|
カテゴリ:意宇六社
神魂神社(かもすじんじゃ) 島根県松江市大庭町563
■御祭神 主祭神 伊弉冉大神
意宇六社の一社。 八年前の出雲の旅で、最も印象に残っていた神域。 大庭大宮とも称し、社伝では出雲国造の祖・天穂日命がこの地に天降り創建したとのこと。 そのとき天穂日命が乗っていたと伝わる神釜が御釜宮に祀られています。 「釜」で天降ったと聞けばUFOを連想し、一部の神秘家が喜びそうな伝承。 神社でいただいた「由緒略」によれば、 「大国主命の国譲も、出雲朝廷のもと国造として祭政を執ったのも 皆当社が中心で古代の神都」と伝えています。 その「由緒略」では北島家に残る「北島国造家沿革要録」同様、 出雲大社創建後、716年に国造が杵築に移ったと書かれています。 「裏ばなし」の方にも書きましたが、 やはり出雲大社の創建は8世紀の可能性が高いような気がします。 ただし当社は記紀、延喜式神名帳、出雲国風土記にも記載がなく 神社としての創建は中世とも言われています。
社号標と二ノ鳥居。 さすがに初参拝のときほどの感動はありませんでしたが、 この参道を歩くと大和の神社とは違う「何か」を感じます。
拝殿前から見下ろした参道。 かなり急な石段ですが、社殿に向かう緩やかな「女坂」もあります。
本殿は室町時代のもので、現存する最古の大社造で国宝。 開放的な本殿ですが、近づき難いご神気を感じます。 前述のように「由緒略」にも「出雲朝廷」という言葉があり 当地は鎌倉時代までは政治・経済・交通の要衝であったと称し 日本の礎を築いた出雲国の神都としての誇りを持っておられるのでしょう。
女神である伊弉冉大神が主祭神のため千木は内削、 そして内部も出雲大社とは左右が逆の「女造(めづくり)」なのだそうです。
本殿に向かって左側にある貴布禰稲荷両神杜(右)は 本殿と同時に建てられた記録があり国の重要文化財の指定を受けています。 境内を歩き、写真を撮ったのは本殿の左側ばかり。 めったに来られない出雲なので、 ゆっくりと参拝し境内をくまなく回るつもりでいたのに なぜか御釜宮など本殿の右側はほとんど記憶がありません。 私のような「よそ者」にとっては 何度か足を運ばなければ受け入れていただけない場所なのかも知れません。
左から武勇社、蛭子社、荒神さんのような神籬(ひもろぎ)。 奥に見える穴について、一部の方がパワースポットだとか言って話題にしています。 しかしあの穴の前で騒ぐのはおやめになった方がいいです。 また神籬は地元の方々の大切なご神事の場なので、 よそ者が能天気に近づく場所ではありません。
御朱印をいただくときに、女性のご神職にあの穴のことを尋ねると・・・
神魂神社のご神職の回答がイカしてる . お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.06.01 22:02:55
コメント(0) | コメントを書く |