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カテゴリ:神社
裳掛天満宮(もかけてんまんぐう) 岡山市東区金岡東町2-11-22 ■御祭神 菅原道真公 境内のご由緒書きより 昌泰4年(901年)1月 菅原道真公九州大宰府に左遷の途次 犬島付近にて 暴風雨に遇いこの地の観音堂に難を避ける その後 観音堂は寶琳寺となり 菅原道真公神社を鎮守として祀りあり 後岡山藩主池田光政の代 寛文年間 藩命により分離独立せしむ 菅原道真公避難の際 衣装を境内の松に掛け乾かしたるに因り 裳掛天満宮と称す . 本 殿 。 宮司が常駐していないどころか、社務所さえない境内。 少なくとも50年前からこういう状態でした。 私は子供の頃、この近くに住んでいました。 氏神さまではなかったようですが、 自宅から最も近い神社でした。 小学校の同級生たちと、この境内で缶蹴りやボール遊びをしました。 みんな「天神さん」と呼んでいました。 社殿は当時のままなのだろうと思います。 しかし境内の雰囲気は、あの頃とは全く違います。 . . 現在の境内にある2本の木。 ちゃんと確認はしていないのですが、 おそらく手前は松でもう1本は楠と思われます。 松は「御由緒」にちなんだものかも知れません。 。 。 こちらは2006年に撮った写真。 幹の太さから同じ木とは思えませんが、この木は楠のようです。 間違っていたらすみません。 私はずっと、この木は欅(ケヤキ)だと思っていました。 この木はかつてここにあった大木の子孫だと聞いていたからです。 この神社と隣の寶琳寺山門の間には、 かつて大木がそびえ立っていました。 天神さんお境内は常にその大木の「木陰」で 夏には数えきれないセミの声が、 早朝から数百メートルさきにまで響き渡っていました。 最近になって知ったことですが、 郷土史の資料によれば、かつてここにあった大木は榎(エノキ)で 樹齢は400年、高さはおよそ20メートル。 昭和の末期に枯れたと記されていました。 父からはあの大木は雷の被害を受けた後枯れたと聞いていました。 高さ20メートルがどのくらいの大木なのか想像できますでしょうか。 だいたい7階建てのビルの高さに相当するようです。 私が子供のころ(今でも周辺はあまり変わっていませんが)、 2階建てより高い建物はありませんでしたので、 その大木の存在は御神木と言うよりは、その地の主のような存在でした。 。 。 境内社は見たことのない造り。 人の手入れがないことを想定して、耐久性を考えたものでしょうか。 一部にコンクリートが使用されているようでした。 。 。 あの大木がないせいでしょうか。 境内を見ても、境内に立っても全く懐かしさが感じられませんでした。 。 「龍水御朱印帳・裏ばなし」 かつてあった大木が欅だったと思ったワケ(Comming Soon) .
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Last updated
2021.04.09 04:09:55
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