義を聞かせました。その結果、ようやく四二名の者が議定書に調印して結社を見るにいたりました。明治五年(一八七二)二月のことです。その社員数は一村の戸数より計算するとまだ半数に達していませんでしたが、村役人を始め主だった者が加盟したことから、一村に対して優勢で百事報徳社の決議を行う事ができるようになりました。従来村費は村役人の専断によって不正の費用を徴収し、村民の衝突を生じて常に村内の不和を醸成していました。永井五郎作は、これを憂い、一方には地主の公選により数名の村総代を設け、村費の賦課に立ち合わせ、費目の明細録を調製し、各地主に配布して疑心を無くさせました。他方では村費の大節減を行い、土地の負担を軽減し、その徴収日を一日間と定めて厳格に実行しました。費目が明瞭となり、土地負担が減少したことから、村民は大いに満足しました。これは岡田佐平治の教訓を実行したものです。また短期の年限を定め、すべて飲食の失費を節倹すべきだという教えに基いて、最初五か年を期して、飲食に関する倹約を実行しました。その一、婚姻披露の際に祝い酒を供することを厳禁する。その二、葬式の際に酒飯を供することを厳禁する。その他、あぜ道の改築、水路の開さく等を企画し、耕作灌漑の利便を得させ、大いに農業改良の道を講じて、かたわら農業に精出す者に農具を与えて表彰しました。また永井五郎作は、私田二反余歩を農業に出精する者に無税で耕作し収穫させるなど、農業の奨励法を行いました。このために村の人気は日に順調で良好に向かい、社運は年をおって隆盛におもむきました。明治三二年(一八九九)耕地整理を実行させたので、わずか三年間で土地台帳の整理も完成し、大いにその効果をあげるに至りました。また善業者賞与及び天災地変等非常の災害をこうむったものの救済並びに社員が死亡した際における祭祀料の贈与に関する規定を設けた。明治三十六年に至るまでに支出した金額は次のとおりです。
2022年06月26日
紀念二峰圳百年 10款伏流水特色加工品亮相出版時間 2022/06/21屏東の農業と経済が引き続き豊かになることを記念して、県政府は屏東科技大学とメーカーに二豊運河の流水を利用した10の特殊加工品を開発し、100年の歴史を持つ運河に新しい生命を吹き込みました。屏東県の潘夢安県長は、日本人技師鳥居信平が二豊運河の設計と建設に生態学的な採水方法を用い、来迎郷の部族に恩恵を与えたと述べた。潘は、10種類の特殊加工品はいずれも数量限定であり、二豊運河の水は非売品で、通常は人々の生活用水としてのみ使用されていると指摘した。 参加校やメーカーが、炭酸水、醤油、醤油ペースト、ビール、豆腐、豆腐乳、パイナップルのドライフルーツ、生菓子パールなど、流水を使ったさまざまな製品を開発したことに感謝します」。
二峰圳百年 屏東飲水思源潘孟安2022年6月21日2021年、台湾は56年に一度の干ばつに見舞われるが、西部の県で水不足を免れているのは屏東だけである。1922年6月13日、日本人技師・鳥居信平が二峰圳を設計し、林邊溪上流で正式に灌漑用水路として開通した。2017年、県政府は県の資金を使って謎を解き明かし、100年前に使われていた古代の方法に従って元の水源を復元した。2022年6月13日、屏東は全国で初めて、数百年の歴史を持つ富力流水の知恵を受け継ぎ、独自の「富力流水模範場」を建設し、林邊溪下流で正式に開水する予定である。 水道の成功は、多くの人の思いが結集したものです。水脈の成功は、多くの人々の努力と献身が結集したものであり、産官学が一体となって歴史的な瞬間に立ち会うことができました。 また、台湾では水が不足していないこと、不足しているのは水資源の利用と保存であり、地域、地区、国境を越えた協力により、現代の屏東は水産業を活発に発展させて、人々が水の流れに従って新しい道を見つけることができることを改めて証明するものです。また、県政府は水道水の普及を進め、2014年末の就任時の47.7%から現在64%に達し、新たに約42,500世帯が水道水を利用し、村人の負担を減らし、おいしい水を使いやすく、飲みやすくしています。
2022年6月26日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【八】川副氏采邑青木邑の衰廃を興す その7先生(せんせい)曰(いは)く、無頼(ぶらい)の習慣(しふかん)己(すで)に久矣(ひさし)、今(いま)一時(じ)の約言(やくげん)何(なん)ぞ永年(ながねん)を保(たも)つことを得(え)んや。人情(にんじやう)困苦(こんく)に迫(せま)る時(とき)は艱(かん)苦(く)の業(げふ)も厭(いと)はずと雖(いへど)も、少(すこ)しく欲(ほつ)する所(ところ)を得(う)るに至(いた)りては、忽然(こつぜん)惰(だ)心(しん)を発(はつ)し、旧弊(きうへい)再(ふたゝ)び起(おこ)るもの也(なり)。汝(なんぢ)安(いづく)んぞ後年(こうねん)の憂(うれひ)なきを保(たも)たんや。一旦(たん)再興(さいこう)の大業(だいげふ)を挙(あ)げて後(のち)廃棄(はいき)に至(いた)らば、寧(むし)ろ其(そ)の初(はじめ)より止(や)むには如(し)かざるなりと。邑(いふ)民(みん)、何等(なんら)の苦行(くぎやう)にも堪(た)へんと云(い)ひて歎願(たんがん)止(や)まず。先生(せんせい)曰(いは)く、汝等(なんぢら)衰村(すゐそん)を興(おこ)さんことは甚(はなは)だ難(かた)し。目今(もくこん)其(そ)の易(やす)き事(こと)をも為(な)さずして、其(そ)の難(かた)きことを為(な)さんとするは惑(まどひ)にあらずや。今(いま)其(そ)の易(やす)き者(もの)を示(しめ)さん。汝(なんぢ)邑(いふ)民(みん)目下(もくか)の良田(りやうでん)蕪莱(ぶらい)し、葭(よし)茅(かや)茂盛(もせい)し、冬(ふゆ)に至(いた)れば野火(のび)茅(かや)を焼(や)き、之(これ)が為(ため)に民家(みんか)を焼亡(せうぼう)するもの数々(かずかず)なりと聞(き)く、仮令(たとひ)開田(かいでん)耕耘(かううん)の力(ちから)足(た)らずと雖(いへど)も、此(こ)の茅(かや)を刈(か)る何(なん)の難(かた)きことか有(あ)らん。而(しか)して之(これ)を刈(か)らず、家(いへ)をも灰燼(くわいじん)となし他(た)邦(はう)に流(りう)離(り)す。何(なん)ぞ愚(ぐ)の甚(はなはだ)しきや。一邑(むら)再興(さいこう)の事(こと)は暫(しばら)く措(お)き、先(ま)づ火災(くわさい)の本(もと)たる茅(かや)を刈(か)るべし。刈(か)り畢(をわ)らば我(わ)れ用(もち)ゐる所(ところ)あり、至当(したう)の代価(だいか)を以(もつ)て之(これ)を買(か)ふべし。汝(なんぢ)能(よ)くするや否(いな)や。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください「富士山が二重の傘を被っていたよ、ほら」「空がきれい」「そこじゃなくて二重の傘は珍しい!」まあ、人の感動は人々それぞれ、みんな違ってみんないい帰ってから『駿州報徳の師父と三遠農学社』の静岡県報徳社事蹟の表をエクセルで作成し、ワードの原稿に貼り付ける。当初図表省略方針だったが、貼り付けると見た目がいいし、努力し工夫した感がある。
(六) 遠江国報徳社③ 殖産興業⑴ 小笠郡中内田村森組報徳社社長浅羽平八及び社員の発起に係る共益製茶販売組合は社員が製造した緑茶を収集してこれを精選して箱詰にして横浜に販売する。始め森組報徳社員の製茶に限って共同販売を行っていたが、次第に拡張して一般に及んで大いに横浜貿易商の信用を博し、製茶販売の上に大きな利益を得た。明治三十六年の販売代金は十四万円以上に達し、年ごとに盛況を呈するようになる。小笠郡地方は皆共益社の法にならって各所に製茶共同販売組合を設置するようになる。これは報徳社員浅羽平八とその弟平九郎が率先尽力した所に起因します。⑵ 掛川信用組合は遠江国報徳社長岡田良一郎が唱して創立した所です。始め同人が佐野城東郡長だった時に、報徳の方法によって勧業資金の法を設け、一口を金十円と定め、十か年出金し、五分利で利殖し一千口を募集し、荒地開墾、工業資本、道路堤防改善等公共事業に貸し付ける目的で経営し、十年で資本金はすでに一万一千余円に及びました。そして溜池費に五千六百円、道路改修費に一千三百四十円、開墾費に千四百五十円、その他勧農上に貸付を行ったもの二千六百十円で、実効ようやく明らかになろうとするに当たりその取扱いを嘱託した資産金貸付所の組織変更と共に一時解散することが止むをえなくなる。そこで掛川信用組合と改称し、資本総額を十五万円と定め、一口の金額を五十円とし、積立利子を七朱、貸付利子を八朱と定めてこれを行い、。数日で満員となる。明治三十六年十二月現在、資金九万九千三百六十三円九十一銭、組合員四百九十二人に達しています。⑶ 見付町報徳社はこの法にならって、報徳社連合信用組合を設置して金融上非常な便利を得ています。明治三十六年十二月現在資金二万二千六百九十四円四十銭組合員二百二十一人。組長は故遠江国報徳社副社長伊藤七郎平が兼ねました。⑷ 浜松町報徳信用組合は明治三十五年の設立で、明治三十六年十二月現在、資金四千四百三十八円七十銭、組合員二十七人皆報徳社員の発起に係るものです。⑸ 東京小名木川の日本精製糖会社は遠江国報徳社員鈴木藤三郎の創立で、資本金二百万円を有する日本第一の精糖所です。鈴木藤三郎による特殊な発明は純白な氷砂糖です。始め藤三郎は資本金が少ない菓子商でしたが、森町報徳社に加入し商業の真理を悟って、いわゆる元値商いの法によって次第に商業が繁盛し、かたわら氷砂糖の製造に熱心に努めました。時に野州今市に二宮尊徳の法会がありました。藤三郎はこれにおもむいた帰り道、宇都宮の旅宿において隣室に宿泊していた学生の化学談を聞いて、大いに悟るところがありました。これによって純白透明な氷砂糖を製造することができました。これから工場を改造し、大いにその業を拡張し、後に東京に移住して、遂に今日の大成をなすに至りました。藤三郎は氷砂糖製造を二宮神霊のたまものとし、厚く報徳の道を信じ、毎月一回報徳会を小名木川の自宅に開いて工場の役員を始めとし、職工等を集めて報徳談を行い、勤倹貯蓄を奨励し、兼ねて恩恵を職工に施したため、報徳の教えはその間に行われました。藤三郎は現在同会社の専務取締役で、資産は数万円に及びます。同志者の吉川長三郎もまた同社の取締として藤三郎と心を合わせて協力しています。吉川もまた遠江国報徳社の社員です。⑹ 掛川農学社は岡田良一郎外数名が発起する所で、明治十一年に開設しました。道徳を勧め農事を奨励することを目的とします。良一郎がその社長です。毎月第一日曜日を定例日とし講話会を開き、風俗改善及び農事改良の講演をします。その他田畑試作農産物共進会(毎月一回定会)牛耕、塩水撰種法、種苗交換は勿論勧業義田法、農家年中行事表、勧農俚謡集会等の書籍を出版して、これを会員に頒布し、その風俗及び農事の改良に利益する所が少なくなかった。明治三十五年四月財団法人の認可を受けて遠江国報徳社と協議合同して公会堂を建設し、明治三十六年四月落成式を挙行した。浜松第一館、見付第二館と併立し、これを報徳社の本社と定めた。その他遠江国周智郡森町城下、同国榛原郡静波、駿河国志太郡青島、三河国八名郡豊津に各出張所を設置して毎月一回講演を行う。掛川公会堂建築費一万千六百二十九円十七銭三厘、静波出張所建築資金二千三百二十円、外に農学社資金一千三百二十五円合計金一万五千百八十四円十七銭三厘はすべて寄付による金円です。
2022年06月25日
三遠農学社を受け継ぐ人々―山崎延吉 山崎延吉は愛知県立農林学校の初代校長である。愛知県の安城市一帯が「日本のデンマーク」と呼ばれるほど農業先進地になったのは、農業改善に力を尽くした山崎の力が大きい。 山崎は大正七年、三遠農学社社長となった。愛知県に三遠農学社主義が普及するのに山崎の功績は大きい。『』に「三遠農学社との関係」が載る。三遠農学社の成立の由来とその後について述べる。「三遠農学社は、その成立は古く、静岡県と愛知県にわたり、報徳を奉ずる民間の有力者、篤農家をもって作った団体である。農事の改良、人心の変化、農村の振興のために多大の貢献をしている。山崎は社長として長年努力をはらった。 三遠農学社はその始め、農学誠報社といい、ついで西遠農学社と呼び、後に三遠農学社と呼ぶようになった。その主意は安居院庄七と成田勇次郎の報徳の遺教である。 初め両氏は遠江に来て、二宮尊徳の教えを伝え、松島授三郎は多年これに師事し、明治十二年八月農学誠報社を創立し、同志を集めて報徳と農業を講習した。明治15年組織を改めて西遠農学社と呼び、社員の内外を問わず、広く各地に農談会を開き、農業を勧め、風俗を篤からしめた。次第に盛大となり、明治20年4月規模を拡大して、三遠農学社と称するにいたった。 三遠農学社の事績には推称すべきものが多い。特に明治15年より巡回員を派遣し、各地に農談会を開くこと92回、毎年100回以上150回、この他三河、伊勢等にも巡回員を送って農談会を開き、そして明治19年には、広く公衆に図書を貸与して、奨学修養に役立てた。この年の9月、社長野末九八郎が死去し、松島授三郎が社長となる。明治20年には、米麦試作委員を置いて、その結果を報告させる事として、更に麦・茶・繭の品評会を開催した。明治22年天龍川の堤防が破れ、洪水が氾濫して種もみを失ったので、広くこれを募集して75俵を得て、更に寄付金も得て、罹災地にわかち、明治24年には、三遠農学社耕作法を定め、米麦栽培の方法を示して、農事の改良をはかるとともに、伊勢、三河等にも招かれて、毎年農談会を開いていた。その年の社員の所在数は、肥後、佐渡、越前、美濃、尾張、信濃、伊勢、三河、遠江、伊豆、駿河、相模、武蔵にわたり、非常に発展して社員数1万有余に及び、各地に支社を置くことになった。すなわち三河に宝飯支社、及び東三支社、駿河に西駿支社等である。明治31年社長松島授三郎が死去し、渡瀬友三郎が社長となり、遠州に中遠支社、遠江に西遠支社の創立があった。全社員二万人を超えた。大正6年社長渡瀬友三郎が死去し、大正7年9月山崎が社長として推薦された。大正7年、遠州に大正支社が設立される。この所に現在活動する支社の名前をあげれば次のとおりである。東三支社(愛知野田)支社長 河井要太郎中遠支社(静岡中泉)支社長 金子 律平大正支社(浜名豊西)支社長 袴田鹿太郎 西遠支社(浜名芳川)支部長 水谷 熊吉 このように三遠農学社は、古い光輝の歴史と業績を持ち、毎年支社及び本社の大会が開かれ、互いに研究し、協力し、農事の発達、農村振興のために全力をあげている。」「三遠農学社の今昔 天地の恵みに感謝し、深い宇宙の生命に触れて農業を愛し、苦心の経験談を歓迎されては、手弁当に農談会に奔走した、隆盛の三遠農学社も、大正の初め頃よりやや衰運をみた。それは時代の変遷によるもので、各地に系統的農事は組織だち、学理を基にした農事の改良が主唱され、人は実利主義にめざめて労働を忌み、堆積肥料が金肥万能となり、産業の経営も変化した。人は農民の道を重んじないで、経済主義を第一とした。しかし金肥万能が土壌を酸性にして作物の生育を害し、病害虫を増やすように、実利一点張りの個人主義が農村を荒廃させた。天地の心を忘れて、農民の精神的基礎が壊れたことが、農村の悲境である。人心は萎縮し、農村は行き詰った。生気ある野の力に、尊農愛村の大義は守られる。今や農民は天地の道を道とする農民の道にめざめなければならない時がきた。。このように三遠農学社社長山崎先生は、農民の道の自覚を叫ばれていた。」
2022年6月25日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【八】川副氏采邑青木邑の衰廃を興す その6我(わ)が方法(はうはふ)は節倹(せつけん)以(もつ)て冗費(じようひ)を省(はぶ)き、有余(いうよ)を生(しやう)じ、他(た)の艱(かん)苦(く)を救(すく)ひ、各(かく)其(そ)の業(げふ)を勉励(べんれい)刻苦(こつく)、終身(しうしん)善行(ぜんかう)を履(ふ)み、悪業(あくげふ)を為(な)さず、勤動(きんどう)以(もつ)て一家(か)を全(まつたう)するにあり。戸々(こゝ)此(こ)の如(ごと)くならば貧(ひん)村(そん)必(かなら)ず富(と)ますべく、廃亡(はいぼう)の邑(いふ)里(り)と雖(いへど)も必(かなら)ず興(こう)復(ふく)再盛(さいせい)に至(いた)るなり。然(しか)して汝(なんぢ)の邑(むら)の如(ごと)きは我(わ)が再興(さいこう)の道(みち)と反対(はんたい)せり。其(そ)の窮(きゆう)苦(く)は憫然(びんぜん)なりと雖(いへど)も自業自得(じごふじとく)、他(た)より如何(いかに)ともなすべからざるもの也(なり)。汝(なんぢ)ら再(ふたた)び来(く)ること勿(なか)れと教誨(けうくわい)す。勘右衛門(かんうゑもん)涕泣(ていきう)して曰(いは)く、邑(いふ)民(みん)の無頼(ぶらい)実(じつ)に高諭(かうゆ)の如(ごと)し。然(しか)れども今(いま)一邑(むら)再興(さいこう)の大業(だいげふ)を請願(せいぐわん)するに至(いた)りては、旧来(きうらい)の懶惰(らんだ)を改(あらた)め、示教(しけう)を得(え)て以(もつ)て粉骨(ふんこつ)の労(らう)を尽(つく)し、艱(かん)苦(く)に堪(た)へ、再興(さいこう)の業(げふ)に従事(じうじ)せんと誓約(せいやく)の上(うへ)歎願(たんぐわん)せり。冀(こひねがは)くは先生(せんせい)の許容(きよよう)あらんことを。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください💛最近、エクストラバージン・オリーブオイルから新成分が発見されている。聖路加病院の日野原先生は、オリーブオイルに含まれるオレイン酸に注目し、毎朝コップ1杯の100%果汁のジュースに大さじ1杯のオリーブオイルを入れて飲んでいた。わたしも、それにならって シーカーサー・ジュースにエクストラバージン・オリーブオイルをたらして飲んでから、サイクリングにでかけたのどに刺激を与える消炎成分をオリーブオイルから発見エクストラバージン・オリーブオイルには天然の消炎成分が含まれており、そのせいで、のどが焼け付くようなピリピリした独特の感覚を与えるのだという仮説を証明するため、モネル研は、別のスポンサー企業のフィルメニッヒ社(スイスの香料メーカー)と共に、新たに大規模な共同研究を開始しました。そして2005年、学術雑誌『ネイチャー』にこの仮説を実証したレポートを発表し、ピリピリ感の原因が「オレオカンタール」という成分だと報告しました。「オレオカンタール」は私たちのつくった造語で、Oleoはオリーブ、canthは刺激、alはアルデヒドを示しています。オレオカンタールの薬学的特性:アルツハイマー病やがんを含むさまざまな炎症性疾患のインビトロ・モデル(実験室など人工的な環境での実験モデル)で、この成分の薬効を実証する論文が次々に発表されるようになっています。・オレオカンタールには、癌を予防する効果もあることが報告されており、2015年に癌細胞にオレオカンタールを加えると、癌細胞が死滅することが発見されています。しかもその効果には即効性があり、オレオカンタールを投与された癌細胞は30分~1時間以内での死滅が確認されているのです。実は、オレオカンタールには細胞内にあるゴミ箱の役目を果たすリソソームと呼ばれる器官を壊す作用があり、そのゴミ箱の中には毒性の強い物質も含まれているため、オレオカンタールによるゴミ箱の破壊により癌さ細胞そのものが死滅するとされています。しかも、このオレオカンタールによる細胞の死滅はがん細胞だけに確認されているものであり、正常の細胞には一切害を及ぼさないのです。ただし、このオレオカンタールの良い効果を得るのであれば、加熱すると含まれる成分が低下してしまうため、上質なエキストラバージンオイルを加熱せずに利用する必要があります。12月の第9回報徳講座に向けてテキスト『駿州報徳の師父と三遠農学社』作成に取り掛かっている。この「報徳の師父」シリーズの構想は、二転三転していてもう、数年かけているが、なんとか今年12月の第九回報徳講座のテキストにするつもりで取り組んでいる。以前、I先生に「中学生からお年寄りまで読める分かりやすい本を書いてください」と言われたことがあった。その後、「二宮金次郎の対話と手紙」や「シナリオで読む砂糖王鈴木藤三郎」で「中学生からお年寄りまでよくわかる」を心がけて作成したが、いまだに実現できていない。せめてはと魔法の言葉に気持ちを託す。『報徳の師父シリーズ が完成しました、感謝します。中学生からお年寄りまで良く分かる本ができました、感謝します』と(・∀・)
エンゼルス・大谷 全米が驚いた2日間、歴史刻み続ける二刀流 MLB初8打点&13K6/24(金) ア・リーグ エンゼルス5―0ロイヤルズ(2022年6月22日 アナハイム) 二刀流ならではの2夜連続での活躍は、衝撃をもって伝えられた。エンゼルス・大谷の3ラン2発を含む8打点からの、8回零封13奪三振。大リーグ公式サイトは「Historic 2―game Sho:8RBIs,new―high 13K’s!(歴史的な2試合のショー、8打点から新たな新記録13奪三振)」のタイトルで「二刀流のスターがロイヤルズ打線を8回無失点で沈黙させた」と報じた。元ヤンキースの左腕で通算251勝のCC・サバシア氏(41)も、大谷の活躍にすぐさま反応。ツイッターに「ある夜に2本塁打で8打点。そして次の日に2安打13奪三振で勝利投手とは…」と驚きを交えてつづり「Shohei Ohtani is ridiculous(ばかげている、とんでもない)!!!」と拍手などの絵文字とともに書き込んだ。また、「セントルイス・ポストディスパッチ」のダニエル・ゲレーロ記者はツイッターで「ショウヘイ・オオタニが実在の人物だとは100年後の人たちは信じないだろう」と投稿した。 「CBSスポーツ」のニック・パルコ氏も「昨日は8打点、ヤツは別の惑星から来た」と驚嘆。「FOXスポーツ」のアナリストであるベン・バーランダー氏が「HOW IS POSSIBLE?!?(こんなこと可能なの?)」とするなど、米メディアから驚きの声が続出した。
2022年06月24日
2022年6月24日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【八】川副氏采邑青木邑の衰廃を興す その5柳(りう)助(すけ)、勘右衛門(かんうゑもん)村民(そんみん)を率(ひき)ゐて桜町(さくらまち)に到(いた)り、一邑(むら)再興(さいこう)の方法(はうはふ)を請(こ)ふ。時(とき)に天保(てんぽう)三年(ねん)なり。先生(せんせい)暇(いとま)なきを以(もつ)て之(これ)を辞(じ)す。邑(いふ)民(みん)屡(しばしば)請(こ)ひて止(や)まず。先生(せんせい)曰(いは)く、汝(なんぢ)の邑(むら)衰廃(すゐはい)極(きはま)るもの、独(ひと)り田(た)水(みづ)を失(うしな)ひ、農事(のうじ)を勤(つと)むること能(あた)はざるのみに非(あら)ず。何(なん)ぞ用水(ようすゐ)なくんば従前(じゆうぜん)の田(た)を畑(はた)と為(な)し、多(おほ)く雑穀(ざつこく)を得(え)て活計(くわつけい)をなさゞるや。豈(あに)人命(じんめい)を養(やしな)ふもの、独(ひと)り稲梁(たうりやう)耳(のみ)ならん。百穀(こく)皆(みな)生命(せいめい)を養(やしな)ふもの也(なり)。而(しか)して田(た)水(みづ)乏(とぼ)しきを口実(こうじつ)となし、良田(りやうでん)を蕪没(ぶぼつ)に帰(き)して顧(かへり)みず、博奕(ばくえき)を事(こと)とし、他(た)の財(ざい)を借(か)り、一時(じ)の窮(きゆう)を補(おぎな)はんとす。是(これ)家々(いへいへ)絶窮(ぜつきゆう)、遂(つひ)に離散(りさん)する所以(ゆゑん)にあらずや。抑々(そもそも)博奕(ばくえき)なるもの富家(ふうか)と雖(いへど)も祖先(そせん)伝来(でんらい)の家(いへ)株(かぶ)を傾覆(けいふく)するに至(いた)る。況(いはん)や貧人(ひんじん)にして此(こ)の悪業(あくげふ)を為(な)す、其(そ)の亡滅(ぼうめつ)迅速(じんそく)ならざるを得(え)ず。且(かつ)田(た)水(みづ)なきを以(もつ)て良田(りやうでん)を荒(あら)し、衣食(いしよく)なきを憂(うれ)ふ。夫(そ)れ田圃(でんぼ)は衣食(いしよく)の本(もと)也(なり)。其(そ)の根本(こんぽん)を棄(す)てゝ以(もつ)て他(た)に求(もと)む。猶(なほ)井(ゐ)を塞(ふさ)ぎて水(みづ)を求(もとむ)るが如(ごと)し。何(いづ)れの時(とき)か之(これ)を得(え)んや。農力(のうりよく)勧(すゝ)み、糞培(ふんばい)怠(おこた)らざる時(とき)は、圃(ぼ)の有(いう)益(えき)たる田(た)に勝(まさ)れり。何(なん)ぞや田(た)は一作(さく)に止(と)まり、圃(ほ)は両毛作(りようけさく)なればなり。汝等(なんぢら)農(のう)を以(もつ)て業(げふ)とす、素(もと)より畑(はた)の有益(いうえき)を知(し)らざるには非(あら)ず。知(し)りて而(しか)して耕耘(かううん)せざるは他(た)無(な)し、其(そ)の労苦(らうく)を厭(いと)ひ、怠惰(たいだ)を旨(むね)とし労(らう)せずして米(べい)財(ざい)を貪(むさぼ)らんとするが為(た)め也(なり)。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください今日も曇天。最近眠れないので、妻だけでなく自分にも足裏マッサージを施す。ネットで調べると失眠と湧泉のツボにヒット、ゾーンでいうと生殖腺と副腎に当たる。副交感神経を優位にして眠りに誘うということらしい。失眠のツボは目新しいので早速自分で押し具合を試し妻に施すと寝息をたてて寝入る。私自身はいまいち、少し色々押してみよう。
<鎌倉殿の13人>小池栄子「汗びっしょり」 政子と丹後局の面会シーン 鈴木京香には「さすが」と“最敬礼”6/22(水)第24回、頼朝が2度目の上洛を果たす。政子は、帝の后になることを決意した娘の大姫(南沙良さん)と共に同行。丹後局と対面するも、その場で丹後局は、政子と大姫を「田舎者」呼ばわりし、政子に対しては、「あなたはただの東夷。その娘がたやすく入内(じゅだい)などできるとお思いか」「そなたの娘など、帝からすればあまたいる女子(おなご)の一人にすぎぬのじゃ、それを忘れるな」 丹後局は、大姫にも、高貴な生まれのほかの姫たちとの“生存競争”に勝たなくてはいけないという厳しい現実を突きつけ、その覚悟があるのかを、すごみを利かせて問うと、「頼朝卿に伝えよ。武力をかさに着て何事も押し通せるとは思われぬようにと」と ドラマの公式ツイッターでは、政子役の小池さんの音声コメントが公開。「苦しかったです。汗びっしょりになりました」「何をしゃべっても空回りしそうな雰囲気に追い込まれて(笑い)。丹後局が四方八方にいて、私たちを囲んでいるみたいな雰囲気がありましたね。『さすが』と思いました」と丹後局役の鈴木さんに深い敬意を払う。 脚本の三谷幸喜さんも「すごく楽しみにしていた」といい、政子としては「『これを乗り越えていかなきゃいけないんだな』『もう戻れないんだな』という恐怖みたいなものを感じましたね」としつつ、「自分でモニターを見ながら『政子のし上がったな』と思いましたね(笑い)」とも語った。💛丹後局のものいいは、のちに承久の変をひきおこす後鳥羽上皇のものいいをよびおこす。そして東胡(あずまえびす)は「武力をかさに着て何事も押し通す」ことになる。
2022年06月23日
2022年6月23日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【八】川副氏采邑青木邑の衰廃を興す その4曾(かつ)て聞(き)く、物井村(ものゐむら)陣屋(じんや)詰(づめ)の二宮(にのみや)先生(せんせい)、相模(さがみ)小田原(をだはら)侯(こう)の命(めい)を以(もつ)て桜町(さくらまち)に至(いた)り、数年(すうねん)にして三邑(いふ)を興復(こうふく)し、邑民(いふみん)を安撫(あんぶ)すること、父母(ふぼ)の其(そ)の子(こ)を保(ほ)するが如(ごと)しと。其(そ)の事業(じげふ)誰(たれ)か感動(かんどう)せざらんや。我輩(わがはい)物井(ものゐ)に往(いつ)て再興(さいこう)の方法(はうはふ)を歎願(たんぐわん)せば、先生(せんせい)は仁者(じんしや)なり、憐愍(れんみん)の処置(しよち)なしと謂(い)ふべからず。果(はた)して許諾(きよだく)あらば是(こ)の廃堰(はいえん)も挙(あ)ぐべく、荒蕪(くわうぶ)も開(ひら)くべく、邑(いふ)民(みん)の困苦(こんく)をも免(まぬが)るべし。然(しか)れども先生(せんせい)は他(た)の誠(せい)、不誠(ふせい)を察(さつ)観(くわん)すること明鏡(めいきやう)の如(ごと)しと。故(ゆゑ)に懇願(こんぐわん)のもの純(じゆん)誠(せい)にあらざれば、百度(たび)歎願(たんぐわん)すと雖(いへど)も断(だん)然(ぜん)許諾(きよだく)せず。故(ゆゑ)に此(こ)の願(ねがひ)の成否(せいひ)は先生(せんせい)にあらずして、当邑(とういふ)一同(だう)の一心(しん)にあり。各(おのおの)の思慮(しりよ)如何(いか)んと。邑(いふ)民(みん)応(こた)へて曰(いは)く、素(もと)より冀望(きぼう)する所(ところ)なり、速(すみやか)に歎願(たんぐわん)せんと云(い)ふ。勘右衛門(かんうゑもん)曰(いは)く、我等(われら)の請願(せいぐわん)而己(のみ)にては是(これ)相対(あひたい)の如(ごと)くにして先生(せんせい)許容(きよよう)ある可(べか)らず。地頭(ぢとう)よりの依頼(いらい)に非(あらざ)れば不可(ふか)也(なり)と。直(たゞち)に出都(しゆつと)此(こ)の条(でう)を川副(かはそへ)某(ぼう)へ具陳(ぐちん)す。川副(かわそへ)氏(し)大(おほ)いに悦(よろこ)び、時(とき)の用役(ようやく)並木(なみき)柳(りう)助(すけ)に命(めい)じ、直書(ぢきしよ)を以(もつ)て依頼(いらい)せしむ。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください
ウクライナ軍、黒海制海権握る拠点のロシア軍に「甚大な損害」と発表6/22(水) ウクライナ軍は21日、露軍が支配する黒海沿岸のズメイヌイ島を集中攻撃し、露軍のレーダー基地などに「甚大な損害」を与えたと発表した。ウクライナ国営のウクルインフォルムなどが報じた。ズメイヌイ島は侵攻開始直後、露軍が占領。ロシア、ウクライナ両軍にとって黒海の制海権を握るための重要な拠点で、激しい攻防が続いている。米宇宙開発企業「マクサー・テクノロジーズ」は同日、ズメイヌイ島にある軍事設備とみられる建造物が倒壊したとする衛星写真を公表している。・ロシア国防省は21日、ウクライナが空挺部隊で島に上陸を試みたが、阻止したと発表した。 同省報道官によると、ウクライナ軍は20日朝、南部の港湾都市オデッサの西方などから島に向けて弾道ミサイルを発射し、攻撃用無人機の支援で空挺部隊が上陸を試みた。上陸は阻んだとしている。プーチンを震えあがらせる“高機動ロケット砲システム”「ハイマース」本当の実力6/22(水)「NATO軍の155ミリ榴弾砲なら40キロ先の目標を砲撃できます。一方MLRSからは無誘導のロケット弾の他に、ATACMS(陸軍戦術ミサイルシステム)という、射程300キロの精密誘導ミサイルを発射できます。弾頭にはBAT(対装甲子爆弾)が複数詰め込まれ、この子爆弾も地上の装甲車両を認識しピンポイントで車両を破壊します。もちろん、ATACMSはHIMARSからも発射できます」「ゴジラが神奈川県川崎市の武蔵小杉付近に現れると、自衛隊はMLRSでロケットを静岡県御殿場市から発射、ゴジラに命中させるシーンがあります。しかし、実はこれでも直線距離で約70キロに過ぎません。武蔵小杉から300キロなら、三重県の四日市市あたりが約280キロです」 アメリカはウクライナに対し、高機動ロケット砲システム「HIMARS(ハイマース)」を供与すると明らかにしている。三重県から神奈川県の敵軍をピンポイント攻撃できるというわけだ。これだけでも性能の高さがよく分かる。「アメリカは射程80キロのロケット弾しか供与しないと決めました。300キロの戦術ミサイルだとロシア領内の攻撃も容易になるため、プーチン大統領が強く反発してしまう。あくまでも東部戦線に限定して使わせる、とロシアにメッセージを送った格好です。300キロが80キロになった影響は、非常に大きいと言えます」要するに神奈川県川崎市の武蔵小杉付近に現れたゴジラを静岡県御殿場市から発射して攻撃するイメージ?
2022年06月22日
三遠農学社の八老農 松嶋授三郎 『引佐麁玉有功者列伝』「三老農伝」に松嶋授三郎の事績を述べられている。「松嶋授三郎は遠江国豊田郡羽鳥村の人である。明治8年に引佐郡伊平村に移住する。家は薬屋を生業としたが、その志は通常の商人の類ではなかった。明治12年伊平村に博徒がのさばって博打を行い、村の良民を誘って惰民の巣窟となるありさまだった。村長の山本宗次郎は松嶋に相談した。松嶋は「民を治めるには水を治めるようにするべきだ。速やかに効果をあげようとすればかえって破れるおそれがある。徐々に計を実施するほうがよいでしょう」といってその方法を述べた。村長はその計に感じて、村民を導くことを松嶋に託した。松嶋は野末九八郎とはかり農学誠報社を組織し、野末を社長にした。社は専ら農業を奨励し、道徳を講じ村民を教化することを基本とし、数年力を尽くしたところ、村民はついに誠実で人情に厚い風俗にかえった。明治14年9月には大迫静岡県県令より金円を賜って、誠報社の功績を称した。松嶋は常にこう思った。「人民が怠惰に流れれば救わなければならない。農業が振るなければ振興しなければならない。古語に『人心これ危うく、道心これ微かなり』という。道心は回復しなければならない。これは皆な偶然に起るではない。その由って来る所について計を施さなければ、よい結果を観ることができない」。そこで明治15年9月に率先して松嶋の居村伊平村に西遠農学社を組織し、農学の研磨を行うとともに道学の講究を兼ねた。松嶋はまた自邸の内に夜学を開き、学生数十名に教授した。書籍器具その他の費用はすべて松嶋が支弁した。始め西遠農学社を起そうとして賛助者と共に社員を募ると続々と賛成を得てその数は既に千有余名に至った。なお加盟を願う者は、日一日と増加したため、更に同郡の気賀・奥山の両所に支社を設け、毎月一回常会を開いた。また各地有志者の要求で松嶋は社員を率いて出張した。今や松嶋が説くのを聞こうとする者は、遠州の佐野・周智・豊田・長上・敷知・麁玉・引佐の七郡及び三河の八名・設楽二郡にまたがり、その開会にあたって来会する者は、多いときは七、八百名以上、少ないときも百名を下らなかった。明治16年11月に松島十湖は公務のため静岡におもむいて永峯大書記官に面会し、話のついでに農学社の事に及ぶと永峯は大変喜んで維持金を賜った。関口県令も金と直筆の書を賜った。ああ西遠農学社がよい結果をもたらし、栄えたものは松嶋が率先し鼓舞したからだ。しかし松嶋はこれを自負する色が無く、かえって自分の功績が現れることを恐れるようであった。松嶋の謙譲のほどを察するべきである。 これより先、明治元年数月雨が続き天竜川の堤防が決壊し、数十か村が氾濫し田圃家屋が流された。豊田郡中善地羽鳥・石原はその被害がひどかった。石原村は耕すに土地なく、食べるに食物なく、活路を失する者が全村中半ばに至った。里正小栗清九郎の門に哀れみをこうた。小栗は松嶋に相談した。松嶋「百金を私に貸せ。私は困窮した人々を仕事につかせよう」。小栗「百金で多くの人の命を救えればどうして惜しもう。しかし人々に分配すれば一二両に過ぎない。どうしてその凍えや飢えを救うことができよう」。松嶋「私に策がある。憂えるな」。松嶋は下石田村の神谷與平次とはかり、人々を集めて言った。「今寒い時で老幼は野外で仕事ができない。壮者よ、今困窮に逢う、非常の勉励をすべし非常の艱苦を忍ぶべし。私はいま衆のために一策がある。私が行うところにならって背いてはならない」。松嶋は自らもっこをにない、水害にかかった荒地の起き返しに従事した。人々と困苦を共にし、終日安んじなかった。その得た賃金で各々家族を養わせた。翌年4月麦が熟し、人々の困窮を救うことができた。明治18年7月風雨が暴烈で数週にわたり、天竜川の堤防が決壊し、豊田郡西部及び長上郡の村落は浸水した。田植えの時節で、水が減じても苗は腐敗し生育しない。松嶋は言った。「ああ共に救いあうのは人生の通義である。私は農業にまかせる者で傍観する時ではない」。名倉藤三郎・早戸仙次郎・井村又三郎等と西遠農学社の社員にはかり東奔西走し昼夜の別なく各戸の残苗を集め、二万数千把を得て、すぐに被害村落に贈ってその窮を救った。氏の人となり勇壮活発、人の良い言葉や善行を挙げ、道義を講じ、殖産興業を談じた。雄弁で聞く者は感嘆した。人がその経歴を問うと笑って答えない。私はある人の家政が退廃するのを見て挽回しようとして失敗した。私が羽鳥村にいた時、全村に関する訴訟があり総代に選ばれ中泉県令の庁に到り悟る所があり、総代の任を辞し、以来訴訟の事に関わらないなど数事を語るのみだった。松嶋が自任し務める所は報徳の道と農桑を世に拡張せんとするにあった。」
大谷が土壇場で同点3ラン、二塁走者ウェードが思わず取っていた実際の行動米大リーグ・エンゼルスの大谷翔平投手は21日(日本時間22日)、本拠地ロイヤルズ戦に「3番・DH」で先発出場。2本塁打を含む4打数3安打8打点と大爆発した。3点を追う9回1死一、二塁には、右翼席へ同点の15号3ラン。7-10の9回1死一、二塁。大谷は追い込まれてから相手の7番手バーローのカーブを捉えた。打球速度113.5マイル(約182.6キロ)、飛距離438フィート(約133.5メートル)の豪快15号3ラン。振り抜いた大谷も確信の仁王立ちだったが、二塁走者のタイラー・ウェイドは両手を挙げて歓喜。仕事を忘れたかように走りもせずに打球を見つめていた。
大谷翔平 衝撃同点弾!現地実況「スゴォイ!」興奮しすぎて実況にならず ベンチで「ウィンク」も話題6/22(水) 同点15号3ランの際には、本人の感情も爆発。打った瞬間にベンチに向かって指差しポーズをする。エンゼルスの大谷翔平投手(27)は21日(日本時間22日)、本拠地エンゼルスタジアムでのロイヤルズ戦に「3番・DH」でスタメン出場。第1打席で2試合連続安打となる中前打を放つと、第3打席では34打席ぶりの本塁打となる14号3ラン。さらに9回の第5打席では同点15号3ランを放ち、今季4度目の1試合2本塁打をマークした。自身最多となる8打点も記録した。土壇場で同点に追いつく値千金の1発。打った瞬間に本塁打と分かる強烈な一発に、現地の実況も「Shohei Ohtani!!He has got it!!WOW!!スゴォイ!!」と大絶叫。「ショーヘイ!!ザ・パワー!アンビリーバブル!!ユニコーンがやったぞ!」と称賛の限りを尽くした単語を連発して大興奮。あまりのすごさにもはや実況にならない様子で、球場も総立ちとなった。
「片瀬だより」第150号に「鎌倉時代、江ノ島に登場する人々の足跡を辿る」(堀 浩侃著)が載っている。編集後記には「鎌倉時代と江ノ島にまつわるお話の連載が始まりました」とある。読んでみると、「鎌倉殿の十三人」の登場人物のしらなかったプチ史実が満載で面白い。・「吾妻鏡」によれば、養和2年(1182)4月、源頼朝を筆頭に江の島の岩屋に参詣し、京都高尾神護寺の文覚上人を招いて、奥州藤原秀衡討伐の戦勝祈願を行い、岩屋本殿に宇賀弁才を勧請し、鳥居を寄進している。この時、頼朝、文覚上人、北条殿(時政)、足立右馬允(遠元)、和田小太郎(義盛)とその側近の佐々木定綱、佐々木盛綱が登場している。💛大河では頼朝が文覚上人を呼び寄せて藤原秀衡の調伏を行う場面があるが、史実に基づいているのだ(^^)足立右馬允(遠元)*って、ピンとこないのだが・・・なるほど、頼朝が今日から呼び寄せて政子らに京都の作法を教授した人。実衣ちゃんに「最も得体が知れない」とか、剣技について「案外できる」とか評される人。実衣ちゃんの発する言葉や問いは、本質をついて時に人を凍り付かせる。『八重さんと言えば...爺様は何であんな事になってしまわれたの?』『北条の家は、誰が継ぐんですか?』『私が何か言ったら、静まり返る決まりでもあるんですか?』*足立氏は武蔵国足立郡を本拠地とした在地豪族遠元の父・藤原遠兼が土着し、遠元から足立氏を名乗った。(現在の東京都足立区から埼玉県北足立郡に跨る地域、遠元の父・藤原遠兼(ふじわらのとおかね)がこの地域に住み、この遠兼の代から「足立」の地名をそのまま姓にした。つまり現在の足立区もこの地名に由来するということか)平治の乱(1159)では、源義朝(頼朝の父)に従い、右馬允(うまのじょう)に任官し源義平(頼朝の長兄)率いる17騎の一人として戦った。治承4年(1180)8月挙兵した頼朝から前もって命を受けて10月2日には迎えに出向き、10月8日に足立郡を本領安堵される。遠元は、鎌倉幕府の公文所(公文書の管理などを行う役所・後の政所)にも寄人(役人)として登用され、合戦の功に対して右馬允という官位を与えられた。頼家が2代将軍になった際の「13人の合議制」の1人にも選ばれている。遠元は、御家人であり関東武士団の1人ながら、武家社会ばかりでなく、公家などの社会にも深い繋がり・人脈を持っていた。遠元は、行政事務の取扱にも手慣れた対応ができる文官的な資質をも有していた。なお、遠元については『吾妻鏡』によれば、承元元年(1207)3月3日の「闘鶏会参加」の記事に出席したことが最後に、こうした資料から姿を消す。恐らく70歳代の高齢になっていたと思われるので、この前後に死没したと見られている。つまり大江広元と同様に、次々と政敵から消されていくなかを生き延びる稀有な人の一人であったのである。
2022年6月22日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【八】川副氏采邑青木邑の衰廃を興す その3邑(むら)の里正(りせい)を舘野(たての)勘右衛門(かんうゑもん)と云(い)ふ。性(せい)廉直(れんちよく)篤実(とくじつ)にして、大(おほ)いに衰邑(すゐいふ)亡地(ぼうち)に至(いた)らんとするを憂(うれ)ひ、再(さい)復(ふく)の事(こと)を謀(はか)ると雖(いへど)も貧(ひん)村(そん)の力(ちから)如何(いかに)とも為(な)すべからず。桜町(さくらまち)陣屋(ぢんや)を去(さ)ることを僅(わづか)に三里(り)、故(ゆゑ)に先生(せんせい)の良法(りよはふ)三邑(いふ)再興(さいこう)の事業(じげふ)を聞(き)き、邑(いふ)民(みん)を会(くわい)し諭(さと)して曰(いは)く、我邑(わがむら)の衰頽(すゐたい)既(すで)に極(きはま)る。是(これ)独(ひと)り人民(じんみん)の力(ちから)足(た)らざるのみに非(あら)ず。桜川(さくらがは)の堰(せき)破壊(はくわい)、闔村(かふそん)の用水(ようすゐ)を失(うしな)ひ、水田(すゐでん)悉(ことごと)く蕪没(ぶぼつ)に帰(き)し、戸(こ)戸(ゝ)耕耘(こううん)を得(え)ず。故(ゆゑ)に衣食(いしよく)欠乏(けつぼふ)、往々(おうおう)家産(かさん)を破(やぶ)り流民(りうみん)となる。今(いま)にして衰廃(すゐはい)、再興(さいこう)の道(みち)を謀(はか)らざれば、八百石(こく)の邑(むら)亡滅(ぼうめつ)に至(いたら)んこと必(ひつ)せり。然(しか)りと雖(いへど)も、愚(ぐ)不肖(ふせう)貧弱(ひんじやく)の力(ちから)を以(もつ)て何事(なにごと)をか成(な)し得(え)んや。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください💛「片瀬だより」第150号に「鎌倉時代、江ノ島に登場する人々の足跡を辿る」(堀 浩侃著)が載っている。編集後記には「鎌倉時代と江ノ島にまつわるお話の連載が始まりました」とある。読んでみると、「鎌倉殿の十三人」の登場人物のしらなかったプチ史実が満載で面白い。・「吾妻鏡」によれば、養和2年(1182)4月、源頼朝を筆頭に江の島の岩屋に参詣し、京都高尾神護寺の文覚上人を招いて、奥州藤原秀衡討伐の戦勝祈願を行い、岩屋本殿に宇賀弁才を勧請し、鳥居を寄進している。この時、頼朝、文覚上人、北条殿(時政)、足立右馬允(遠元)、和田小太郎(義盛)とその側近の佐々木定綱、佐々木盛綱が登場している。読んでみると、「鎌倉殿の十三人」の登場人物のしらなかったプチ史実が満載で面白い。・「吾妻鏡」によれば、養和2年(1182)4月、源頼朝を筆頭に江の島の岩屋に参詣し、京都高尾神護寺の文覚上人を招いて、奥州藤原秀衡討伐の戦勝祈願を行い、岩屋本殿に宇賀弁才を勧請し、鳥居を寄進している。この時、頼朝、文覚上人、北条殿(時政)、足立右馬允(遠元)、和田小太郎(義盛)とその側近の佐々木定綱、佐々木盛綱が登場している。💛大河では頼朝が文覚上人を呼び寄せて藤原秀衡の調伏を行う場面があるが、史実に基づいているのだ(^^)
ぼくらが「日本人死ね」を翻訳する理由 習近平氏を怒らせる「大翻訳運動」、中国の国内向け宣伝を外国語に6/21(火)中国当局は翻訳が武器になり得るということに気づき、強い危機感を抱いた。 党機関紙、人民日報系の環球時報は4月、「(中国に)汚名を着せる翻訳問題が大規模化、システム化している」と懸念する専門家の論評を掲載した。「中国の国際イメージづくりと国際的な発言力の向上に深刻な影響を及ぼす」と指摘し、「中国に関する概念の翻訳の主導権」を握るべきだと訴えた。 習指導部は「愛される中国のイメージ」形成を唱えており、大翻訳運動がそれに水を差す動きとみて神経をとがらせている。運動参加者の大部分は中国語を母国語とし、中国政府の統治下で暮らしたことがある人たち。中国人のほか、世界各地の華僑や外国人が加わっているという。中国当局の摘発対象とならないよう、リーダーを明確にしない戦略を取っている。「中国人の根っこには中央集権への崇拝があり、党の統治がもたらした結果に一定の責任がある」「中国当局が憎悪に満ちた宣伝を停止し、中国のネット民が侵略を支持するような愚かな言論をやめない限り、大翻訳運動は終わらない」
2022年06月21日
2022年6月21日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【八】川副氏采邑青木邑の衰廃を興す その2 宝永(ほうえい)度(ど)以来(いらい)は一邑(むら)の民力(みんりよく)之(これ)を修築(しうちく)する能(あた)はず。耕(かう)田(でん)の道(みち)を失(うしな)ひ、民心(みんしん)放肆(ほうし)、良田(りやうでん)蕪頼(ぶらい)、怠惰(たいだ)、博奕(ばくえき)を常(つね)とし、戸々(こゝ)絶窮(ぜつきゆう)遂(つひ)に四方(はう)に離散(りさん)するに至(いた)り、民屋(みんをく)切近(きつきん)の田(た)と雖(いへど)も茫々(ぼうぼう)たる原野(げんや)に帰(き)し、葭茅(かぼう)荻萩(てきしう)繁茂(はんも)狐兎(こと)斯(こゝ)に住(ぢゆう)す。天明(てんめい)度(ど)野火(のび)茅(かや)を焼(や)き、延(ひ)いて民屋(みんをく)に及(およ)び、之(これ)が為(ため)に三十一戸(こ)灰燼(くわいじん)となる。是(こゝ)に於(おい)て益々(ますます)窮(きゆう)し、僅(わづか)に二十九戸(こ)を存(ぞん)す。是(これ)も亦(また)貧困(ひんこん)支(さゝ)ふ可(べ)からず。曾(かつ)て遊歴(いうれき)の者(もの)此邑(このむら)を過(す)ぐるに茅中(ぼうちゆう)炊烟(すゐえん)の起(おこ)るを見(み)て一句(く)を吟(ぎん)ず曰(いは)く、家(いへ)ありや すゝきの中(なか)の夕烟(ゆうけむり)と。此(こ)の句(く)を以(もつ)て衰廃(すゐはい)亡村(ぼうそん)に等(ひと)しきを推知(すいち)す可(べ)し。租税(そぜい)僅少(きんせう)、川副(かわそへ)氏(し)の窮(きゆう)も亦(また)甚(はなはだ)し。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください💛昨日家に帰ると、思わぬ父の日のプレゼントにクッキーが届いていた。子供が小学生の時に父の日のプレゼントに帽子(ハット)を貰ったことがあった。ちょうど坂東観音三十三観音霊場めぐりをしている時で、その折りにその帽子をつけて回っていたが、なんと亡くしてしまった。 買って贈って貰ったばかりの帽子を、今でも思い出すと心が痛む。 ありがとうとメールを送る。
なるほど、この震撼の演技をさせるために 鈴木京香さん を「丹後局」に配したのか。鈴木京香「丹後局」の迫力、大姫&範頼ロスの声も【鎌倉殿】全視聴者を震え上がらせた丹後局後白河法皇(西田敏行)の愛妾という立場から、入内の手引をしてもらおうとした大姫と政子に対して、「田舎の人はよいものですね。どんな言葉も素直に受け止める」「頼朝はともかく、あなたはただの東夷(あずまえびす)!」「そなたの娘など数多いる女の一人に過ぎぬのじゃ!」「帝の元に嫁ぎ男子を産むのに、一門を威信をかけているのじゃ!」「武力を傘に何事も押し通せると思うなと頼朝に伝えよ」など、嫌味と叱責の千本ノック状態で、大姫は完全にノックアウトされる!承久の変での 政子の檄(げき)は、実にこの時の私怨をはらすものかもと思わせるくらい政子は耐える。「さて世間話はこれまで」と、落語のまくらのさわりのように話をきりかえる。SNSでは「ここ数年の大河で1番怖いシーンだった。本当に怖かった」「魑魅魍魎と百鬼夜行とThe都を全部盛りしたくらい怖かった(誉めてます)」鈴木京香さん「『生半可な気持ちでは無理ですよ』という気持ちで、同じ女性として『しっかりやりなさい』という気持ちを込めた」SNSでは「言い方がめちゃめちゃ嫌みだけど、京の状況と論理を丁寧に教えてくれてる」「本当にひどかったら取るものとって陰で嘲笑って肝心なことは何も教えてくれないだろう」
2022年06月20日
発泡スチロール食べるスーパーワーム、プラ再利用拡大のカギとなるか6/18(土) クイーンズランド大のクリス・リンケ(Chris Rinke)氏が主導した今回の研究は9日、学術誌「Microbial Genomics(微生物ゲノム学)」で発表された。発泡スチロールとは、空気を含ませたポリスチレンのことだ。ポリスチレンは包装材やCDケース、使い捨てのカトラリーなどに使われている。 成長すると体長最大5センチになるスーパーワームは、学名ゾフォバスモリオ(Zophobas morio)というゴミムシダマシ科の甲虫(こうちゅう)の幼虫で、爬虫(はちゅう)類や鳥類の餌、一部地域では人間の食用として養殖されている。 リンケ氏と研究チームは、スーパーワームに異なる種類の餌を3週間にわたって与える実験を行った。第1のグループには発泡スチロールを、第2グループには小麦ふすまを与え、第3グループには全く餌を与えなかった。「今回の研究では、スーパーワームがポリスチレンの餌だけで生き延びられることを確認した。餌を与えなかった対照群に比べて、体重が少し増加さえした。これはスーパーワームが、ポリスチレンを摂取しエネルギーを得られることを示唆している」とリンケ氏は説明した。 ポリスチレンで飼育したスーパーワームは、さなぎになった後、成虫に至り、生活環(ライフサイクル)を完了したが、腸内の微生物多様性の減少と潜在的な病原体の存在が確認された。 この結果から、スーパーワームはポリスチレンを食べて生き延びられるものの、栄養に富んだ餌とは異なり、健康状態に影響が出ることが示唆された。💛ジブリの腐海で生きるオームをおもいだす。王蟲(オーム)は腐海の胞子を拡散することで、腐海自体を広めることが目的として生み出された。腐海は人間には毒ですが、ナウシカは腐海の地下の空気が澄んでいることから、腐海には浄化作用のあることを突き止める。
2022年6月20日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【八】川副氏采邑青木邑の衰廃を興す その1 常陸(ひたちの)国(くに)眞壁(まかべ)郡(ぐん)青木村(あをきむら)高(たか)八百五十石余(こくよ)、幕府(ばくふ)の旗下(きか)川副(かわそへ)某(なにがし)の采邑(さいいふ)なり。往時(わうじ)公料(こうれう)にして野州(やしう)芳賀(はが)郡(ぐん)眞(も)岡(をおか)県令(けんれい)の管轄(くわんかつ)に属(ぞく)す。元禄(げんろく)度(ど)民家(みんか)百三十戸(こ)、頗(すこぶ)る繁殖(はんしよく)富饒(ふぜう)と称(しよう)す。宝(ほう)永(えい)年中(ねんちゆう)に至(いた)りて川副(かわそへ)氏(し)の采邑(さいいふ)となる。邑(むら)の西北(せいほく)川(かは)あり、桜川(さくらがは)と云(い)ふ。此(こ)の川(かは)を堰(せ)き、青木(あをき)高森(たかもり)二邑(むら)の田(た)水(みづ)となす。此(こ)の堰(せき)の左右(さいう)水底(みづそこ)皆(みな)細(さい)砂(しや)灰(はい)の如(ごと)くにして、更(さら)に岩石(がんせき)無(な)し。故(ゆゑ)に木石(ぼくせき)を遠所(ゑんしよ)より運搬(うんぱん)し、縦横(じゆうわう)大木(たいぼく)を用(もち)ゐて建築(けんちく)すと雖(いへど)も、大雨(だいう)洪水(こうすゐ)至(いた)れば忽焉(こつえん)細(さい)砂(しや)と共(とも)に流失(りうしつ)し、田水(たみづ)沽渇(こかつ)耕耘(かううん)を得(え)ず。公料(こうれう)の時(とき)に当(あた)りては破壊(はくわい)毎(ごと)に役夫(えきふ)三千余人(よにん)を諸村(しよそん)に課(か)し、入費(にふひ)数(すう)百金(きん)を以(もつ)て造築(ざうちく)せり。 令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください
三遠農学社の八老農 夏目喜平、平岩佐平夏目喜平は、三ヶ日町鵺代(ぬえしろ)の隣海院の境内に墓と顕彰碑がある。老農 夏目喜平墓 (顕彰碑) 明治二十九年四月十二日 三遠農学社建之老農夏目喜平翁は文政十一年(1828)当地鵺代村に生を受け幼少の頃より学術修行に励まれた、青年期には諸国の情勢を見るために、西国金比羅・大峰・高野の諸山と、西国の諸国を五十五日間をかけて歴訪し地方の人々が艱難困苦している様子を見聞、農事の大切さを感得し、村人にも農業にいっそう精進することを奨めた。成人してよりは生来の才覚と努力によって田畑の改良を手がけ、明治八年より明治十四年にかけて、柑橘苗四百数十本の植樹を行った。大規模に、しかも畑に柑橘苗を植えたのは当地区内では最初のことであったと伝えられている。その後、明治十八年には、西遠農学社大会に於いて、篤農家の一員として郡長表彰の栄誉に浴した。喜平翁没(明治二十二年)後その業績を称えんとして三遠農学社の社員によって当隣海院境内に顕彰碑が建立されたのである。この度隣海院境内整備にともない、老農の末裔等志を合わせその徳を後世に伝えたく此処に移設した。 平成二十年(2008)十一月吉日 平岩佐平(佐兵衛)は遠州七人衆と二宮尊徳との面会のきっかけを作った。「遠州七人衆桜秀坊を訪う」鈴木文雄(「かいびゃく」昭和33年9月号)に平岩の姿が活写されている。 弘化3年(1846)、相模国大山の人浅田勇次郎が、遠州下石田の神谷与平治に出会ったのを機として翌4年に下石田報徳社が生まれた。1年おいて嘉永元年掛川倉眞村の岡田佐平治が勇次郎の兄、安居院庄七に会い、その年12月に牛岡報徳社が結成され、安居院と佐平治の推進力で嘉永2年には、袋井高部藤左衛門を中心に、高部報徳社が、その年に気賀町恩田彦右衛門、升田兵左衛門を中心に気賀社が発足した。更に嘉永4年周智郡片瀬報徳社、周智郡の平田社が結成され、翌5年安居院庄七は森町に滞在しここに報徳社を結成した。遠州における報徳結社は安居院庄七の指導の下、着々結成されその効果を上げていたが、遠州報徳社が二宮尊徳の直接の指導下にないことは報徳連中に一抹の寂しさを与えていた。一度二宮先生に会い、じきじきの指導をうけたいというのが遠州報徳連中の念願であったのである。 嘉永6年の正月。昨5年の年末から、江戸の主人が、大病であるとの報にあとを頼んで出府していた成瀧村の平岩佐兵衛は、二宮尊徳が当時相馬屋敷に逗留中であることをきいて郷里の報徳連中への土産にもと、二宮先生の指導をうけたいと相馬屋敷に足を運んだが、「年末多事にして取込中に付き差し戻し」と面会を許されなかった。嘉永6年正月、佐兵衛は帰国を前に二宮先生に面会したいと3度目の相馬屋敷訪問を試みた。当時尊徳67歳、日光神領復興の命を受け畢生の努力をつぎこまんとしていた時である。平岩「再三、二宮先生にお目にかかりたく伺いました。遠州の平岩佐兵衛と申す者ですが、明日は国もとに帰りますので、ほんの少々の間でもお話しを伺いたいと重ねてお願いに参りました」受付「先生はこのごろ大変お忙しいので、今日も外出中で、お留守でございます。まことにお気の毒ですが」「あっお帰りのようです」「先生この方が昨年の暮から再三見えられて是非先生にお目にかかりたいと」二宮「どちらの」平岩「遠州成瀧村の平岩佐兵衛です」二宮先生は佐兵衛の遠州の報徳連の話を聞いて「遠州にはかねがね私の報徳の道を説くものがあるということは聞いていたが、詳しい事がわからないし、誰がその先達であるか分からなかった。今日は様子はわかったが、私の説く報徳の道には事と次第というものがある。ただの口説法だけで何もわからない百姓に説教をきかせて、かえって世の人をあやまることにもなりかねない。実はそれを心配していた。遠州の重だった世話人に、一度そろって出てこい」と言われた。語り手 平岩佐兵衛の帰りをまって嘉永6年春、高部村、高山藤左衛門の所で、遠州報徳社の大参会がひらかれ、席上、平岩は江戸での二宮との面会の模様を話したのである。岡田 皆の衆、今日は二宮先生のお言葉により遠州報徳連中を代表して、先生の所にゆくものを定めたいのだが、やはり各地からの代表を出すことがよいと思うが、どうでしようかなあー語り手 かくて協議の結果、影森村の内田啓助、倉真村の岡田佐平治、気賀町の升田兵左衛門、同じく松井藤太夫、森町の中村常蔵、山中利助、この人は後に新村をついで新村利助となる、下石田村の神谷久太郎の七人が選ばれ、これに安居院庄七を加えて8人が二宮尊徳を訪れることになった。我々は、この七人を遠州七人衆とよぶ。
2022年06月19日
三遠農学社の八老農 野末九八郎、井村又三郎 三遠農学社の八老農、野末九八郎、平岩佐平、井村又三郎、名倉藤三郎、夏目喜平、神谷與平治、荒木由蔵、松島授三郎のうち、野末九八郎については三遠農学社の前身となる農学誠報社を松嶋授三郎と共に立ち上げて、初代社長となった以外は現在のところ不明である。井村又三郎には次の著作がある。1 自家経済之予算 図書 井村又三郎 著 (井村又三郎, 1890)2 麦の説明 図書 井村又三郎 著 (井村又三郎, 1890)また「引佐麁玉有功者列伝」(国文学研究資料館)の「三老農伝」において井村又三郎が顕彰されている。井村又三郎は「貯穀除虫方法」の後書きに「右は多年実験した所で報国の一端ともなさんと欲する故に今回印刷に付し有志者にわかつ」と記した。又三郎はこのように自ら実験し効果があると認めれば直ちにこれを人に伝え、あるいはこれを筆記して世の人に頒布した。井村は松嶋授三郎と相談し明治15年西遠農学社結成に尽力した。その定会の日には必ず自ら培養した穀類や野菜などを携えて出席し成熟の良否を示し培養の方法を説き、あるいは農具の便利か有益かを弁じ、満場の人々を感動させた。又三郎のこうした農事に精励する姿勢は遂に引佐郡の農民の旧癖を一変させた。 井村又三郎は文政四年二月に引佐郡刑部村に生まれ、少年の頃から六十の今日に至るまで、必ず農事改良に尽力したとある。 「引佐麁玉有功者列伝」(松島吉平著)の「三老農伝」において、井村又三郎について次のように顕彰している。読みやすくして紹介する。「井村又三郎は遠江国引佐郡(いなさぐん)中川村の人である。専ら心を農事改良に注いで、かつて人に語って曰く、業を為すは器の便否を考えなければならない。そうであるのに、わが郷里の農民は三叉鍬及び平鍬を用いるほか、別に耕うんの法が無いのではなかろうか。ああ僅々たる人力のみをもって耕うんを業とすれば、いずれの日か農事盛大の時を見るであろう。農事をして盛大ならしめようと欲するならば、牛馬耕に超えるものは無いと。断然志を起し、牛耕を試みたが、果して便益は少なくなかった、ここにおいて人は皆な氏にならって牛耕を行うに至った。引佐郡にこの事あるは氏をもって嚆矢(こうし)とする。氏はまた土地が瘦せ、収益の無い土地に堀り貫き井戸をうがって、畑を田に応用することを工夫したが、その収穫の量は、良田に譲らないだけでなく、米の品質も良田にまさっていたという。始め氏がこの説を唱えたところ、その説の新奇であることから、聞く者は皆なこれを信じなかったが、その収納を観て、賛嘆しない者はなかった。氏はまた種子の精選と交換とは農家の緊要不可欠の件であることを信じ、同業で会う機会があればこれを説いた。人々はまたこれを知らないわけではなかったが、その煩雑さを厭い、これを実施する者はほとんど稀であった。氏は非常に活発進取の気象に富んでいて、これを見て思うに、種子精選は怠惰な農民が容易に行うことができないところである。私が自ら多量の種子を選んで、これを人に与えたほうがよいと。そこで自ら選んだ種子を数年間あるいは与え、あるいは交換したが、その実益は少なくなかった。そこで遂に従来の惰農者をしてその非を悔い、大いに奮起させたという。 引佐郡気賀村地方で有名な物産である琉球表は、その製造が次第に粗悪におもむいていた。氏は深くこれを憂えて、明治15年4月中、その由来と培養製造の利害得失を詳しく論じ、これを印刷に付して、四方の有志者に配ってまわった。また穀類の虫の除去方法には、近来いろいろあるが、簡易でしかもその効果を奏するものが無かった。そのため氏はその方法研究に心を砕いて、多年の経験を積んで、一つの方法を発明した。そしてこれを世間に示すため、その本を数千部印刷し、これを有志者に配布した。氏はこのように自ら実験して有効と認めることがあれば直ちにこれの記述をもって人に伝え、あるいはこれを筆記して世の人に頒布するなどした。いやしくも愛国の心情が厚くなければできないところである。氏はまた松嶋授三郎とともに明治15年中、西遠農学社を結社する事に奔走尽力した。その定会日には必ず自ら培養する穀物野菜の類いを携えて出席し、成熟の良否を示し、培養の方法を説いて、あるいは農具の便否得失を弁じ、満場の人をして感動させた。ああ、氏の農事精励の至れる所、遂に引佐郡の農民をして旧僻を一洗させたという。」
ありがとう・感謝の気持ちニッポン放送『羽田美智子のいってらっしゃい』より工学博士の五日市剛(いつかいち・つよし)さんがイスラエルを旅行中、トラブル続きで気持ちが落ち込んでいた時、ユダヤ人のおばあさんから「あなたが幸せになりたいのなら……」と、教えてもらったことがあります。例えば、「嫌なことがあったら、すぐ自分に“ありがとう”と言うこと。すぐに言えば不幸は続かないし、逆に良いことが起こるから」。「嬉しいこと、楽しいことがあったら“感謝します”と言うこと。すると、またそう言いたくなるような出来事が起こるから」。他にも「“こうあって欲しい”という願いがあったら、“○○になりました。感謝します”と心を込めて言い続けなさい。そうやって努力していると願いは叶いやすいから」。そして、「どんな時も怒ってはダメ。この世に正しい怒りは存在しません。どうしても苦言を呈さなければならない時は、まずは自分に“ありがとう”。そして相手には別な言葉で優しく伝えなさい」と教えられたそうです。最終的に「ありがとうや感謝しますは自分を変え、ツキを呼び込む魔法の言葉」と教えられた五日市さんは、どんな時でもすぐに言えるようにと手の甲にペンで書いては日々、実践していきます。すると少しずつ見える景色が変わって、人間関係が良くなったり、仕事が上手くいったりなど、次々と「小さな奇跡」が起きたそうです。こうした経験を五日市さんは「ツキを呼ぶ魔法の言葉」という著書にされています。💛昨日、土曜日、歯科医に口腔ケアに行った。1月か2月に一回程度歯垢をとりにもらいにいっている。 前回、看護師に『ツキを呼ぶ魔法の言葉』の小冊子を差し上げていた。「読みました。でも ありがとう というのが難しいです」「小冊子を読む人はいても、それを口に出して実践できる人は少ないのです。そしてそれを続けられる人はさらにまれです。でも実践し続けるならば それが一生使っても使い尽くせないほどのものだということがわかります。 五日市先生は どんな時にでもすぐいえるように、手の甲やハンカチ、はてはパンツにまで書いて、身につけようとされたそうです。」
「致知」2000年9月号「対談 黒柳徹子 VS 鈴木秀子」鈴木 「徹子の部屋」はもうずいぶん長い間続いていますね。黒柳 もう25年(2000年当時)になり、いま6500回くらいです。 (黒柳さんのユニセフの親善大使の話が続いたあと)黒柳 「窓ぎわのトットちゃん」に書いたんですが、私が通った小学校の小林宗作という校長先生は、子どもには素晴らしい個性や能力があるから、それが周りの環境や大人の考えで潰されないうちに、早く芽を見つけて育てようという考えの先生だったものですから、いつも教室を見て歩いていました。 ある日の授業で、人間には昔、尻尾があったという話が出ました。高橋君という背の伸びない子が同級生にいたんですが、担任の先生が「高橋君も尻尾の跡が残っているんじゃないの」と冗談ぽくいうと、高橋君は「ありません、ありません」ってムキになって否定するんです。そのころの私は、尻尾があったほうが嬉しいのにな、なんて思っていましたから、どうしてそんなに否定するのかなと、不思議だったんですが、その日の放課後、私が学校の裏を歩いているとき、校長先生が、「高橋君は自分の体にコンプレックスを持っているだろう。その高橋君に尻尾があっただろうなんて、どうして君は考えがないんだ」と、私たちの担任の先生を叱ってらっしゃるのを聞いてしまったんです。 私はまだ低学年でしたから、校長先生の言っている意味はよくわからなくて、いつもはまったく怒らない校長先生が、すごく怒っていたという印象のほうが強かったんですが、大人になってみると、校長先生はそれぐらい一人ひとりに気を配っていたんだな、ということがわかります。鈴木 いまの黒柳さんのお話は、私にはまるで昨日の出来事のように聞えました。そのときはわからなかったとおっしゃったけれども、高橋君が痛みを感じたということはなんとなく心に残っていて、そして校長先生がどういう態度で接したかということが、黒柳さんの原点になっているんじゃないかと思います。 黒柳 エリザベス女王が日本にいらしたときに、お話ししたことがあるんですが、英国大使館にいる私のお友達がそれを見ていて「君って変わってるね」って言うんです。「どうして?」って訊いたら、その人は私が前にゴリラの写真を撮りに行ったときに、そばで見ていたことがあるんですが、「ずいぶんいろんな人に会ったけど、女王様と話すのと、ゴリラと話すのと変わらない人は見たことはない」って(笑い) 小林先生は「助けてやれ」とか「手を貸してやれ」ということは一度もおっしゃらなかった。ただ「皆一緒にやるんだよ」ということしかおっしゃらなかったんです。ですから、相手がだれだから特別なことをやろうというのではなくて、人間にはいろんな人がいるんだなと思いながら育ってきましたので、私はだれに対しても変わらないというのは、小学校のときの教育のおかげだと思います。鈴木 人間は死ぬまで苦しみが付きまとうものなんですから、苦しみがないことが幸せなのではなく、苦しみを乗り越えながら、他の人はその苦しみを行かしながら、生き生きとしていくことにつながっていけばいいと思うのです。鈴木 物やお金にしがみついて、その繁栄だけを求めると、ちょうど切り花を飾ったようで、目に見える世界はきれいになるし、いかにも幸せそうだけれども、そういうものだけで、満たされると、心の空しさが起こってくるんですね。 あるとき、講演でこういう話をしたら、講演が終わったあと、一人の紳士が「コーヒーを御一緒する時間はありますか」と言うので、ご一緒したことがあるんです。その方は精神科のお医者さんだったのですが、おっしゃっるには、人間のエネルギーには縦と横の線があって、例えば横線をお金や物や地位のエネルギーだとすると、縦線は見えない世界だというんです。もし人が10のエネルギーを持っているとすると、物欲が広がれば広がるだけ、縦のエネルギーはなくなるわけです。 ところが、その人がある日、ガンの宣告を受ける。あるいは会社が倒産したとか、社長にしようと思っていた息子が死んだりしたというような場合、突然頼りにするものがなくなるわけですから、どんでん返しがきますね。 がんといわれて入院してしまったら、どんな大きな会社を持っていようと何の役にも立たない。そこで初めて自分の頼りになるものは何だろうかと考えるんですが、そのときに、いかに縦の線を短く生きてきたことかということをしみじみと感じるというのです。 それまでは8ぐらいあった横のエベルギーが、1か2になってしまうわけですから、その分を2しかなかった縦の線に振り替えていかなければならない。そういう人を何人も診てきたけれども、その振り替えがいかに大変かというお話しでした。 私はほとんど寿命が尽きて、いつ亡くなるかわからないような人を病院に訪ねて、「何かしたいことがありますか」と訊いているんですが、だれかと諍いを起こしたような人がいれば、まず「仲直りをしたい」というんです。やはり人間には愛が一番大切だから、それに背くような行為があったら、修正して愛でつながりたいという願いが一番強いんですね。 その次に言うのは、「家に帰りたい」ということ。それから、皆チューブでつながっていますから、「自分の口で食べたい」と言う。「自分の足で立って、歩いてお手洗いにいきたい」と言う。ほとんどの人がこういうことをいうんです。 それを聞いて私がいつも思うことは、私がいま会っている人で、自分の家に帰れられないような人はいないし、食べ物も自分で自分の口で味わえる。私たちにとっては、自分の足で歩いて家に帰るなどということは、当たり前のことで、死んでいく人のように、切実に思う人なんていないということなんです。ところが、それがどれほどの恵みであるか、ということには気が付かない。 だから、私は死んでいこうとしている人たちが一様に望むことというのは、生きている人たちへの遺言だと思うんです。「当たり前のことこそ恵みで、死を間近にしてそのことに気が付くのでなく、いま気付きなさい」ということを伝えているんだと思うんですね。何かをすれば幸せになるのではなくて、いまが幸せなのだということに気付くことだと思います。黒柳 中学生のころに読んだフランスの詩で、どなたが書いたかもわからないんですが、「人間、生まれてきたことは、人のためにちょっと何かをすること」というのがあって、いい詩だなと思ったことがあるんですね。「いっぱいしなさい」といわれてもできないけど、ちょっとならできる。皆がそう思いながら生きていけばいいんです。鈴木 私が好きなエミリー・ディキンソンの詩には「一羽の小鳥を癒しなば、我が生涯に悔いあらじ」という言葉がありますが、一羽の小鳥を癒すことだって、自分の置かれた立場でできる、ほんのちょっとしたことなんですね。」人間が幸せになるためには、小さいことでいいから、自分が何かできるという意識があること。自分だけ、と言っているうちは幸せにはなれないのですね。 ミルトン・エレクソンというアメリカの心理療法家の話なんですが、ある未亡人が彼を訪ねてくるんです。未亡人にはものすごい財産があるんですが、孤独で自分は不幸の塊のような思いでいるんです。好きなことは何もないし、自分を幸せにしてくれることもない。けれども、そんな彼女にもたった一つだけアフリカスミレを育てる趣味があるんですね。 そこでエリクソンは、できるだけたくさんのアフリカスミレを育てること、日曜日に教会へ行ったとき、誕生日のリストをもらってきて、誕生日がきた人にアフリカスミレを一鉢ずつ贈りなさい、という宿題を出すんです。 未亡人は一所懸命にアフリカスミレを贈り始めるのですが、一鉢贈るたびに思いがけない喜びの葉書とかお礼の手紙がくる。自分の周りにだんだん笑顔の人が近づいてくる。そうして未亡人はとても幸せになった とエリクソンは書き残しています。 ちょっとした物であろうが、何か自分のできることをしていくということですね。黒柳 ソントン・ワイルダーというアメリカの作家が書いた『わが町』というお芝居があります。主人公はエミリーという女の子ですが、彼女は自分の子どもを産んだあと、20何歳かで死ぬんです。おしょうとめさんたちは先に死んでいて、舞台の右と左にこの世とあちらの世界があるという終わりのほうのシーンで司会者が、「自分が一番幸せだったと思う日、たった一日だけこの世に帰らせてあげる」というんです。エミリーは12歳のお誕生日の日を選びます。 お父さんお母さんはもちろん若いですよね。エミリーは「パパとママがこんなに若かったなんて知らなかった」なんて初めて気が付くんですね。家の中やお庭には懐かしくて素敵なものがいっぱいある。でも、皆素敵だから当時はわからなかった。 そして再び死んだ人に帰って「本当の幸せがわかっていなかった。命が何万年もあるみたいに思い込んで。人間って、生きているときって、何も見ていないんですね。家族がちょっと顔を見合わせたり、いまが幸せだって気付いていなかった」としゅとめに言うんです。 昔、私もエミリーの役をやったことがあって、やっているうちに涙が出てきてしまうようなお芝居なんですが、 ちょっとでも立ちどまって親の顔を見るとか、友達のこと、親切にしてくれる人のことを少しでも思ってみることができれば、生きているうちに幸せをかみしめることができるんじゃないかと思います。鈴木 そうですね。人間は目につくものとか、触れることのできるもので幸せをつかもうとします。しかし、最初におっしゃったように、私たちには一見不幸に見えるような子どもたちが、生きていこうとする、そういう生き生きとした精神が、見える世界にあふれ出ていくとき、本当の幸せをつかむことができるのですね。*人間はなぜ尻尾を失ったのか?遺伝子の突然変異だった可能性動物界では、尾というものは標準装備で、その存在にはもっともな理由がある。魚にとっては推進力になり、ウシにとってはハエたたき代わりになり、ワニは尾に脂肪を蓄えている。サルは尻尾でバランスをとり、物をつかんだりさえする。 人間も、実は胎児の頃には尻尾があり、この世に生まれ落ちる頃にはそれが衰退して椎骨と融合し消えてしまう。尾てい骨として知られている尾骨が尾の名残だ。 ではなぜ人間は尻尾を持たなくなったのだろうか?その理由がわかるかもしれない遺伝子が特定された。どうやら突然変異による可能性があるという。ニューヨーク大学グロスマン医学校の幹細胞生物学を専攻する大学院生ボウ・シャーは、なぜ人間に尻尾がないのか、ずっと疑問に思ってきた。 科学者として彼は、分子レベルで注目して、この疑問の答えを見つけようと努めている。 まずは、動物たちの尾の形状を調べるところから始めた。すると、胚の発達初期に、いくつかの遺伝子のスイッチがオンになって、幹細胞に対して、首や腰、最終的に尾を形成する脊椎や筋肉など一連の重要な骨格構造に成長するよう指示することを発見した。 さまざまな種の尾を発達させるのに基礎となる遺伝子は、およそ30あることがわかっている。そこで、尾のないサル6種と、尾のあるサル9種の遺伝子を比較したところ、霊長目ヒト科(類人猿)と人間には共通するが、サルにはない突然変異が見つかった。 この変異は、TBXTと呼ばれる遺伝子に影響する。このTBXTは、1世紀以上前に初めて見つかった遺伝子のひとつで、尾や背骨の形成にかかわる重要な遺伝子だ。 今回、シャーが発見した変異は、このTBXT遺伝子の真ん中にあり、実質的には人間と他の類人猿でほとんど同じものだ。
二 三遠農学社 「浜松市史」三の「第三章 町制の施行と浜松町の発展 第二節 報徳運動の推移 第二項 浜松と報徳の人たち」のなかで、「松島授三郎 西遠農学社 三遠農学社」という項目を設ける。 松島授三郎(明治三十一年没、六十三歳)、豊田郡羽鳥村の人。明治元年(一八六八)天竜川の堤防が決潰すると、下石田村神谷与平治と相談し、荒蕪地をよく開墾した。八年引佐郡(いなさぐん)伊平村に移り、十二年、野末八郎を社長とする農学誠報社を設け村民の風俗の矯正に力を尽したが、十五年居村に西遠農学社を創立、夜学部を設け、自弁で農学の研磨を主とし、かたわら道学を講じたが、入社を乞うもの千余名に達したので、気賀、奥山に支社を設けた。十九年西遠農学社本館を設立、その説を聞くものも次第に増し、遠州において七郡、三州において二郡に及んだ。三遠農学社と改名、社員の数三千余名に達したという。西遠農学社が明治十八年十一月四日呉松村鹿島神社で催した農談会は、出席者二百余名、松島授三郎の社側朗読、神谷力伝の貧富図解、松島吉平の救済策などの演説があって懇親会に移り「満場沸くがごとく夜十一時散会した」という(『静岡大務新聞』)。明治十八年七月天竜川がまた決潰し豊田郡・長上郡下浸水の際、農学社員は各村の残苗二万四千余把を被害民に贈って、その窮を救った(『嶽陽名士伝』『静岡県人物誌』『引佐麁玉有功者列伝』)。」 「三遠農学社と報徳農業道」においては、「三遠農学社はその成立は古く、静岡県と愛知県とにわたり、報徳の教えを奉ずる民間の有力者、篤農家をもって組織する特殊な団体であり、農事の改良、人心の教化、農村振興のために多大に貢献している。以前、同地方の人が言うに「掛川の報徳は貯蓄を本位としているが、三遠農学社は、農業の改良発達に重きを置き、報徳を業道の上に生かしている」と言ったが、これは当時の三遠農学社の状態を表している。まだ農会も、試験場も、産業組合もなかった頃から、互いに農業を研究し錬磨した結果を持ち寄って、芋や煮豆で質素な食事をとりながら、大いに農事の改良・発達を談じ、家を整え農業を尊び勤労の民風を興起して農村振興のため、積極的行道の活動を行ったことは、報徳の真の精神にかなうものである。 それゆえに三遠農学社の社員は、自ら大地に立って勤労創造する人たちの集まりで、鋤や鍬を取らない金持ち、大地主等のいわゆる顔役はなく、肩書も地位も必要でなく、天爵無位、真に勤労耕作民ばかりの会であることは、全く他に見られない特色を有する。三遠農学社主義にあるように、天地を賛し、勤労を尊び、智慧を進め、創造に目覚めて、勤労する者の自由と幸福の安楽世界を真の生活とするところに、報徳の理想が躍如とし、報徳ならではできない地上楽園の光明思想がみなぎり、百姓安楽国の理想が高揚されている。」「三遠農学社は、明治十二年八月、松島授三郎、野末丸八郎などの有志がはかって組織したもので、始めは三才農学誠報社と称し、報徳の教えと耕種の法を講習し、同十五年組織を改めて西遠農学社と呼び、社員の内外を問わず、広く各地に農談会を開き、農桑の方法及び処世人道を説き、地方の民風を篤からしめた。次第に盛大となり、明治二十年四月、三遠農学社と称するに至ったのである。」「松島は二十一歳の時、下石田村神谷與平治宅で、安居院庄七から報徳の話を聞いて感動し、その後は平岩佐平、荒木由蔵について報徳の道を研究した。この松島についてはこういう話がある。松島は若い頃に易者に見てもらったところ、あなたは三十三歳の頃には大難があって命はないと言われた。そこで何とか長生きをする道はないかと考えた末、報徳の先生の荒木由蔵に話すと、「そんなことは心配しなさんな、報徳をやれば、きっと長生きができる」と言われて報徳の道の研究に励んだ。その後、明治二年、松島が三十三歳の時居村の羽鳥村で天竜川の堤防が切れて大洪水となり、松島の家も被害をこうむり、幸い屋上に上っていて辛うじて命だけは助かった。それが先年易者の予言した年だった。そこで松島は大いに感じて、これは全く報徳のお陰であったと喜び、ますます報徳のために心身を傾けるようになり、その年の秋、隣村石原村に仕法を行い、五十戸の住民は救われた。それ以来、報村の道に精進すると共に、地方を教化し、明治十二年伊平村に農学誠報社を組織したのが、三遠農学社の前身である。 当時、諸方に報徳の結社ができ、善種金を積み、加入金を蓄え、縄ないを行い、勤労・分度・貯蓄・推譲は行っていたが、一歩進んで農業を研究し、生産と福利を挙げようとする農業道の自覚も、産業増殖の認識もなかった。松島はこの点を考えた。「二宮先生の教えに、農業の道は聖人の道に同じと言われている。今日農業は最も大切であるにもかかわらず一番遅れている。その一例を挙げるならば各都会より地方の書店に行って農書を探しても一冊もない。農業は国の大本とあるのに、農書一冊もなく、農事の研究をする人が一人もないというのは嘆かわしいことだ。我々こそは有志を集めて農事の研究を行い、農談会を開いて増収をはかろう。これは報徳と言わない報徳である」と。松島はこの信条をもって同志を語らい、遂に農学社を創立した。このために独自の特色を有するに至った。」「三遠農学社は、明治十二年八月三才農学誠報社として創立され、十五年に西遠農学社といい、明治二十年に三遠農学社と改称したものである。その趣旨は、報徳の道を基に農事の改良発達と、農村の福利増進を計り、農村を楽土としようとするものであった。したがって三遠農学社の事業には推称すべき事が多い。特に明治十五年より巡回員制を定め、巡回員を各地に派遣して農談会を開いた。遠州全土を初め、駿河、三河、伊勢方面に対して、年々百回ないし百五十回に及んだ。同十八年天竜川が氾濫して稲苗が流出したので、引佐郡内の余った苗二十万余束を集めて罹災地に送付した。同十九年には松島十湖が主幹となり本社を気賀町に新築した。二十年には米麦試作委員を置き、また麦、茶、繭の品評会を催し、種苗交換会を行った。二十二年天竜川の堤防が破れて洪水が氾濫すると、農家は種籾を失ったので、種籾を広く集めて罹災地に配付した。二十四年、三遠農学社耕作法を定め、米麦栽培の方法を示し農事の改良を計り、また全国各地方に農談会を開いて農事の指導をした。当時、三河、伊勢、肥後、佐渡、越前、美濃、尾張、信濃、遠江、伊豆、駿河、相模、武蔵等にわたり、社員数二千七百九十六人に及んだ。 明治二十五年米麦十俵作品評会を行った。農学社の勢力は次第に拡大し、駿河、遠江、三河等にわたり、非常に発展し社員一万有余に及び、各地に支社を置いた。三河に宝飯分社と東三支社、駿河に西駿支社等である。明治十九年以来社長だった松島は三十一年に死去し、渡瀬友三郎が社長となり、遠州に中遠支社、西遠支社を創立し会員二万を越えていたが、大正六年に渡瀬氏死去するや、大正七年九月山崎延吉氏が社長となり、農民精神の徹底と、農業経営の改善に努め、農村の福祉の発展のために尽くしている。 大正七年遠州に支社が設立され、現在活動しているのは、東三支社(三河野田)中遠支社(静岡中泉)大正支社(浜名豊西)西遠支社(浜名芳川)等であるが、毎年秋季には大会を開き、金子律平、水谷熊吉氏を始め、有力の人々が相寄って、伝統を持続している。そして今日もなお米作に、麦作に、養蚕に、茶に、果樹に、養鶏養畜に、農業経営にそれぞれ深い研究と手腕と識見とをもっているものが多く、それぞれ活動している。 また農学社にては、荒木由蔵、松島授三郎、渡瀬友三郎、鈴木浦八、平井重蔵、木村武七氏等を始め、三遠農学社に恩顧あり、功労のあった人々の彰徳碑を建てて、報恩の道を全うしている。三遠農学社は明治初年より今日に至るまで、報徳の教えに基づいて、農凝を尊び勤労を重んじ、研究進取をめざして農村の福利増進を計って来た所に、多大なる功績と独自の存在があるのである。」
2022年06月18日
・世間の人の願いはかなえられない。 願ってもかなわない事を願うからである。・仏説は面白い。受けた恩を忘れず、早く未来の種を願えと説く。私も不止不転・循環の理を説く。二宮翁夜話巻の3【32】翁曰く、常人の情願は、固(もと)より遂ぐべからず、願ひても叶(かな)はざる事を願へばなり、常人は皆金銭の少きを憂ひて、只多からん事を願ふ、若し金銭をして、人々願ふ処の如く多からしめば、何ぞ砂石と異ならんや、斯の如く金銭多くば、草鞋一足の代、銭一把(は)、旅泊一夜の代、銭一背負(せおひ)なるべし、金銭の多きに過ぐるは、不弁利の到りと云ふべし、常人の願望は、斯の如き事多し、願ふても叶はず、叶ふて益なき事なり、世の中は金銭の少きこそ、面白けれ。【32】尊徳先生がおっしゃった。世間の人の願いは、もとより遂げられない。願ってもかなわない事を願うからである。世間の人は皆金銭の少いことを憂えて、ただ多い事を願う。もし金銭を、人々が願うように多くするならば、どうして砂石と異なることがあろうか。このように金銭が多ければ、草鞋一足の代金が銭一把(は)、旅宿の一夜の代金が銭一背おいとなるであろう。金銭の多すぎるのは、不便利の至りというべきである。世間の人の願望は、このような事が多い。願ってもかなわず、かなっても益がない。世の中は金銭が少いことが、面白いのだ。【33】翁曰く、仏説面白し、今近く譬へを取つて云はゞ、豆の前世は草なり、草の前世は豆なり、と云ふが如し、故に豆粒に向へば、汝は元草の化身なるぞ、疑はしく思はゞ、汝が過去を説いて聞かせん、汝が前世は草にして、某の国某の村某が畑に生れて、雨風を凌ぎ炎暑を厭ひ草に覆はれ、兄弟を間引かれ、辛苦患難を経て、豆粒となりたる汝なるぞ、此の畑主の大恩を忘れず、又此の草の恩を能く思ひて、早く此の豆粒の世を捨てて元の草となり、繁茂せん事を願へ、此の豆粒の世は、仮の宿りぞ、未来の草の世こそ大事なれと云ふが如し、又草に向へば汝が前世は種なるぞ、此の種の大恩に依て、今草と生まれ、枝を発し葉を出し肥を吸ひ露を受け、花を開くに至れり、此の恩を忘れず、早く未来の種を願へ、此の世は苦の世界にして、風雨寒暑の患ひあり、早く未来の種となり、風雨寒暑を知らず、水火の患ひもなき土蔵の中に、住する身となれと云ふが如し、予仏道を知らずといへ共、大凡此の如くなるべし、而して世界の百草、種になれば生ずる萌しあり、生れば育つ萌しあり、育てば花咲く萌しあり、花さけば実を結ぶ萌しあり、実を結べば落る萌しあり、落れば又生ずる萌しあり、是を不止不転循環の理と云ふ。【33】尊徳先生はおっしゃった、仏説は面白い。今近くたとえるならば、豆の前世は草なり、草の前世は豆なり、というようなものだ。だから豆粒に向えば、なんじは元は草の化身である、疑わしく思うならば、なんじの過去を説いて聞かせよう。なんじの前世は草であって、だれだれの国のだれだれの村のだれだれの畑に生れて、雨風をしのぎ、炎暑を厭って草におおわれ、兄弟をまびかれ、辛苦・患難をへて、豆粒となったなんじであるぞ。この畑主の大恩を忘れないで、またこの草の恩をよく思って、早くこの豆粒の世を捨てて元の草となって、繁茂する事を願え、この豆粒の世は、仮の宿りであるぞ、未来の草の世こそが大事であるというようなものだ。また草に向ってはなんじが前世は種であるぞ、この種の大恩によって、今草と生れて、枝を発し葉を出し肥を吸って露を受け、花を開くに至ったのだこの恩を忘れないで、早く未来の種を願えこの世は苦の世界であって、風雨寒暑の患いがある、早く未来の種となって、風雨寒暑を知らず、水火の患いもない土蔵の中に、住する身となれというようなものだ。私は仏道を知らないけれども、おおよそこのようであろう。そして世界の百草は、種になれば生ずるきざしがある、生ずてば育つきざしがある、育てば花が咲くきざしがある、花が咲けば実を結ぶきざしがある、実を結べば落るきざしがある、落ればまた生ずるきざしがある、これを不止不転・循環の理というのだ。*二宮金次郎を民間から登用した小田原藩の君主大久保忠真候は天明元(1780)年12月に誕生した。尊徳先生より、7歳年長にあたる。大久保候は、大阪城代、京都所司代を勤め、老中に登りつめるのであるが、京都所司代の折は、宮中・公家と交わって近来稀な和歌の名手としてたたえられた。その和歌にちなんで「霞の侍従」「曙の侍従」と別名をもって呼ばれたほどであった。その没後7年目に編集された和歌集「春鶯集」から年代をつけて、いくつか紹介してみよう。文化7年(29歳)早春鶯 三冬つきはる立ぬればわが宿の垣の外面に鶯ぞなくなにはに在て春夕故郷という事を 思ひ出るわが古郷もかくやあらむ難波わたりの霞む夕暮難波にありける頃月の歌 古郷の空なつかしみ十六夜の月にもおもふ武蔵のゝ秋☆大久保忠真候の歌には結構故郷を懐かしんだ歌が多い。 大阪城代、京都所司代、老中と勤め、自藩にとどまることが少なかったのだ。文化8年(30歳)暮春 山の端のかすみも薄く立わかれ残り少きはるをしそおもふ文化10年(32歳)箱根路の花とて紙に押ておこせたる人のもとへ 古郷は鄙にしあれど花垣に君かこゝろの匂ふ嬉しさ雪ふりける日故郷の人に逢て 難波かたなにと語むしら雪のふるさと人につもるこゝろを女のもとによみて遣しける 時の間も見ぬは恋しき人垣にけふの夕をまちそかねぬる恋のこゝろを 朝な夕な軒端を過るまつ風におもふあたりの音信もかな女のもとへ くれて行春は惜まし我はたゝ妹にあふちの花をこそまて☆恋や女性を歌った歌はこの年に多く出てくる。文化12年(34歳)故郷初春 立かへる松の緑も青によしならの都の春の初空ある人の東へまかる馬のはなむけに 旅ころもこれも弥生の春の空花に霞に袖匂ふらし碓氷峠を越る日雨降ければ 旅衣うすひの御坂越行は袂涼しく雨そふり来る夜あくる頃諏訪の湖を見やりて 横雲のわかるゝ色も諏訪の湖のみとりにうつり合にけり木曾の山路を下りて こゝろさへ平になりぬ信濃路の木曾の御坂を越尽しては☆中仙道を使って江戸へ往復することが多かったのだ。文化14年(36歳)初春霞 栄行民の朝けのけふりより都の空も霞そめたり神無月廿日あまり仙洞の御園見せさせたまふに立ならへる木々の紅葉満も残さず散も初す山のたゝすまひ御池のさまなととりどりにいはん方なし・・・・悠然台 賑へる都の民の夕けふり冬も長閑にかすむとそ見る☆この歌によって「霞の侍従」と呼ばれるようになる。仁徳天皇の故事を踏まえて、自身詠んだ「初春霞」の歌をベースとしているように思われる。こよろきの古郷にいたりて二日とゝまりしに年久しく難波または都にまかりければ国のまつり事をはしめてよろつのことくまくましけれと又来むこともいつとしらねば何くれといそかはしさに 身にかへてとはにそおもふ萬民所を得つゝとみ栄へなむ☆忠真候の歌はほとんど自然を対象としていたが、このころから領主として小田原藩の民の生活に思いをはせた歌が出てくる。月蝕 あやまたは改めぬべき理をみるとか文政元年・8月 老中となる。・11月 酒匂川河原で二宮らを表彰する
「彼はスーパータレントプレーヤーだ。非常に手ごわい」投打に活躍の大谷翔平に敵将脱帽[2022年6月17日エンゼルス大谷翔平投手(27)が「3番投手兼DH」で出場し、6回を3安打無失点、6三振2四球の好投で今季5勝目(4敗)を挙げた。敵将のサービス監督は、好投した大谷と、2本塁打で4打点を挙げた主砲トラウトに脱帽した。大谷については「彼はスーパータレント(とびきりの才能を持つ)プレーヤーだ。スライダーとスプリットも効果的に使いながら、96~99マイル(約154~159キロ)の直球を投げる。だからあれだけ優れた投球ができる。非常に手ごわい」と話した。トラウトはTモバイルパークでこれまで85試合に出場し、これで通算30本塁打。同監督は「ミスター・トラウトはいつも通りの仕事をしていた」と振り返った。大谷翔平6回6K無失点 真ん中から急落スプリットに「ショウヘイは邪悪だ」ネットざわつく[2022年6月17日最速99・4マイル(約160キロ)の直球に加え、変化球の質も一級品だった。2回先頭のトラメルをカウント2-2から空振り三振に退けた87・6マイル(約141キロ)のスプリッターは、ストライクゾーンのほぼ真ん中から打者の手元で急落した。投球分析家「ピッチングニンジャ」もこの1球の動画をツイッターで投稿し「おぞましいスプリッター」とコメントを付けた。Shohei Ohtani, Disgusting 88mph Splitter. 🤮ファンもそれにザワつき「ストライクゾーンにとどまるのが長すぎ」「ショウヘイは邪悪だ」などのコメントが寄せられた。
2022年6月18日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【七】先生辻門井二邑の里正を教諭す その10元(もと)拾石(じつこく)を所有(しよいう)せば拾石(じゆつこく)の民(たみ)となし、五拾石(じゆつこく)を所有(しよいう)せば五拾石(じゆつこく)の民(たみ)となし、百石(こく)の所有(しよいう)なれば必ず百石(こく)の田圃(でんぼ)を与(あた)へ、以前(いぜん)有(いう)する所(ところ)の家財(かざい)に至(いた)るまで悉(ことごと)く之(これ)を与(あた)ふべし。夫(それ)天下(てんか)の人民(じんみん)各(かく)其(そ)の主(しゆ)に事(つか)へて田(た)を耕(たがや)し租(そ)を納(をさ)め一家(か)を経営(けいえい)す。其(そ)の主君(しゆくん)仮令(たとひ)道(みち)なしと雖(いへど)も、下(しも)として之(これ)を怨(うら)むべきの道(みち)なし。然(しか)るに怨(ゑん)心(しん)を発(はつ)し、家財(かざい)を持(も)ちて来(きた)るものを容(い)れ、此(こ)の地(ち)の民(たみ)と為(な)す時(とき)は、其(そ)の地頭(ぢとう)へ対(たい)して信義(しんぎ)の道(みち)立(た)つ可(べか)らず。且(かつ)衰運(すゐうん)に会(くわい)し、将(まさ)に亡(ほろ)びんとするの原因(げんいん)を抱(いだ)きて以(もつ)て来(きた)る者(もの)は、仮令(たとひ)如何(いか)なる多福(たふく)を与(あた)ふと雖(いへど)も原因(げんいん)尽(つ)きず。再(ふたゝび)災害(さいがい)並(なら)び至(いた)り、廃(はい)亡(ぼう)に及(およ)ぶこと天理(てんり)自然(しぜん)にして疑(うたが)ひなし。故(ゆゑ)に我(われ)は斯(かく)の如(ごと)きものを受(う)けざるなり。然(しか)して地頭(ぢとう)の憂(うれひ)を憂(うれ)ひ、報恩(ほうおん)の為(ため)に良民(りやうみん)の道(みち)を尽(つく)し、一家(か)一物(ぶつ)も余(あま)さず君(きみ)に奉(ほう)じ、一身(しん)を容(い)るゝの地(ち)なくして来(きた)るに及(およ)びては将(まさ)に亡(ほろ)びんとするの因縁(いんえん)爰(こゝ)に滅(めつ)す。故(ゆゑ)に新(あらた)に幸福(かうふく)を与(あた)ふる時(とき)は必(かなら)ず再栄(さいえい)疑(うたがひ)なし。其(そ)の主人(しゆじん)も亦(また)是(こ)の如(ごと)き良民(りやうみん)を廃棄(はいき)し、采邑(さいいふ)の居住(きよぢゆう)をも許(ゆる)さゞる時(とき)は、此(こ)の地(ち)の民(たみ)と為(な)すと雖(いへど)も何(なに)の子細(しさい)か有(あら)ん。汝(なんぢ)等(ら)此(こ)の道理(だうり)を了解(れうかい)し断然(だんぜん)私心(ししん)を去(さ)り、此(こ)の道(みち)を行(おこな)ふべし。若(も)し我(わ)が言(げん)を疑(うたが)ひ行(おこな)ふことあたはずして主君(しゆくん)と家財(かざい)を争ひ、君(きみ)を怨(うら)みて己(おのれ)を是(ぜ)とし禍(わざわひ)を免(まぬが)れんことを謀(はか)らば、数年(すうねん)を待(ま)たずし必(かなら)ず亡(ほろ)びん。汝(なんぢ)夫(そ)れ之(これ)を疑惑(ぎわく)することなかれと。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください💛酪農学園創設者黒澤酉蔵先生と新井奥邃氏福島 恒雄〈日本基督教団引退教師〉私は酪農学園で育てられた一人として『創立者黒澤酉蔵先生の信仰と教育思想について』―特に土を愛する思想について若干話したいと思います。酪農学園は魂に火花を散らすような深い出会い「邂逅」から生まれたと理解しています。黒澤先生は二つの大きな出会いがありました。一つは少年時代に出会った足尾鉱毒事件の田中正造翁、一つは青年時代に酪農の道を歩むようになった宇都宮仙太郎氏との出会いでした。黒澤は十七歳のとき(旧制中学時代)田中正造の直訴事件を知り、その宿を訪ねました。『私の履歴書』には…「人生には出会いというものがあって、それがその人間の一生を支配してしまうことがよくある。私もまた青春時代に一つの偉大な人格に出会って私の一生が決まってしまった。九十二歳の今日、しきりに思い出されるのはやはりその偉大な人格のことである。その偉大な人格とは公害問題の先覚者田中正造先生である。」と書いています。黒澤少年は田中正造の人格と言葉と行動にひかれて四年間思師として仕えます。そして足尾鉱毒の被災地を訪ねて、地元の青年を糾合し「鉱毒反対青年行動隊」を組織し激しく闘争します。当局からはリーダーとしてマークされ、前橋刑務所に投獄されます。その獄中で婦人矯風会の潮田千勢子女史から聖書が差し入れられ、生涯の支えとなりました。潮田女史も被害者救災運動をしており田中正造から尊敬された一人でした。黒澤はこの時のことを回顧し、「…監獄生活が逆に私の一生の救いをもたらしたことになる…」と書いています。十七歳の時でした。田中正造の明治天皇への直訴は農民を救いたい一心からしたことでしたが、明治政府もマスコミも、愚かな奇人として非難しました。この渦中の中で、田中の行動は政治家としての良心から出たことで、責められるべきは苦難の中にいる農民を助けようとしない明治政府にあると激しく非難した人がいた。明治の特異なキリスト教思想家新井奥邃でした。田中正造は新井を巣鴨に訪ね、その学識の深さに驚嘆し、聖書を学ぶようになります。黒澤も田中に連れられて四年間新井奥邃から学び、聖書の教える愛の深さについて知るのです。黒澤は田中正造のはからいで京北中学を卒業した時、最愛の母がなくなり、「弟妹をたのむ」という遺言を受けました。人一倍母思いであったので進学をあきらめ、裸一貫で北海道に渡ります。紹介された酪農の先駆者、宇都宮仙太郎を訪ね、「牛飼の三徳」の話を聞きます。①牛飼は役人に頭を下げなくてもよい、②牛飼は動物を相手にするので嘘をつかなくてもよい、③生産する牛乳は国民の健康を守る、と教えられ共鳴し、早速、宇都宮牧場の牧夫となって牛飼の技術や酪農を学びます。やがて独立する時、受洗の決意をし、札幌メソジスト教会で洗礼を受けます。この札幌教会で知り合った盟友佐藤善七氏と思師宇都宮仙太郎と三人で酪農の振興、北方農業の確立をめざして北海道にデンマーク農業の導入を図るのです。やがて大凶作から立ち上がるために酪農民の手で生産から加工、販売をめざして札幌酪農組合を作り、一方でデンマーク農業の研究を進めます。後に酪農学園の建学精神となる「神を愛し、人を愛し、土を愛する」三愛精神をデンマーク再興の租と言われるグルンドヴィから学ぶのです。札幌酪連は北海道製酪販売会社となり、雪印乳業へと発展してゆきます。裸一貫で渡道し、牛一頭を借りて出発した貧しい一人の酪農家は聖書を懐にして、師や友と共に北海道一大産業をつくったのです。黒澤は、一九三三年「酪農義塾」を創立します。寝食を共にしてその教育に情熱を傾け、やがて機農高校、三愛女子高、酪農大学と発展し、現在は六千人からの学生が学ぶ一大学園となりました。その建学精神は「神を愛し、人を愛し、土を愛する」三愛精神においています。神を愛し、人を愛する信仰は獄中で聖書から学んだものであり、土を愛する信仰は思師田中正造との命をかけた公害闘争から血肉となった土の哲学でした。土が亡びれば民は亡ぶと叫んだ田中の言葉は二十一世紀の世界を預言しているかのようです。
のどに刺激を与える消炎成分をオリーブオイルから発見エクストラバージン・オリーブオイルには天然の消炎成分が含まれており、そのせいで、のどが焼け付くようなピリピリした独特の感覚を与えるのだという仮説を証明するため、モネル研は、別のスポンサー企業のフィルメニッヒ社(スイスの香料メーカー)と共に、新たに大規模な共同研究を開始しました。そして2005年、学術雑誌『ネイチャー』にこの仮説を実証したレポートを発表し、ピリピリ感の原因が「オレオカンタール」という成分だと報告しました。「オレオカンタール」は私たちのつくった造語で、Oleoはオリーブ、canthは刺激、alはアルデヒドを示しています。オレオカンタールの薬学的特性:アルツハイマー病やがんを含むさまざまな炎症性疾患のインビトロ・モデル(実験室など人工的な環境での実験モデル)で、この成分の薬効を実証する論文が次々に発表されるようになっています。・オレオカンタールには、癌を予防する効果もあることが報告されており、2015年に癌細胞にオレオカンタールを加えると、癌細胞が死滅することが発見されています。しかもその効果には即効性があり、オレオカンタールを投与された癌細胞は30分~1時間以内での死滅が確認されているのです。実は、オレオカンタールには細胞内にあるゴミ箱の役目を果たすリソソームと呼ばれる器官を壊す作用があり、そのゴミ箱の中には毒性の強い物質も含まれているため、オレオカンタールによるゴミ箱の破壊により癌さ細胞そのものが死滅するとされています。しかも、このオレオカンタールによる細胞の死滅はがん細胞だけに確認されているものであり、正常の細胞には一切害を及ぼさないのです。 ただし、このオレオカンタールの良い効果を得るのであれば、加熱すると含まれる成分が低下してしまうため、上質なエキストラバージンオイルを加熱せずに利用する必要があります。エクストラバージンオリーブオイルで得られる5つの健康効果癌のリスクを下げる糖尿病の予防と改善肥満やメタボリックシンドロームの改善心臓血管系疾患の予防と改善抗酸化作用・エキストラバージンオリーブオイルの主成分であるオレイン酸やポリフェノールには、抗酸化・抗炎症作用や抗菌作用や免疫増強作用などがあり、これらの相乗効果によって、癌を予防・治療する効果を発揮するのです。2008年スペインで行われたオリーブ油と健康に関する国際会議の報告書の中で、乳癌や大腸癌、結腸癌などの癌を予防しリスクを下げる効果を持つことが検証されています。また、地中海地方の人は癌による死亡率が低いことが知られていますが、その理由としてオリーブオイルを多く使った地中海地方の食事の特徴が関与していると考えられています。西欧諸国において、食事をオリーブオイルを多く使う地中海式料理に変えると、がんの発生率が10%〜25%減少するという試算も出されています。癌の発生率が、オリーブオイルを摂取することによって減少するという複数の研究のメタ解析の結果が、2011年のアテネ大学医学部による「オリーブオイルの摂取量は、がんの罹患率に反比例します|19の観察研究における13800人の患者と23340人の対照の系統的レビューとメタ分析」という論文でも報告されています。2015年には細胞研究の論文として、アメリカの国立バイオテクノロジー情報センターより、エクストラバージンオリーブオイルに含まれるオレオカンタールというポリフェノールに癌細胞を破壊するほどの力があることも発表されました。他に、皮膚癌や子宮内膜の癌、白血病に対しての予防効果も報告されています。・エクストラバージンオリーブオイルには糖尿病の発症を予防したり改善する効果があります。オレイン酸が血液中の悪玉コレステロールを下げ、血糖コントロールを改善するのです。この効果については、2008年スペインで行われたオリーブ油と健康に関する国際会議の報告書の中で、オリーブオイルを用いた食事が糖尿病と関連する動脈硬化促進性の変化(脂質異常症、食後の高脂血症、小LDL、リポタンパク酸化、炎症、血栓症、及び内皮異常)に良い影響を示したと報告されています。・エキストラバージンオリーブオイルを食べることで、心臓血管系疾患(心筋梗塞、脳卒中、動脈硬化など)の予防や改善が望めます。エキストラバージンオリーブオイルの主成分であるオレイン酸には善玉コレステロールは減らさず、心臓血管系疾患の原因となる悪玉コレステロールを減らす効果があります。またエキストラバージンオリーブオイルに含まれるポリフェノールには血液をサラサラにする働きがあるので、血管の老化をストップし、心筋梗塞、脳卒中、動脈硬化の予防など生活習慣病対策になります。・エキストラバージンオリーブオイルには、老化を防止する抗酸化作用があります。果物が傷むと酸化して茶色く変色し腐ってしまうように、人間の体も酸化します。身体の酸化して活性酸素が溜まると、シミやシワ、肌荒れなどを起こしたり、血管が老化して血管系疾患を引き起こしたりと色々なトラブルの原因になります。エクストラバージンオリーブオイルの主成分であるオレイン酸の抗酸化作用として、活性酸素の攻撃を抑制し、老化を防いだり、生活習慣病を予防する効果があります。ポリフェノールの働きがシミを防ぎ、美白作用も期待できます。・オリーブオイルでいつまでも若々しい脳を:イタリアでの科学的発見イタリアのNRC(国立研究評議会)による研究は、「エキストラ・バージン・オリーブオイルが認知機能の老化を遅らせる効果があるかどうかを調べる」ことを目的としており、イタリアの通信社Ansaが最近報じた。この研究は、がん研究の最前線にある権威ある研究所ウンベルト・ヴェロネージ財団に選ばれ、ジョルジオ・ダンドレアが担当し、ローマのトシア大学とルムサも参加しています。 「ヴェロネージ財団のウェブサイトによると、地中海食に欠かせないエキストラ・バージン・オリーブオイルは、フェノール化合物であるヒドロキシチロソールをはじめとする分子を含んでおり、健康にさまざまな効果をもたらします。「最近の研究では、特に高齢者の成体マウスにヒドロキシチロソールを投与すると、幹細胞からの新しい神経細胞の産生が増加することが明らかになりました(神経発生と呼ばれるプロセス)。
ご仕法は私事ではない。一国のご興廃にかかわる大事です。一身の憂いを除くためには十本の指を切り落とすことも顧みないときに一命をとりとめることもあります。過か日じつ何なに故ゆえに其それ以い来らいの御おん取とり調しらべ出で来きず候そうろう哉やと衣きぬ笠がさ氏しえ尋たずね候そうろう処ところ、鈴すず木き氏し(奉行鈴木源八郎)長なが病わずらいにて相あい後おくれ、病びょう症しょう柄がら調しらべ向むきの儀ぎ相あい尋たずね候そうらへば病びょう気きに障さわり候そうろう故ゆえ、拠よんどころ無なく其その侭ままに流ながれ居おり候そうろうとの御おん咄はなし、是これ何なんの事ことぞや。御ご仕し法ほうの調しらべは私し事じにあらず。一国こくの御ご興こう廃はいに拘かかわり候そうろう大だい事じを、一人りの病やまいに拘かかわり捨すて置おかれ候そうろうとは一指しの小しょう瘡そうを憂うれいて、惣そう身しんの大だい患かんを捨すつるが同どう様ようには之これ無なき哉や。一身しんの憂うれいを除のぞく為ためには十指しを落おとすも顧かえりみざる時とき宜よろしく之これ有あるべし。是これは大だい小しょう軽けい重ちょうの為ためには人じん臣しんは病やまずとも、何なんぞ国こく家かの大だい事じあらば、是これが為ために一命めいをも棄すて候そうろうは臣しん為たる者ものの常じょう道どうに候そうろう処ところ、御おん家いえ御おん興こう復ふくの大だい業ぎょうを病びょう人にんの為ために懸け念ねん致いたされ、御おん廃はいし置おかれ候そうろうとは余あまりの御おん心こころ得え違ちがいには御ご座ざ無なき哉や。是これ全まったく左さにはあらず、御おん興こう復ふくの御ご志し願がんなきが故ゆえ也なり。御おん興こう復ふくの思おぼし召めし之これ無なき候そうらはば速すみやかに御おん止やめ成なさるべきの処ところ、何なんとなく歳さい月げつを送おくり候そうろうては、御おん頼たのみの方ほうにては御おん差さし支つかえも之これ有ある間ま敷じき哉や、年ねん来らい御おん世せ話わ仕つかまつり候そうろう拙せっ者しゃに於おいて、今こん日にちの御ご奉ほう公こう進しん退たいにも当とう惑わく致いたし候そうろう間あいだ、何いずれか取とり訳わけ治ち定じょう仕つかまつり度たく罷まかり出で候そうろう。鈴木すずき・大嶋おおしま(下級藩士大嶋儀左衛門)両りょう士し未いまだ桜さくら町まちに出しゅっ張ちょう之これ無なきの時ときだも明細めいさいの取とり調しらべ致いたし差さし上あげ候そうろう儀ぎ、況いわんや其その後ごの調しらべ誰だれか居おられず候そうろう共とも、相あい分わからざる事ことは之これ無なき候そうろうに付つき、早そう々そう取とり調しらべ、御お目めに掛かけるべし。其その上うえにて逸いつ々いつ宜よろしからず候そうらはば、残のこる所ところなく焼やき棄すて、御おん互たがいに是これ迄までの事こと共ども取とり棄すて申もうすべし。夫それ共とも調しらべ候そうろうにも及およばず、此この侭ままにて相あい止とめ呉くれよとの思おぼし召めしに候そうらはば、其その通とおりに仕つかまつるべし。又また弥いよいよ押立おしたつべき道みちに付つき戌いぬ年としの如ごとく御おん借しゃく財ざい皆かい済さい御おん領りょう中ちゅう御おん再さい復ふくの儀ぎ取とり計はからい申もうすべしとの御おん頼たのみに候そうらはば、初しょ発はつ致いたし方かたも御ご座ざ無なく、極ごく御おん難なん場ばにてさえ御ご承しょう知ちの通とおり仕し法ほう組くみ立たて差さし上あげ候そうろう儀ぎを、今いまは多た分ぶんの御おん減げん借しゃくに相あい成なり居おり候そうろうのみならず、御おん領りょう中ちゅう自し然ぜん潤じゅん沢たく致いたし居おり候そうろう場ばに候そうらへば、下げ拙せつ一人りにて引ひき受うけ、御おん無む借しゃくの道みち取とり計はからい候そうろう共とも心こころ易やすき事こと、初しょ発ほつの半なかばにも御ご座ざ無なく候そうろう間あいだ、御ご安あん堵どの道みち取とり計はからい申もうすべし。抑そもそも先せん君くん厚あつき御ご仁じん心しんを以もって御おん家か政せい御おん取とり直なおし御おん領りょう民みん御ご撫ぶ育いくの道みち御おん頼たのみ仰おおせ入いられ候そうろう処ところ、計はからずも御ご逝せい去きょ愁しゅう歎たん限かぎり無なく、乍去さりながら思おぼし召めしは当とう領りょう分ぶん有あらん限かぎり減げんじ申もうさず、当とう君くん御おん幼よう年ねんに為なし渉わたられ候そうろう共とも、御父君ごふくんの思おぼし召めしを無むに遊あそばされ候そうろう御ご不ふ孝こうの思おぼし召めしは毛もう頭とう御ご座ざ有ある間ま敷じく、況いわんや各かく方ほうには先せん君くんの思おぼし召めしを継つぎ、幼よう君くんを補ほ佐さし、御おん国こく家か御おん永えい安あんの政まつりごとを布しかれ、死しに事つかう生せいに事つかえる如ごとくの御ご忠ちゅう義ぎ御おん励はげみ勤つとめ成なさるべきは申もうす迄までも之これ無なき儀ぎに付つき、弥いよいよ先せん君くん思おぼし召めし通とおり御おん借しゃく財ざい御おん皆かい済さい御おん領りょう分ぶん御おん興こう復ふくの道みち御おん押おし立たてに相あい成なり候そうらはば、先せん君くんの尊そん霊れいを安やすんじ奉たてまつり、当とう君くんえの御ご忠ちゅう義ぎ確かっ乎ことして相あい立たち、二万まん石ごく永えい久きゅうの大たい幸こう過すぎざるの義ぎに御ご座ざ候そうろう間あいだ、厚あつく御おん取とり行おこない成なされ候そうらはば、先まず御おん皆かい済さいの道みち相あい立たち差さし上あぐべし。私わたし方かたは初しょ発はつより兎とに角かくの存そん意い御ご座ざ無なき儀ぎに付つき、何いずれにても御おん治ち定じょう下くだされ候そうらえば、其その段だん向むこう々むこうえ相あい達たつし、一身しん進しん退たい仕つかまつるべく候そうろうとありければ、何いずれも別べつの異い論ろんなく、相談そうだんの上うえ御挨拶ごあいさつに及およぶべき旨むねにて退散たいさんの事こと。
辻元舞『かすみ草』は2位ではあったが、さすがに見事だった。カリフラワーでカスミソウを描くというアイデアが素晴らしい。使ったのはカリフラワー、にんじん、ラディッシュ、ヤングコーン、ディル、ハム、明太マヨなど。佐々木先生「カリフラワーの質感ってかすみ草にリンクする部分があったり、アイデアが素晴らしいなと思います。そして先生の手直しがまた素晴らしかった。一方、白い別の食材、小玉ねぎを組み合わせるとより豊かな表現と食べていて楽しくなるという先生のアドバイスも。葉っぱのみどりも増えて、見た目が自然なカリフラワーで素敵で、おいしそう。
2022年7月2日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【八】川副氏采邑青木邑の衰廃を興す その13先生(せんせい)又(また)命(めい)じて曰(いは)く、川幅(かははゞ)に応(おう)じ茅屋(ぼうをく)を作(つく)り之(これ)を葺(ふ)くべしと。衆人(しゆうじん)何(なに)の故(ゆゑ)を知(し)らず。水上(すゐじやう)に屋(をく)を作(つく)りて堰(せき)を作(つく)らず亦(また)異(こと)ならずやと、秘(ひそか)に笑(わら)ふものあり。水上(すゐじやう)の屋(をく)既(すで)に成(な)る。先生(せんせい)曰(いは)く。誰(たれ)か屋上(をくじやう)に登(のぼ)り繋(つな)ぐ所(ところ)の縄(なは)を伐(き)り水(すゐ)中(ちゆう)に落(おと)す可(べ)しと。衆(しゆう)皆(みな)驚愕(きやうがく)一人(にん)敢(あへ)て応(おう)ずるものなし。先生(せんせい)曰(いは)く、何(なに)を憚(はゞか)りて上(のぼ)らざるや。衆(しゆう)同音(どうおん)答(こた)へて曰(いは)く、川上(かはかみ)の屋(をく)、縄(なは)を以(もつ)て繋(つな)げり。今(いま)之(これ)を断(だん)ぜば屋(をく)と共(とも)に川中(かわなか)に陥(おちい)り、死生(しせい)計(はか)るべからずと。先生(せんせい)怫然(ふつぜん)として曰(いは)く、汝等(なんぢら)危(あやう)しとせば我(われ)上(のぼ)りて之(これ)を断(だん)ぜんと。直(たゞち)に屋上(をくじやう)に登(のぼ)り刀(たう)を振(ふる)ひて数所(すうしよ)の縄(なは)を断(だん)ず。其(そ)の迅速(じんそく)飛(と)ぶが如(ごと)し。屋(をく)一震(しん)水中(すゐちゆう)に落つ。衆(しゆう)皆(みな)愕(がく)然(ぜん)、先生(せんせい)屋上(をくじやう)に立(た)ちて曰(いは)く、汝等(なんぢら)之(これ)を危殆(きたい)とす。我(われ)何(なん)ぞ汝等(なんぢら)に危事(きじ)を命(めい)ぜんやと。衆(しゆう)皆(みな)其(そ)の過(あやま)ちを謝(しや)し、益(ますます)先生(せんせい)の神(しん)知(ち)測(はか)るべからざるを感(かん)ず。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください
ウクライナをEU加盟候補国に 欧州委が勧告6/17(金) 欧州連合(EU)欧州委員会(European Commission)は17日、ウクライナに対して正式にEU加盟候補国の地位を付与するよう勧告した。ただ、加盟実現には数年を要することになる。欧州委のウルズラ・フォンデアライエン(Ursula von der Leyen)委員長は「ウクライナは加盟候補国として歓迎されるべきだ。これは、今までに好ましい取り組みがなされ、さらに重要な取り組みが残っているという理解に基づいている」と述べた。欧州委、ウクライナとモルドバにEU候補国の地位付与推奨へ6/17(金)欧州連合(EU)の行政執行機関である欧州委員会は、ウクライナとモルドバにEU加盟候補国としての地位を与えることを推奨する計画だ。加盟に向けた長い手続きの象徴的な一歩となる。関係者によれば、欧州委は17日に意見を公表する見込みで、法の支配や司法、汚職防止に関して両国が将来満たさねばならない条件を設定する。特定の条件を満たせば、ジョージアにも候補国の地位を与えることを推奨する見通しだという。候補国の地位付与の最終決定にはEU加盟全27カ国の承認が必要で、加盟手続きは多数のステップや条件があり、通常は10年以上を要する。ショルツ独首相とマクロン仏大統領、ドラギ伊首相は16日にウクライナのキーウを訪問し、同国の加盟申請を強く支持。ドラギ首相はキーウで、「われわれが今回の訪問で送りたい最大のメッセージは、ウクライナのEU加盟をイタリアが望んでいるということだ。伊仏独の指導者がここに来たのはウクライナに無条件の支持を表明するためだ」と述べた。仏独伊首脳がキーウ訪問 ウクライナのEU加盟支持6/17(金) フランス、ドイツ、イタリアの首脳らがウクライナのゼレンスキー大統領と会談し、EU(ヨーロッパ連合)への加盟を支持した。フランスのマクロン大統領、ドイツのショルツ首相、イタリアのドラギ首相、それにルーマニアのヨハニス大統領は16日、ウクライナの首都キーウでゼレンスキー大統領と会談した。会談では、ロシアに対するさらなる制裁や食料の安定的な確保、それに追加の武器支援などについて話し合われたほか、4カ国の首脳はウクライナのEU加盟への支持を表明した。フランスのマクロン大統領「ウクライナが自ら運命を選択できるよう、われわれはあらゆる手段を尽くす」また、フランスは、精度の高さで知られる自走砲「カエサル」を新たに6台提供することを明らかにした。
2022年06月17日
新井奥邃今其れ人を愛するに於て一法有り。人工の法に非ず。姑(しばら)く之を循環黙愛と謂はん。何ぞや。譬へば此に友十人ありとせん、我れ静黙以て日に其の一人を胸裏に特愛し十日にして全部に及ぶ。終りて復た始まる。諸友、各々此の如くにす。此れ集団を神愛するの法林竹二先生と森信三先生が別々の文脈でこの人に触れられ、深い敬愛を示されているのであう。 「新井奥邃 (1846-1922) 明治のキリスト教伝道師にしてトマス・レイク・ハリスの弟子。隠者。 仙台藩士の家に生まれ、藩校養賢堂に学ぶ。のちに江戸の昌平黌に留学するも戊辰戦争に従軍。さらに榎本武揚の幕府海軍に入り函館まで転戦。同地ではじめてロシア正教を知る。維新後は捕縛を恐れて友人宅にかくまわれていたが、この潜伏期間中にキリスト教信仰を深めている。やがて森有礼に見出され、1871年にアメリカのハリス教団に送り込まれる。教団ではおもにハリスの秘書として原稿を整理し、印刷出版に従事している。 1875年、ハリスとともにサンタローザに移住してさらなる信仰労働生活を送る。 1899年、実に28年余の教団生活ののちに日本に帰還。ほぼ無一文という身の上であったため、友人知人宅を転々とする。 1903年、巣鴨に私塾「謙和舎」を開き、伝道生活に入る。名誉欲など微塵もない人柄であり、一枚の写真も肖像画も残さぬまま隠棲し、1922年、巣鴨の謙和舎にて死去。享年77歳。 新井はハリスの信仰を引き継ぎ、生涯を貧のなかで過ごした。謙和舎には奥邃の無私無欲の人柄を慕う人が集い、幾多の奥邃語録が編まれていった。かれの塾に出入りした人間のなかには、内村鑑三や田中正造といった明治日本を代表するキリスト教関係者も見受けられる。」 林竹二先生は「田中正造と新井奥邃」の論文で谷中村の闘いの中で田中正造がいかに新井奥邃という人との出会いで救われたかを詳述している。 「久々にて新井奥邃氏を訪うて治す。 厄介とまる。安眠す。 ほとんど深山に寝たるごとし。 清風静かに、身辺和らかに神心清きを感ず。」 「安眠す」に田中正造の幼子が母のもとで安らかであるような気持ちまで感得できる。 「新井奥邃氏と話す。 一泊厄介を得て親しく長時間を対話するごとくするも、一物の存するなきがごとし。 ただ何事か心清まりて高尚にすすむを覚ゆ。 これ神のめぐみのみ。 神は物をさして教えることなし。 すべてを育するのみ。」田中正造は大正2年9月4日亡くなった。 胃ガンであった。 大正2年(1913)8月2日、田中は最後の河川視察を終えて、谷中に引き返す途中、病状が重くなり、足利郡吾妻村の庭田清四郎の家にころがりこんだ。 その1週間後、8月9日午後4時頃、島田宗造が知らせを受けて駆けつけ、夜を徹して百枚ばかりハガキを書いて諸方に知らせを発した。 このハガキを受けて新井奥邃が8月13日付けで島田に手紙を寄せて、新井の著書「静間読」の一節を田中に読み聞かすように指示した。 島田が田中正造に読み聞かせると、田中は大変喜んだとある。 8月22日夜半、病状はさらに悪化し、田中は大声で 「現在を救え、ありのままを救え」 と叫んで、意識不明となった。 新井奥邃は旅行して帰宅していたが、体調を悪くして静養していた。 島田からの田中翁危篤の手紙を受けて、島田に手紙を出した。 「(略) 今朝の新聞によれば翁いささかおよろしき方とあり、まず翁自身の安心の程度に安心いたし候。 肉体も実に大切なるものに候へども、人の生命は誠に永久にして肉体以上にあることを明らかにせざるべからず。 田中翁はその肉に死するもその人は死せず、何事のその身辺に起こるも必ず翁のために悲しむなかれ。 またいたずらに喜ぶなかれ。 翁の使命その奮闘今後千年なおいまだ尽きざればなり。 ただし、その身辺何事起こるも、周囲必ず清々粛々たること緊要なり。 8月26日午前9時しるす 奥邃」 「翁自身の安心の程度に安心いたし候」りある。 奥邃のいう「安心」は単なる病状が少しよくなって安心しましたということではないことはそれ以下の文章を見ればわかる。 「田中翁とあいしる12,3年。兄弟ただならず。」ともその後、正造の訃報を聞いて記している。 奥邃と田中翁は肉親よりも心の通じ合う間柄で、田中翁の心をおもんぱかって、出た言葉であろうか。 「肉体も実に大切なるものに候へども、人の生命は誠に永久にして肉体以上にあることを明らかにせざるべからず。 田中翁はその肉に死するもその人は死せず、何事のその身辺に起こるも必ず翁のために悲しむなかれ。またいたずらに喜ぶなかれ。」 奥邃の文章は独特の調べがあり、美しい。 そしてこの文章は私にも感慨を持たせる。 人は肉体は死んでも人の生命(魂)は永久であると奥邃は言う。
昨日のプレバトのトーストアート。光宗薫さんの「猫とねむる」で一発特待生。素晴らしいアボカドベースというのも、私が毎日パンにアボカドベースを塗って、その上にブルーベリーを載せているだけに親しみがわく。辻本舞さんの カリフラワーをカスミソウに見立てるアイデアも素敵。先生が手直しとして カリフラワー一色ではなく小さな玉ねぎを加え、さらに緑の葉っぱが花の間に見える図も見た目も美しく、おいしそう。
2022年6月17日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【七】先生辻門井二邑の里正を教諭す その9今(いま)一家(か)を抛(なげう)ち君命(くんめい)を奉(ほう)ず。明日(あす)より道路(だうろ)に立(た)たんか、素(もと)より某(ぼう)等(ら)の甘(あまん)ずる所(ところ)なり。然(しか)して君(きみ)若(も)し某(ぼう)等(ら)を憐(あはれ)み、采邑(さいいふ)中(ちゆう)の居住(きよぢゆう)を許(ゆる)し玉(たま)はゞ幸甚(こうじん)なり。極窮(ごくきゆう)飢寒(きかん)を免(まぬが)れ難(がた)しと雖(いへど)も、数(すう)百年来(ねんらい)世々(よゝ)君恩(くんおん)に浴(よく)し、相続(さうぞく)せしを以(もつ)て、拳々(けんけん)として故郷(こきやう)を去(さ)るに忍(しの)びず。是(これ)故(ゆゑ)に邑(いふ)人(じん)の家(いへ)を借(か)り、其(そ)の余田(よでん)を耕(たがや)して以(もつ)て永(なが)く君(きみ)の采邑(さいいふ)に居住(きよぢゆう)せんことを願(ねが)ふなりと。地頭(ぢとう)之(これ)れを許(ゆる)さば君(きみ)の善心(ぜんしん)自(みづ)から発動(はつどう)して永安(えいあん)の道(みち)も生(しやう)ぜん。然(しか)らば汝(なんぢ)等(ら)も邑(むら)の余田(よでん)を耕(たがや)し、或(あるひ)は荒地(くわうち)を開(ひら)き、心力(しんりよく)を尽(つく)して稼穡(かしよく)すべし。必(かなら)ず天(てん)の恵(めぐみ)を得(え)て以(もつ)て再(ふたた)び相続(さうぞく)の道(みち)を生(しやう)ぜん。能(よ)く勉(つと)め、能(よ)く愼(つゝし)み、弥々(いよいよ)以(もつ)て君恩(くんおん)を忘(わす)る可(べか)らず。若(も)し斯(かく)の如(ごと)く歎願(たんぐわん)すと雖(いへど)も、君(きみ)許(ゆる)し玉(たま)はざる時(とき)は如何(いか)にせん。君(くん)民(みん)の道(みち)既(すで)に尽(つき)たり。是(こゝ)に於(おい)て已(や)むことを得(え)ずんば妻子(さいし)と倶(とも)に当邑(たういふ)に来(きた)れ。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください💛6月16日のプレバトのトーストアート。光宗薫さんの「猫とねむる」で一発特待生。素晴らしいアボカドベースというのも、私が毎日パンにアボカドベースを塗って、その上にブルーベリーを載せているだけに親しみがわく。辻本舞さんの カリフラワーをカスミソウに見立てるアイデアも素敵。先生が手直しとして カリフラワー一色ではなく小さな玉ねぎを加え、さらに緑の葉っぱが花の間に見える図も見た目も美しく、おいしそう。
2022年6月16日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【七】先生辻門井二邑の里正を教諭す その8誠(まこと)に歎(たん)ずべきの至(いたり)にあらずや。汝(なんぢ)等(ら)夫(そ)れ此(こ)の二者(しや)の内(うち)何(いづ)れを是(ぜ)とし何(いづ)れを非(ひ)とするや。若(も)し此(こ)の言(げん)を是(ぜ)とせば速(すみやか)に君(きみ)に奉(ほう)じ、然後(しかるのち)地頭(ぢとう)へ歎願(たんぐわん)すべし。其(そ)の言(げん)に曰(いは)く、目今(もくこん)君家(くんか)の艱難(かんなん)に当(あた)り報恩(ほうおん)の為(ため)に力(ちから)を尽(つく)し之(これ)を補(おぎな)ひ、君(きみ)の苦心(くしん)を安(やす)んぜん事(こと)を念(ねん)願(ぐわん)すと雖(いへど)も、貧民(ひんみん)の微力(びりよく)に能(あた)はず。聊(いさゝ)か報恩(ほうおん)の一端(たん)にも当(あた)るに足(た)らずと雖(いへど)も、衣類(いるい)家財(かざい)田地(でんぢ)に至(いた)るまで余(あま)す所(ところ)なく之(これ)を鬻(ひさ)ぎ、猶(なほ)些少(させう)たりとも価(あたひ)多(おほ)くして君(きみ)の小(せう)補(ほ)あらん事(こと)を願(ねが)ひ、四方(はう)に奔走(ほんそう)し以(もつ)て高価(かうか)に販(ひさ)ぎ之(これ)を奉(ほう)ず、然(しかれ)ども君(きみ)の艱(かん)苦(く)何(なん)ぞ此(こ)の微(び)金(きん)を以(もつ)て補(おぎな)ふに足(た)らん。某(ぼう)等(ら)二村(そん)の里正(りせい)として諸民(しよみん)に先(さき)んじ、君家(くんか)の為(ため)に家(いへ)株(かぶ)を廃(はい)して之(これ)を献(けん)ず。諸民(しよみん)も之(これ)に倣(なら)ひ、稍々(やゝ)家(いへ)を廃(はい)して献(けん)ぜんこと疑(うたが)ひなし。君(きみ)ありて民(たみ)あり、民(たみ)ありて君(きみ)も亦(また)安(やす)んじ玉(たま)ふ。故(ゆゑ)に二邑(いふ)の民(たみ)悉(ことごと)く退散(たいさん)するに至(いた)りては、田圃(でんぼ)荒蕪(くわうぶ)し租税(そぜい)出(い)づる所(ところ)なく、君家(くんか)の禍(わざはひ)益(ますます)深(ふか)きに至(いた)らんか、是(これ)某(ぼう)等(ら)の悲歎(ひたん)止(や)み難(がた)き所(ところ)なり。仰(あふ)ぎ願(ねがは)くは君(きみ)の賢明(けんめい)を以(もつ)て後(こう)栄(えい)の道(みち)を慮(おもんばか)り先(せん)君(くん)への孝道(かうだう)を全(まつた)くし玉(たま)はゞ、某(ぼう)等(ら)の大喜(たいき)豈(あに)之(これ)に加(くは)ふるものあらんや。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町「はやぶさ2」が回収した小惑星の砂にアミノ酸確認 生命の起源解明につながるか 岡山大など6/10(金)岡山大学やJAXA・宇宙航空研究開発機構などの研究グループは、「はやぶさ2」が小惑星リュウグウから回収した砂などに含まれる物質を総合的に解析しました。 砂からは水素や炭素、水などが見つかり、太陽系の形成・進化のメカニズムを解明していく上で重要な成果だということです。その他、アミノ酸23種類を含む有機物も確認されました。 アミノ酸は、生命に必要なたんぱく質を構成する物質で、今後、生命の起源解明に向け議論を進めていく上での貴重な発見となりそうです。リュウグウ試料から「多量の水」 海の起源、謎解明の手がかりか6/10(金)宇宙航空研究開発機構(JAXA)や北海道大などの分析チームが9日付の米科学誌サイエンス電子版に発表チームは、採取された砂や石の化学組成を精密に測定。主な成分は水を含む粘土鉱物で、他に炭酸塩鉱物や硫化鉄なども含んでいた。水は質量比で全体の約7%を占めた。液体の水ではなく、ほとんどが酸素と水素の原子が結合した水酸基(OH)の状態で存在していたが、水分子(H2O)も確認された。 リュウグウは、約46億年前の太陽系の誕生から間もないころにできた小天体が壊れてできたと考えられている。小天体に約40度の水があったとすると、これらの鉱物ができた理由がうまく説明できるという。 一方、試料の中の酸素原子は、地球の海の水と比べ、重い酸素の割合が少しだけ高かった。そのためリュウグウと同質の小天体が衝突するだけでは、海と同じ水ができるとは言えないという。 太古の地球はドロドロに溶けたマグマのような状態だったと考えられ、どうやって水が運ばれたかは謎の一つだ。水を含む粘土鉱物からなる「炭素質隕石(いんせき)」は地球上でも見つかっている。リュウグウの試料やこれらの隕石は、太陽系で最も原始的な物質と考えられ、こうした謎を解く手がかりになるとみられる。💛 朝5時サイクリングに行こうとすると雨。布団でもう一眠り。隣で妻が目覚める気配。「足を押そうか?」押す時は両足を膝の上に置いて合掌して「○○が健康で元気で感謝します」と魔法の言葉(Magic Word)を唱えてから片足ずつ足の裏を押す。超高齢化社会、コロナのステイホームの時代、夫婦が共に健康であるために、足の裏マッサージを活用することは有効であるように思える。💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください
2022年06月16日
湯船は 大人はかがんで 子どもは立つ のを中庸とする。富む者が よく分度を守って よく譲るならば 村が富栄え 和順することは疑いがない。「二宮翁夜話」(底本は、「報徳要典」昭和9年1月1日発行)二宮翁夜話巻之1【38】嘉永かえい5年正月ねんしやうがつ、翁をうおのが家いへの温泉をんせんに入浴にふよくせらるゝ事こと数日すうじつ、予よが兄あに大澤おほさわ精せい一、翁をうに随したがつつて入浴にふよくす。翁をう湯桁ゆけたにゐまして諭さとして曰いはく、夫それ、世よの中なか汝等なんぢらが如ごとき富者ふしやにして、皆みな足たる事ことを知しらず、飽あくまでも利りを貪むさぼり、不足ふそくを唱となふるは、大人だいにんのこの湯船ゆぶねの中なかに立たちて、屈かがまずして、湯ゆを肩かたに掛かけて、 湯船ゆぶねはなはだ浅あさし、膝ひざにだも満みたずと、罵ののしるが如ごとし、若もし湯ゆをして望のぞみに任まかせば、小人せうにん童子どうじの如きは、入浴にふよくする事ことあたはざるべし、是これ湯船ゆぶねの浅あさきにはあらずして、己おのれが屈かがまざるの過あやまちなり、能よく此この過あやまちを知しりて屈かがまば、湯ゆ忽たちまち肩かたに満みちて、おのづから十分ぶんならん、何なんぞ他たに求もとむむる事ことをせん、世間せけん富者ふしやの不足ふそくを唱となふる、何なんぞ是これに異ことならん。夫それ分限ぶんげんを守まもらざれば、千万石まんごくといへども不足ふそくなり、一度ど過分くわぶんの誤あやまりを悟さとりて分度ぶんどを守まもらば、有余いうよおのづから有ありて、人ひとを救すくふに余あまりりあらん、夫それ湯船ゆぶねは大人だいにんは屈かがんで肩かたにつき、小人せうにんは立たつて肩かたにつくを中庸ちゆうようとす、百石こくの者ものは、五十石こくに屈かがんで五十石こくの有余いうよを譲ゆづり、千石こくの者ものは、五百石こくに屈かがんで五百石こくの有余いうよを譲ゆづる、是これを中庸ちゆうようと云いふべし、若もし一郷きやうの内うち一人り、 此この道みちを蹈ふむ者ものあらば、人々ひとびと皆みな分ぶんを越こゆるの誤あやまりを悟さとらん、人々ひとびと皆みな此この誤あやまりを悟さとり、分度ぶんどを守まもりて克よく譲ゆづらば、一郷きやう富栄ふえいにして、和順わじゆんならん事こと疑うたがひなし、古語こごに、一家か仁じんなれば一国こく仁じんに興おこる、といへり、能よく思おもふべき事ことなり、夫それ仁じんは人道じんだうの極きよくなり、
二宮翁夜話巻の2【39】「学問は活用を尊ぶ。万巻の書を読んでも、活用しなければ用をなさない」「古語にいう、一家仁なれば仁に興り、一家譲なれば一国譲に興ると。また曰く、誠に仁に志せば悪なし、とある。これは決して疑いのないものである。。」「二宮翁夜話」(底本は、「報徳要典」昭和9年1月1日発行)二宮翁夜話巻之2(【 】は夜話の通しで表記する) 【39】翁曰く、学問がくもんは活用くわつようを尊たふとぶ、万巻まんくわんの書しよを読よむといへ共ども、活用くわつやうせざれば用ようはなさぬものなり。論語ろんごに里りは仁じんをよしとす、撰えらんで仁じんに居をらずんば焉いづくんぞ智ちを得えんとあり、誠まことに名言めいげんなり、然しかりといへども、遊歴人いうれきじんや店借人たなかりにんなどならば、撰えらんで仁じんの村むらに居をる事ことも出来でくべし、されど田畑たはた山林さんりん家蔵いへくらを所有しよいうする、何村なにそんの何某なにぼうなる者もの、如何いかなる仁義じんぎの村むらがあればとて、其その村むらに引越ひつこす事こと出来でくべきや、さりとて其その不仁ふじんの村むらに不快ふくわいながら住すみ居をりては、智者ちしやとは云いはれざる勿論もちろんなり、扨さて断然だんぜん不仁ふじんの村むらを捨すて、仁義じんぎの村むらに引越ひつこす者ものありとも我われは是これを智者ちしやとは云いはず、書しよを読よんで活用くわつやうを知らざる愚者ぐしやと云いふべし。如何いかんとなれば、何村なにそんの何某なにぼうと云いはるゝ程ほどの者もの、全戸ぜんこを他村たそんに引移ひきうつす事こと容易よういにあらず、其その費用ひようも莫大ばくだいなるべし、此この莫大ばくだいの費用ひようを捨すて、住すみ馴なれし故郷こきやうを捨すつる、愚ぐにあらずして何なんぞ、夫それ人ひとに道みちあり、道みちは蛮貊ばんぱくの邦くにといへども行おこなはるゝ物ものなれば、如何いかなる不仁ふじんの村里むらさとといへ共とも、道みちの行おこなはれざる事ことあるべからず、自みずから此この道みちを行おこなひて、不仁ふじんの村むらを仁義じんぎの村むらに為なして、先祖せんぞ代々だいだい其処そこに永住えいぢゆうするをこそ、智ちといふべけれ、此この如ごとくならざれば、決けつして智者ちしやといふべからず、然しかして其その不仁ふじんの村むらを、仁義じんぎの村むらにする、甚はなはだ難かたからず、先まづ自分じぶん道みちを踏ふんで、己おのれが家いへを仁じんにするにあるなり。己おのれが家いへ仁じんにならずして、村里むらさとを仁じんにせんとするは、白砂はくさを炊かしいで飯めしにせんとするに同おなじ、己おのれが家いへ誠まことに仁じんになれば、村里むらさと仁じんにならざる事ことなし、古語こごに曰いはく、一家か仁じんなれば一国こく仁じんに興おこり、一家か譲ゆづりあれば一国こく譲ゆづりに興おこる、又また曰いはく、誠まことに仁じんに志こころざせば悪あくなし、とある通とほり、決けつして疑うたがひなき物ものなり、夫それ爰ここに竹木ちくぼくなど本末もとすゑ入いり交まじり、竪横たてよこに入いり乱みだれたるあり、是これを一本ぽんづゝ本もとを本にし、末すゑを末にして止やまざる時ときは、終つひに皆本末もとすゑ揃そろひて整然せいぜんとなるが如ごとし。古語こごに直なほきを挙あげて諸々もろもろの曲まがれるを措おくく時ときは、よく曲まがれる者ものをして直なほからしむ、とある通とほり、善人ぜんにんを挙あげ直人ちよくじんを挙あげて、厚あつく賞誉しやうよして怠おこたらざる時ときは必かならず四五ヶ年間を出いでずして、整然せいぜんたる仁義じんぎの村となる事こと、疑うたがひなき物ものなり。世間せけんの富者ふしや、此この理りに闇くらく書しよを読よんで活用くわつようを知しらず、我わが家を仁義じんぎにする事を知しらず、徒いたづらに迷まよひを取とつて、村里むらさとの不仁ふじんなるを悪にくみ、村人むらびと義ぎを知しらず、人気にんき悪わるし、風儀ふうぎ悪わるしと詈ののしり、他方たはうに移うつらんとする者もの往々わうわうあり、愚ぐと云いふべし。扨さて村里の人気にんきを一新しんし、風俗ふうぞくを一洗せんすると云いふ事こと、最もつとも難かたき事ことなれども、誠心まごころを以もつてし、其その方法はうはふを得うれば、左程さほど難かたき事にはあらざるなり。先まづ衰貧すゐひんを挽回ばんくわいし、頽廃たいはいを興復こうふくするより手てを下くだし方法はうはふの如ごとくして、漸次ぜんじ人気にんき風儀ふうぎを一洗せんすべし。扨さて人気風儀を一新しんなすに機会きくわいあり、譬たとへば今爰ここに戸数こすう一百の邑むらあり、其その中うち四十戸こは衣食いしよく不足なく、六十戸こは窮乏きゆうぼふなれば、一邑いふ其その貧ひんを恥ぢとせず、貧ひんを恥ぢとせざれば租税そぜいを納めざるを恥はぢず、借財しやくざいを返さゞるを恥ぢず、夫役ふえくを怠おこたるを恥ぢず、質しちを入いるを恥ぢず、暴ぼうを云いふを恥ぢず、此この如ごとくなれば、上かみの法令はふれいも里正りせいの権けんも行はれず、法令はふれい行はれざる時は、悪行あくかう至いたらざる処ところなし、何なにを以て之これを導みちびかん、爰ここに到いたりては法令はふれいも教諭けうゆも皆みな益えきなきなり、
2022年06月15日
5. 遠江国報徳社 本社及び町村支社社員数及び資産社 名所在地社員数土台金善種金各種積立金計米穀 人円 円 円 円 遠江国報徳本社 8231,696、21283,437、47512,714、18997,847、876 町村社 石 東萩間報徳社榛原郡萩間村30124、658539、41377、056741、12725、300
2022年6月15日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【七】先生辻門井二邑の里正を教諭す その7祖先以来(そせんいらい)受(う)くる所(ところ)の大(だい)恩(おん)を顧(かへり)みて之(これ)を報(ほう)ぜんとするの心(こゝろ)なく、薪(たきゞ)を抱(いだ)きて火(ひ)に向(むか)ひ、火(ひ)の滅(めつ)するを求(もと)めるが如(ごと)し。早(はや)く抱(いだ)く所(ところ)の薪(たきゞ)を火中(くわちゆう)に投(とう)ぜば、薪(たきゞ)尽(つき)て火(ひ)燃(もゆ)る所(ところ)なく、君(きみ)の求(もと)め止(や)まん事(こと)何(なん)の疑(うたが)ひかあらん。是(こ)の故(ゆゑ)に家財(かざい)田圃(でんぼ)一物(もつ)をも残(のこ)さず、君(きみ)に奉(ほう)じて其(そ)の不足(ふそく)を補(おぎな)ふべし。然(しか)れども君(きみ)の所行(しよぎやう)を怨(うら)むるの心(こころ)ありて之(これ)を出(いだ)す時(とき)は、是(これ)誠心(せいしん)の行(おこなひ)に非(あら)ず。従来(じゆうらい)の報恩(ほうおん)を主(しゆ)とし、君家(くんか)の為(た)め而己(のみ)に計(はか)り、所有(しよいう)の田圃(でんぼ)、家屋(かをく)、器財(きざい)悉(ことごと)く之(これ)を鬻(ひさ)ぐに、其(そ)の価(あたひ)卑(ひく)き時(とき)は君(きみ)の益(えき)少(すく)なく、価(あたひ)高(たか)き時(とき)は君(きみ)の益(えき)多(おほ)し。故(ゆゑ)に心(こころ)を尽(つく)し、高(かう)価(か)に鬻(ひさ)ぐ可(べ)し。是(こ)れ主家(しゆか)の衰(おとろ)ふる時(とき)に当(あた)り、正(まさ)に臣民(しんみん)の行(おこな)ふべき常道(じやうだう)なり。家(いへ)の存亡(そんぼう)必(かなら)ず自然(しぜん)の数(すう)ありて逃(のが)るべからず。汝(なんぢ)等(ら)の家(いへ)亡(ほろ)ぶる時(とき)至(いた)れり。然(しか)れば仮令(たとひ)道理(だうり)を知(し)らず、知計(ちけい)を以(もつ)て一旦(たん)君(きみ)の求(もとめ)を免(まぬが)れたりと雖(いへど)も、子孫(しそん)無頼(ぶらい)の者(もの)出(い)づるに及(およ)びて必(かなら)ず家(いへ)を失(うしな)ふべし。子孫(しそん)無頼(ぶらい)の為(ため)に失(うしな)はんよりは君(きみ)の艱難(かんなん)の一助(じよ)となし、良民(りやうみん)報恩(ほうおん)の道(みち)を行(おこな)ふ可(べ)し。苟(いやしく)も是(こ)の如(ごと)くならば神明(しんめい)も之(これ)を感(かん)じ、人(ひと)之(これ)を憐(あはれ)み、後(のち)必(かなら)ず廃家(はいか)再興(さいこう)の時(とき)至(いた)らん。是(これ)亦(また)自然(しぜん)の理(ことはり)なり。若(も)し此(こ)の善行(ぜんかう)を為(な)さずして自亡(じぼう)を待(ま)つは、君(きみ)と財(ざい)を争(あらそ)ひ、家(いへ)を亡(ほろ)ぼし、恩(おん)を知(し)らざる無道(むだう)のものとなり、君(きみ)も亦(また)下民(かみん)を虐(ぎやく)するの汚名(をめい)を顕(あらは)すに至(いた)る可(べ)し。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町「朝起きられない」の原因は副腎疲労の可能性が エナジードリンクは逆効果?6/4(土)朝起きられないのは「副腎疲労」によるものである可能性がある。「ナチュラルアートクリニック(東京・四ツ谷)」御川安仁(みかわやすひと)院長 副腎疲労とは、1998年に米国のジェームズ・L・ウィルソン博士によって提唱された概念です。文字通り、副腎の機能が低下して、さまざまな弊害が起こり、そのために慢性的に疲労が続く症状を指します。つまり、副腎の機能を正常化させれば、その疲労は改善することが期待できるわけです。 いわゆる疲れ、急性的な疲労であれば1日、長くても2、3日休息をとれば回復するものですが、慢性的な副腎疲労は、いくら寝ても疲れが取れないのが特徴です。 家事ができなくなり、立っているだけでも大仕事という方もいます。なかには、シャンプーをするために手を上げていることすら辛いという方もいる。こうしたどうしようもない疲れが続く時は、副腎疲労を疑ってみるべきだと思います。 副腎は、腎臓の上にあり、副腎皮質と副腎髄質からなる小さな臓器ですが、その小ささからは想像できないほど大きな役割を果たしています。大雑把に言えば、体の内部環境を一定に保つ機能である「ホメオスタシス(生体恒常性)」を維持するために、重要なホルモンを分泌している臓器が副腎です。 副腎はさまざまなホルモンを分泌しますが、代表的なものとしてコルチゾールが挙げられます。副腎皮質から分泌されるこのホルモンは「元気の素」とも呼ばれ、代謝促進や体内の炎症を抑える作用があります。副腎疲労になると、コルチゾールをはじめとしたホルモンが必要な時に分泌できなくなったり、逆に要らない時に過剰に分泌されてしまったりと、種々の不調をきたすことになるのです。 コルチゾールは、脳のエネルギー源である糖の新生を促したり、あるいは抗炎症作用を持っていることで「元気の素」の役割を担っているわけですが、健康な方の場合、朝に最も多く分泌され、夜になるにつれて分泌量が少なくなっていきます。つまり、コルチゾールの分泌によって、人間は朝目覚めた時に一番元気で、夜に向かって休息・睡眠に入る態勢をとることができているのです。しかし、副腎疲労になると、このコルチゾールの分泌がうまくいかなくなってしまいます。副腎疲労の症状で最も多いのが、朝起きられないというものであり、また、多くの患者さんが不眠や睡眠の質の低さに悩んでいます。朝にたくさん分泌されるはずのコルチゾールが分泌されず、眠る準備を始めなければならない夜に過剰に分泌されるのだから当然です。 朝起きられず、昼はエネルギー不足で、夕方からはコルチゾール値が徐々に上がって元気になる。そして夜はコルチゾール値が高すぎて眠れない。つまり、夕方以降は元気に見えるのに、朝は異常に疲れている。副腎疲労のその他の症状としては、アレルギー症状が挙げられます。紹介したようにコルチゾールには抗炎症作用があり、体内で分泌されるステロイドでもあります。そのため、コルチゾールの分泌量が減ると、アレルギーの炎症を抑えることができなくなるケースがある。 また、それほど好きではなかったのに、甘い物や塩辛い物を好むようになるケースもよく見られます。血糖値を維持して何とかエネルギーを確保しようと体が反応するため甘い物を欲しがるようになる。さらに、コルチゾールは体内の塩分を調節する機能も持っています。そのためコルチゾール値が低下すると、体内の塩分が足りなくなり、体の外から塩分を摂取しようと体が反応するのです。 そして最も恐ろしい症状が脳の萎縮です。コルチゾールの大量分泌が続くと、骨や筋肉の分解が進み、ひいては記憶を司る海馬の萎縮をもたらし、記憶力の低下を招く。疲れは取れても、記憶力がなかなか回復しないという患者さんもいるほどです。日焼け対策をし過ぎないことも重要です。副腎疲労対策として欠かせない栄養素のひとつとして、ビタミンDが挙げられます。免疫や炎症を調整するビタミンDが不足すると、腸などの炎症が悪化し、やはりコルチゾールが大量分泌され副腎疲労を招くのです。 一定の日光浴時間を確保しないと、必要な量のビタミンDが生成されないことが、国立環境研究所の研究によって明らかになっています。💛最近、妻がおなかがしばらく痛んだことから、夜、寝る前に足の裏を棒で押してあげている。上記記事にあるように、副腎のゾーンは今回よく押している。「押してもらうと寝つきがいいみたい」「昨日は押してくれなかったから、あまり眠れなかった」などと言われると、じゃあ、押してやろうかとなる。副腎のゾーンをよく押して、散歩によく連れだして・・・かな(^^)💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください
二宮翁夜話巻の5【39】伊藤発身(はつみ)曰く、翁(をう)の疾(やまひ)重(おも)れり、門人左右にあり、翁曰く、予が死近きにあるべし、予を葬るに分(ぶん)を越ゆる事勿(なか)れ、墓石(はかいし)を立つる事勿れ、碑(ひ)を立つる事勿(なか)れ、只(ただ)土を盛り上げて其(そ)の傍(かたはら)に松か杉を一本植ゑ置けば、夫(それ)にてよろし、必ず予が言に違ふ事勿(なか)れと、忌明(きあ)けに及んで遺言(ゆゐごん)に随(したが)ふべしと云ふあり、又遺言(ゆゐごん)ありといへどもかゝる事は弟子の忍びざる処(ところ)なれば、分に応じて石を立つべしと言ふあり、議論区々(まちまち)なりき、終(つひ)に石を建てしは、未亡人の意を賛成する者の多きに随(したが)へるなり。【39】伊藤発身が言った。尊徳先生の病気が重くなった。門人が左右にあった。尊徳先生がおっしゃった。私の死期も近いことであろう。私を葬むるのに分を越えてはならない。墓石を立ててはならない、碑を立ててはならない、ただ土を盛り上げてその傍らに松か杉を一本植えて置けば、それだけでよろしい。必ず私の遺言に違ってはならない、と。忌が明けるに及んで遺言に随うべきだという者があり、また遺言があったとしてもこのようなことは弟子として忍びないところであるから、分に応じて墓石を立てるべきだとと言う者があり、議論がまちまちであった。ついに墓石を建てたのは、未亡人の意志に賛成する者が多いのに随ったのである。・二宮神社創建のこと明治43年、新聞記者鷹野弥三郎は当時「奇人・変人」として世間で呼ばれていた俳人十湖の自伝を編集するため東奔西走していたところ、十湖が二宮尊徳の偉業をたたえるためこの神社創建にかかわったことを知った。 鷹野によれば明治五年、十湖は福山瀧助指導により遠譲社を有志者と設立し、自らが中善地村の社長となって報徳社の教えを広めた。明治15年引佐麁玉郡長時代には引佐の農業を振興するため三遠農学社を設立、自ら主幹に就任し二宮尊徳の精神を根本にして勤勉貯蓄を図り教えを広めた。さらに報徳社を各地に設立し、いっそう二宮の功績に感動し、尊敬し、十湖としては神として祀りたいと運動をはじめたのは必然であった。そしてその運動は開花し今市、小田原の2箇所に神社が創建される結果となったというのである。*報徳二宮神社には尊徳の墓がある。俳人にして農政家の松島十湖の句碑もある。 「明け安し 我もひと夜の 御墓守」 (十湖)
夜、寝ていて久しぶりに足がつった。布団の中でケアしていると、・・・・妻がなにやら起きて眠れなさそうなので「足の裏押そうか?」「うん」足もみの棒で、腎臓と副腎のゾーンを丁寧に押す。「最近、副腎疲れ(*)という言葉が流行っていて、副腎のバランスが崩れると眠れなくなったり疲れがなかなか取れにくくなるんだって。 副腎の足の裏のゾーンは深い位置にあるから、知識がないときちんと押しきらない。(**)」「あのね、奥さんの足の裏押したことありますか?」と聞いても「ハイ」という人に出会ったことはないんだよ。まして私もぜひやってみたいと人も絶無なんだよ。」などと話していたら寝息をたてて眠ってしまった。時に思う、超高齢化社会の現代、足の裏を押す技能を習得していると、夫婦共に健康保持に役立つのにと。つれあいが体調を崩したときに症状をやわらげたり、あるいは認知症発症を遅らせたりすることさえできるかもしれない。老化防止対策に有効なアイテム(武器)であると。*朝起きられないのは「副腎疲労」によるものかも 副腎疲労とは、1998年に米国のジェームズ・L・ウィルソン博士によって提唱された概念。副腎の機能が低下して、さまざまな弊害が起こり、そのために慢性的に疲労が続く症状を指す。副腎の機能を正常化させれば、その疲労は改善することが期待できる。 いわゆる疲れ、急性的な疲労であれば1日、長くても2、3日休息をとれば回復するが、慢性的な副腎疲労は、いくら寝ても疲れが取れないのが特徴。 家事ができなくなり、立っているだけでも大仕事という人もいる。なかには、シャンプーをするために手を上げていることすら辛いという人もいる。こうしたどうしようもない疲れが続く時は、副腎疲労を疑ってみるべき。 副腎は、腎臓の上にあり、副腎皮質と副腎髄質からなる小さな臓器だが、その小ささからは想像できないほど大きな役割を果たしている。体の内部環境を一定に保つ機能である「ホメオスタシス(生体恒常性)」を維持するために、重要なホルモンを分泌している臓器が副腎。 副腎はさまざまなホルモンを分泌するが、代表的なものとしてコルチゾールが挙げられる。副腎皮質から分泌されるこのホルモンは、代謝促進や体内の炎症を抑える作用がある。副腎疲労になると、コルチゾールをはじめとしたホルモンが必要な時に分泌できなくなったり、逆に要らない時に過剰に分泌されてしまったりと、種々の不調をきたす。 コルチゾールは、脳のエネルギー源である糖の新生を促したり、あるいは抗炎症作用を持っていることで「元気の素」の役割を担っているが、健康な人の場合、朝に最も多く分泌され、夜になるにつれて分泌量が少なくなる。つまり、コルチゾールの分泌によって、人間は朝目覚めた時に一番元気で、夜に向かって休息・睡眠に入る態勢をとることができている。しかし、副腎疲労になると、このコルチゾールの分泌がうまくいかなくなってしまう。 副腎疲労の症状で最も多いのが、朝起きられないというもので、また、多くの人が不眠や睡眠の質の低さに悩む。朝にたくさん分泌されるはずのコルチゾールが分泌されず、眠る準備を始めなければならない夜に過剰に分泌されるのだから当然。 朝起きられず、昼はエネルギー不足で、夕方からはコルチゾール値が徐々に上がって元気になる。そして夜はコルチゾール値が高すぎて眠れない。つまり、夕方以降は元気に見えるのに、朝は異常に疲れている。 副腎疲労のその他の症状としては、アレルギー症状が挙げられます。紹介したようにコルチゾールには抗炎症作用があり、体内で分泌されるステロイドでもある。そのため、コルチゾールの分泌量が減ると、アレルギーの炎症を抑えることができなくなるケースがある。 また、それほど好きではなかったのに、甘い物や塩辛い物を好むようになるケースもよく見られる。血糖値を維持して何とかエネルギーを確保しようと体が反応するため甘い物を欲しがるようになる。さらに、コルチゾールは体内の塩分を調節する機能も持っている。そのためコルチゾール値が低下すると、体内の塩分が足りなくなり、体の外から塩分を摂取しようと体が反応する。 そして最も恐ろしい症状が脳の萎縮。コルチゾールの大量分泌が続くと、骨や筋肉の分解が進み、ひいては記憶を司る海馬の萎縮をもたらし、記憶力の低下を招く。疲れは取れても、記憶力がなかなか回復しないという人もいる。 日焼け対策をし過ぎないことも重要です。副腎疲労対策として欠かせない栄養素のひとつとして、ビタミンDが挙げられる。免疫や炎症を調整するビタミンDが不足すると、腸などの炎症が悪化し、やはりコルチゾールが大量分泌され副腎疲労を招く。 一定の日光浴時間を確保しないと、必要な量のビタミンDが生成されないことが、国立環境研究所の研究によって明らかになっている。**若石健康按摩法p.58-60 副腎の反射区 副腎の反射区はちょうど腎臓反射区の真上にある。 この反射区は大変深い所にあるので、よほど力をいれないと感じない。
2022年06月14日
2022年6月14日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【七】先生辻門井二邑の里正を教諭す その6故(ゆゑ)に忠臣(ちゆうしん)良民(りやうみん)は君(きみ)の艱難(かんなん)に当(あた)りては、身命(しんめい)を抛(なげう)ち其(そ)の憂(うれひ)を除(のぞ)き、祖先(そせん)歴代(れきだい)の高恩(かうおん)に報(むく)いんとす。力(ちから)足(た)らざれば死(し)して后(のち)止む。米粟(べいぞく)家財(かざい)何(なん)ぞ言(い)ふに足(た)らん。今(いま)君(きみ)恵憐(けいれん)の心(こころ)薄(うす)く多欲(たよく)にして貪(むさぼ)るといへども、其(そ)の采邑(さいいふ)に求(もと)むるのみ、故(ゆゑ)に采邑(さいいふ)の物(もの)を取(とり)尽(つく)すに及(およ)びては、其(そ)の求(もと)め必(かなら)ず止(や)まん事(こと)薪(たきゞ)尽(つき)て火(ひ)の滅(めつ)するが如(ごと)し。汝(なんぢ)等(ら)時運(じうん)を知(し)らず、又(また)祖先以来(そせんいらい)受(う)くる所(ところ)の大(だい)恩(おん)を顧(かへり)みて之(これ)を報(ほう)ぜんとするの心(こゝろ)なく、薪(たきゞ)を抱(いだ)きて火(ひ)に向(むか)ひ、火(ひ)の滅(めつ)するを求(もと)めるが如(ごと)し。早(はや)く抱(いだ)く所(ところ)の薪(たきゞ)を火中(くわちゆう)に投(とう)ぜば、薪(たきゞ)尽(つき)て火(ひ)燃(もゆ)る所(ところ)なく、君(きみ)の求(もと)め止(や)まん事(こと)何(なん)の疑(うたが)ひかあらん。是(こ)の故(ゆゑ)に家財(かざい)田圃(でんぼ)一物(もつ)をも残(のこ)さず、君(きみ)に奉(ほう)じて其(そ)の不足(ふそく)を補(おぎな)ふべし。然(しか)れども君(きみ)の所行(しよぎやう)を怨(うら)むるの心(こころ)ありて之(これ)を出(いだ)す時(とき)は、是(これ)誠心(せいしん)の行(おこなひ)に非(あら)ず。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください💛鈴木鉄工部の起こり「藤三郎は北海道から東京へ帰ると、すぐ主要な部分に自分の考案を加えた設計をし、建築に着手し、くふうした機械もすえつけ、6月に試験的な精製糖工場を建設した。それから実験に従事して、ついに多年願望の純白な精製糖を造ることができた。 純白な精製糖は得られるようになったが、歩留まりが悪くて、製品の数量が少ない。実験としてはよいが、事業としては収支が償わない。新たな工夫を凝らしてみるが、満足するような結果は得られなかった。藤三郎は考えた。化学的変化では、改良の余地がないまでに研究し尽した。歩留まりが悪く、結果が思わしくないのは、機械に欠点があるに違いない。機械の改良をやることにしよう。(略)今まで通り、全く他に任せるなら、無限の資力がある訳ではないから、途中で研究中止の境遇に陥らないとも限らない。この危険を防止する最良の策は、機械の製作を自分の手ですることだ。これからの工業は機械力にまつこと絶大だ。将来のためにも、これは必要であると考えた。藤三郎は、そこで、ランキンの機械学の翻訳本を手に入れて、それを座右において独学し、また工学専門の学者を訪ねて教えをこい、しばらくそれに全力を傾注した。そして、半年経たないうちに、鉄工業に関するひと通りの知識を修めたので、明治24年(1891)早々から、宅地の一隅に小鉄工所を設けて、最初は5人の職工を使って、自分が技師となって、機械の製作を始めた。これが鈴木鉄工部の起こりである。この鈴木鉄工部を経済的に維持するために、金庫や精穀機を製作して売り出したりもした。この鉄工部ができてからは、新たにくふうした機械の製作も自由にやれるようになったので、藤三郎の研究は一段と飛躍的な進歩をした。そして、明治24年(1891)4月ごろには、自分でも満足するような砂糖精製機械を完成することができた。その製品も市場の好評をはくし、藤三郎の年来の希望は、ようやく達せられた。鈴木鉄工部は明治24年(1891)に、わずか3千円の資本で創立された当時は、3間に長屋風の建物に、機械としては、鍛冶道具に小形な旋盤と2馬力のエンジンを備えたばかりでした。藤三郎は約20年、配当を取らず、利益があればこれを事業に投じたので、年々発展して、敷地3千5百坪、従業員4百人を抱えた、東京でも屈指の大鉄工所になった。藤三郎はこの鉄工部に鈴木発明部を設けた。」「鈴木鉄工所には2つの部門があった。一つは鈴木発明部といい、文字どおり発明に関する仕事をやるわけだが、主な仕事は設計をすることだった。もう一つが鈴木工作部で、これは機械をつくる部門で、発明部が設計したものを、ここで機械にするわけだ。この2つの部門を総称して「鈴木鉄工所」と呼んでいたが、社長鈴木藤三郎さんは、無類の発明家であり、当時の実業界でも、異色の大人物だった。初任給は50円くらいだった。いきなり技師長の肩書きをもらって入社したのだから、異例の待遇だったといえよう。「若い技師長さん」の私は、年配者にまじって一生懸命だった。 私は鈴木社長のもとで、足かけ5年、エンジニアとして勉強させてもらい、大きな設計や仕事をやらせてもらった。だが、それにもまして私に大きな影響を与えたのは、氏の信奉する報徳精神だった。報徳精神とは、二宮尊徳の報徳の教えより出ているもので、一口にいうと「人間は朝から晩まで働き、生まれて死ぬまで働きつくすものなり」というのが根本精神になっている。いいかえれば、「社会は年とともに発展、向上していかなければならない。そのためには、われわれが、後世に蓄積を残さなければならない。われわれがこの世の中に生活していくためには、みずからたいへんな消費をする。その消費を償って、なおかつプラスのものを、後世に残していかなければならない。だから朝から晩まで働かなければならないのだ」という論旨から成り立っている。私に大きな影響を与えたのは、氏の信奉する報徳精神だった。その精神は、鈴木さんの薫陶を受けた私の処世訓ともなっている。はっきりいえることは、鈴木社長に教えられた『人のために働く』という報徳精神を実践し、がんばってきたということだった。」(「熱と誠」荏原製作所創業者畠山一清)2009年12月25日付の利先生のメールでは鈴木藤三郎が工場敷地を決めたことや、社長が直接、現場で直接機械の操作を教え、機械の修理をしたことを指摘されています。藤三郎は鈴木鉄工部の精神、自ら修理し工夫改善によって性能を向上させるという人材教育を台湾製糖にもそのまま移植したのです。「普通トップの座にいる社長は、現場などで直接仕事の操作をしたり工員に教えることは滅多にありません。世界ひろしとはいえどもただ鈴木藤三郎一人だと思います。この橋仔頭の工場の敷地も彼が決めたのです。工場を建てるにはまず水源がなければなりません、そして人里を少し離れなくてはなりません。彼はすべてを計算に入れていました。彼は機械の操作を現場の人に教えながら工場の機械をなおしていきました。支配人の山本は農業の方なので、工場は全然白紙でした。私は戦後になってから製糖所に入社しました。台湾にある製糖所36箇所全体を見て回りましたので、多くの大型機械を見ました。そのため橋仔頭第一工場の機械つまり藤三郎が選んだ(設計した)機械はみな玩具のように見えましたが、この素晴らしい機械は、その後湾裡製糖所に移され長年使用されてきました。 利純英」遠州の報徳運動の特色の一つは、安居院庄七が報徳と共に伝えた関西の先進的な農業技術(定規植え等)にあります。遠州の報徳社では報徳の研究とともに農業技術の改善普及を行いました。それは農作物の収量の増加に繋がっていて、報徳人は熱心に学びました。おそらくそうした中から発明者や生産技術を常に工夫改善してやまないという人間が育っていったのではないでしょうか。それが現代でもトヨタのカイゼンやホンダの技術重視といった社風に繋がっているようにも思われるのです。藤三郎も発明や工夫改善をしてやまない遠州の報徳運動から生まれたのです。
素晴らしすぎて思わず声出た『プレバト』本気やべぇ「感動で口が開けっぱなしになった」「見直した」こがけんが6月9日、『プレバト!!』(TBS系)に出演。視聴者も息を呑む才能を発揮し、話題に。「水彩画」部門には、こがけん、『7MEN侍』中村嶺亜、新山千春、藤真利子らが挑戦。こがけんは「今回は絶対に1位!」と意気込んだ。29時間かけたというこがけんの査定結果は、30点中30点と見事満点を獲得。審査員の野村重存は「すごい力作。ここまで描ける人は中々いない。見事です」と、木々の描き方や池の反射などの描写をベタ褒めした。結果は、1位がこがけん、2位が中村、3位が藤、最下位は新山となった。
これぞサイエンス? 邪馬台国の場所は「日食」で特定できるか6/10(金)新潟県の糸魚川では、フォッサマグナという世界でも独特の地形によって、古来より多くの翡翠が生成され、世界最古の翡翠加工を実現していましたが、その後、翡翠人気の衰退によって忘れ去られていました。 遺跡からときどき翡翠が発掘されると一部の人は「日本にも産地があるのでは?」と考えましたが、証拠が見つからず、昭和初期まではミャンマーが世界で唯一の翡翠の産地と考えられていました。 しかし神話の世界に目を向けてみると、大きなヒントが隠れていました。日本神話では、「越の国」(北陸地方一帯)を治めていた「奴奈川姫(ぬなかわひめ)」という神がいたとされています。 『古事記』『出雲風土記』などで日本国をつくった神として記されている、大国主命(おおくにぬしのみこと)の妻とされる神です。そして奴奈川姫は、このあたり一帯を支配する、翡翠の加工をしていた一族の首長であったとも記されているのです。 糸魚川市を流れる姫川(これも奴奈川姫にちなんだ名前です)から海に注ぐ海岸には、奴奈川姫の銅像が立っていて、その首には翡翠の勾玉でできた首飾りがかけられています。奴奈川姫は巫女(みこ)であったとされ、卑弥呼を彷彿させます。 この神話を知った糸魚川出身の詩人・歌人の相馬御風(そうま・ぎょふう)は、1938年、「越の国の翡翠はきっとこの山奥(糸魚川)のどこかにある」と思い立ち、友人知人の協力を得て、糸魚川流域で翡翠探しを開始しました。そしてついに、小滝川にそそぐ土倉沢の滝壺で美しい緑色の石が発見され、東北大学理学部岩石鉱物鉱床学教室で鑑定したところ、翡翠であることが判明したのです。
2022年06月13日
2022年6月13日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【七】先生辻門井二邑の里正を教諭す その5且(か)つ万物(ばんぶつ)皆(みな)悉(ことごと)く盛衰(せいすゐ)あり。天地間(てんちかん)森羅万象(しんらばんしやう)限(かぎ)りなしと雖(いへど)も、一物(ぶつ)も自然(しぜん)の盛衰(せいすゐ)存亡(ぞんぼう)を免(まぬが)るゝものなし。国(くに)に盛衰(せいすゐ)あり、家(いへ)に盛衰(せいすゐ)あり、人(ひと)に盛衰(せいすゐ)あり、是(この)故(ゆゑ)に盛(さか)んなるものは必(かなら)ず衰(おとろ)へ、存(ぞん)ずるのは必(かなら)ず亡(ぼう)し、生(せい)あるものは必(かなら)ず死(し)す。是(こ)れ天地(てんち)自然(しぜん)の道(みち)なり。然(しか)らば則(すなはち)、汝(なんぢ)の君家(くんか)何(なん)ぞ独(ひと)り盛衰(せいすゐ)なき事(こと)を得(え)ん。汝(なんぢ)の邑(むら)のみ何(なん)ぞ盛衰(せいすゐ)なからん。汝(なんぢ)の家(いへ)而己(のみ)何(なに)を以(もつ)て盛衰(せいすゐ)を免(まぬが)れんや。汝(なんぢ)の君家(くんか)以前(いぜん)必(かなら)ず盛(さかん)ならん。故(ゆゑ)に今(いま)衰(おとろ)ふべきの時運(じうん)至(いた)り用度(ようど)足(た)らず、是(こゝ)の故(ゆゑ)に已(や)むを得(え)ず采邑(さいいふ)に取(と)りて以(もつ)て不(ふ)足(そく)を補(おぎな)ふ。地頭(ぢとう)の盛(さか)んなる時(とき)は采邑(さいいふ)も亦(また)盛(さか)んなり。地頭(ぢとう)衰(おとろ)ふる時(とき)は邑(むら)も亦(また)衰(おとろ)ふ。君(きみ)富(と)む時(とき)は恩沢(おんたく)下(しも)に及(およ)び、君(きみ)窮(きゆう)する時(とき)は下(しも)其(そ)の憂(うれひ)を受(う)くるもの猶(なほ)枝葉(しえふ)枯槁(こかう)して根(ね)も亦(また)朽(くつ)るが如(ごと)し。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください💛人が70代に入ってガクッと衰弱する理由」に画期的な新説6/2(木)英ケンブリッジの研究者らが発見したのは、高齢期の血液組成に「とてつもない」変化を促すあるプロセスで、これがさまざまな血液がんや貧血のリスクを高め、感染とたたかう白血球の効力を損なわせるという。同様の変化が肌から脳に至るまで身体中の器官で起こると科学者らは考えており、これが何十年も健康に年を重ねてきたのに70代、80代に入って急速に衰弱する人が多い理由を立証するものになるかもしれないと見ている。この研究論文の首席執筆者で、ケンブリッジにある「サンガー研究所」でがん・老化・体細胞変異の研究プログラムを統率するピーター・キャンベル博士は言う。「今回の研究で面白いのは、共通して作動する一連のプロセスがあるかもしれないということです。最終的な目標はこの老化プロセスを遅くするか、そこに介入することでしょうが、少なくとも、このプロセスを調べて生物学的年齢を測定するという選択肢はひとつあると見ています」今回の最新の研究は高齢期に入るとのし上がってくる「わがままな」細胞が原因だとしている。キャンベルらはケンブリッジ大学の幹細胞の研究者らと共同で、新生児から70代、80代まであらゆる年齢層の人の血液細胞(血球)を調べた。そこでわかったのは、65歳以下の成人が、骨髄にある2万~20万種にも上る多様な幹細胞の集団によってつくられたさまざまな赤血球と白血球を持っているということだ。65歳以上では、状況ががらりと変わっていた。血球の約半分がたった10~20の異なる幹細胞からのもので、血球の多様性は劇的に減り、それが健康にもさまざまに影響していたのだ。研究者らは英科学誌「ネイチャー」に発表したこの論文のなかで、血をつくることに関わる幹細胞は時間と共に変異を積み重ねるが、そうした変化のほとんどは無害だと説明している。だが問題が起きるのは、まれな「ドライバー」変異が幹細胞を速く増殖させるときだ。その代償として、質の低い血球がつくられることがよくあるのだ。30代や40代の人の場合、異常な幹細胞の増殖が促進されてもどうということはないが、70歳以上だと、こうした速く増殖する細胞が血球生成を支配するようになる。「この指数関数的な増殖から、なぜ70歳を過ぎると弱さがこんなに急変するのか、なぜこの年齢くらいで老化に襲われるのか説明がつきます」「ほかの器官系についてもわかっているのは、同じ所見が当てはまるということです」研究者らは皮膚に起こる同じプロセスを探して、なぜ老化によりしわができ、傷の治りが遅くなるのかを理解しようとしている。エリサ・ローレンティ博士だ。「こうした要因が、老化にまつわる血液幹細胞の減少も前倒しすると予測しています。このプロセスを遅くする要因があることも考えられます。新しく発見されたこの変異が、高齢者の血液の働きにどう影響するかを解明するのはワクワクする仕事です。どう病気のリスクを最小化し、健康な老化を促進できるか学べるわけですから」💛インド人は何世紀にも及ぶ経験の積み重ねで、多くのスパイスを使ったいわゆるカレー料理を発明したのではなかろうか?そして日本人がこれほどカレーが好物なのもあるいは潜在意識でその効能を体が感じ欲するのではあるまいか、かとひそかに思っていて、現在その成分の一つ、ターメリックを毎食、白ごはんにかける市販のカレーふりかけにちょい足ししたり、弁当に入れる蓮根にまぶしたりしている(^^) 65歳過ぎに「老化プロセス」(しみ・乾燥肌)「老化によりしわができ、傷の治りが遅くなる」ことを痛感しており、「老化プロセス」の進行を抑制する食材、運動があるのか、自分の体で実験し検証している。 運動においてはO脚などの骨格のゆがみを矯正することが大事で、この3月右ひざが痛んで一時足をひきずるようだったが、足の骨格の矯正で完治した。衰える筋肉をトレーニングで回復するスロースクワット、片足立ちなどの筋トレ・バランス運動などが大事なようだ。 食材においてもキャベツ、ブロッコリーやニンジン、トマト、アドカドは毎日、弁当にいれて食していて、最近ヨーグルトに乾燥果実類をいれて食後デザートして楽しんでいる。 ターメリックの効能と害について厚生労働省『「統合医療」に係る 情報発信等推進事業』では「ウコンや従来から配合されているクルクミン製品を経口(口から)摂取または皮膚に塗布しても、推奨されている量であれば、おそらく安全であると考えられます。」としている。 カサカサの肌が少しうるおいを取り戻してきたような、そうであればいいな(^^)★1 (遠州地方の報徳運動について)「事蹟」に紹介されている報徳社は、1遠江国報徳社、2駿河東報徳社、3報徳遠譲社、4報本社、5静岡報徳社、6駿河西報徳社、7法多報徳社、8報徳積善社、9相川報徳社、10勧農報徳社、11江留報徳社、12多田報徳社、13永安報徳社、14御厨報徳社、15稲取村農家共同救護社、16上河津農家共同救護社、17共救社、18救済社、19 掛川農学社の19社である。遠州地方に限ると、遠江国報徳社、報徳遠譲社、報本社が並立していた。遠江国報徳社は本部を浜松町に置き、見付町と掛川町に支部を置いていた。一八四七年に安居院庄七が浜松の下石田村の神谷与平治に報徳の教えを説き、初めて遠州に報徳社が設立された。その後、毎年一回遠江各地で報徳大会を開いて、結社の数が増加した。そこで各社を統轄する必要が生じ、明治八年遠江国報徳本社を浜松町に設置した。岡田佐平治が社長で、伊藤七郎平、小野江善六、新村里三郎、名倉太郎馬、神谷喜源治等が幹事だった。岡田佐平治の子の良一郎が社長となり、見付町と掛川町に分館を置いた。日本精製糖株式会社が、「事蹟」の「殖産興業」の部で紹介されている。「東京小名木川日本精製糖会社は遠江国報徳社員鈴木藤三郎の創立で資本金二百万円を有し、日本第一の精糖所とする。その特殊の発明は純白なる氷糖である。始め藤三郎は薄資の菓子商であったが、報徳社に加入して商業の真理を悟り、いわゆる元値商いの法によって漸次商業の繁盛を来し、かたわら氷糖製造の研究に専念した。時に野州今市に二宮尊徳の法会があった。墓参のためおもむいた。帰途宇都宮の旅舎において隣室に宿泊した時に、学生の化学談を聞いて悟る所があった。これにより純白透明の氷糖を製造することができた。これより工場を改造し大いに事業を拡張し、後、東京に移住して遂に今日の大成をなすに至った。藤三郎は氷糖製造を以て二宮神霊のたまものとし、厚く報徳の道を信じ、毎月一回報徳会を小名木川の自宅に開き、工場の役員を始めとし職工等を集めて報徳談を行い、勤倹貯蓄を奨励し、兼ねて恩恵を職工に施したので工場制度自からその間に行われる。藤三郎は現在同会社の専務取締役である。資産は数万円に及ぶ。同志者吉川長三郎がまた同社の取締として藤三郎と心をあわせ共に力を尽している。これもまた遠江国報徳社員である。」 明治十五年見付町第二館において有志者で常会とは別に報徳学研究会を設け、報徳の原理を究め、実践の方法を講じた。また掛川町第三館では毎月一回第三日曜日を定会とし岡田良一郎を会長とした。会員は四〇余名であった。明治三五年五月大日本報徳学友社を創立し、岡田良一郎を会長とし、駿河東報徳社長の西ヶ谷可吉を副会長、山田猪太郎を編纂委員とし、毎月一回会報を発行した。 報徳遠譲社は遠江国磐田郡三川村に本社を置いた。明治四年八月福山瀧助の指導により結社し、すべて無利息貸付とするところに特徴があった。 報本社は遠江国周智郡森町に本社を置いた。森町の新村里助(豊作)らが安居院庄七の指導で結社した森町報徳社がその始めである。森町報徳社は、明治五年福山瀧助が遠譲社を組織したとき遠譲社に入社したが、明治八年岡田佐平治が遠江国報徳社を結成した時にまたこれに入社した。明治一七年岡田良一郎が遠江国報徳社の無利息扱いを全廃するときに、新村里三郎が役員だったがこれに反対した。明治二八年遠江国報徳社が無利息金の全廃を決行したため、新村里三郎は同社を退いて報本社を組織した。鈴木藤三郎について「事蹟」の「報本社」の「殖産興業」に紹介されている。「東京における日本精製糖会社は森町鈴木藤三郎の創立した所であるが、藤三郎は初め資力が微弱で起業するに困難であったため、新村里三郎が大変これを助けたので、その報酬として藤三郎より当該会社株の贈与があった」とある。鈴木藤三郎は明治九年一月生家に年始に行ったときに二宮尊徳の「天命十か条」を読んで、初めて報徳の教えを知った。藤三郎は、熱心に報徳の集会に参加し、諸先輩に質問し、報徳の教えを研究した。人が生きる目的は金銭や名誉ではない。人は国家、社会のために、その利益を増進する仕事を行うべきだ。過去の人が行ったことを、今の人が増進して後世の子孫に伝えて国家社会の利益を増進すべきだ。すべての人がこの目的に向かって勤労する。その個人が分担して行うのが各自の職務である。職務の間に上下尊卑の区別はない。自分の職務に専心して尽して天地の秘を明らかにするのが人生の目的である。各人が職務に全力を傾注するときは、職務の遂行に伴って利益や栄達もおのずから発達してくる。藤三郎はそう悟った。明治一〇年一月一日より藤三郎は二宮尊徳の「荒地の力で荒地を拓く」という方法を菓子製造販売業に適用したところ、五年間で売上高が一〇倍になった。藤三郎は「荒地の力で荒地を拓く」という主義はどんな事業でも応用できると確信する。藤三郎は精糖業で国家社会を利そうと志を立て、数年間研究し透明な氷砂糖製造法を発明する。氷砂糖製造工場の建設資金を森町の実業家福川泉吾から融通を受けた。また藤三郎は報徳社の「無利息貸付」を効果的に利用した。明治一八年氷砂糖第二工場新築に一八五円四〇銭、一九年経営資金に一月二五二円、四月二八八円、二一年氷砂糖工場東京移転建設資金に三二四円、二二年経営資金に三三三円、二四年鈴木鉄工部設立に三三三円の貸付を受けている。事業成績は良好で、毎年拝借後、半年から一年で返済している。鈴木藤三郎は「報徳の精神」をその事業を興す考え方の基盤とするとともに、氷砂糖、精製糖、鉄工事業の草創期は、福川泉吾の援助と森町報徳社の「無利息貸付」によって資金調達を得ていたのである。
「鎌倉殿の13人」“頼朝・大泉洋劇場”全開「あっ、そう!無用である」→再び強運→義時に弱音6/12(日) 巻狩り3日目、5月28日、夜。工藤祐経が比奈の居場所を義時から聞き出し、頼朝は「これを最後にする」と安達盛長の制止に耳を貸さない。盛長は頼朝が眠ったのを確認し、安心した。しかし、これは工藤祐経が頼朝の身代わりに横になっていたのだった。 頼朝が比奈の宿所に入ると、義時の姿。 義時「本当に来られるとは」 頼朝「わしは征夷大将軍じゃ!そばめを持つのがそんなにいけないことか」 義時「あなたというお人が分かりません。比奈殿と私を結び付けようとされたのは、ご自身ではないですか」 頼朝「政子じゃ!あれが勝手に言いだしたこと。 それにおまえ…比奈にはその気はないんだろう?」 義時「そのようなことは申しておりません! 良い方をお引き合わせくださったと思っております」 頼朝「あっ、そう!おまえとおなごを取り合うのは、もう御免じゃ!帰る!」 義時「お送りいたします」 頼朝「無用である!」 義時「お待ちください」 頼朝は比奈の宿所を飛び出したが、雨が降り始める。 しかし、これが幸いして曽我兄弟による襲撃を逃れ、代わりに工藤祐経が殺された。 頼朝は第7話でも、亀を見初めたため、亀の夫・権三と頼朝の命を狙う長狭常伴が争うことになり、命拾いしている。 頼朝は自分の身代わりとなった祐経を討った五郎を処罰。 義時「やはり、鎌倉殿は天に守られております」 頼朝「そうだろうか。確かに、こたびも命は助かった。だが、これまでとは違った。今までははっきりと、天の導きを感じた。声が聞こえた。だが昨日は、何も聞こえなかった。たまたま助かっただけじゃ。次はもうない。小四郎、わしがなすべきことは、もうこの世に残っていないのか…」