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カテゴリ:障がい者としての生活
余りにショッキングな事件で、色々な考えが浮かんできます。
ニュースで知りうる情報しか判断材料がないですが、まず第1に「障害者はいなくなってしまえばいい」との供述。 犯人自身も措置入院歴があり、心の病・障害者になっていて、彼の論理からすれば彼自身が「いなくなってしまえばいい」存在であったわけで、その点について彼はどう考えているか。 いや、そのような事は何も考えていないか。 第2点は、裁判になれば弁護側は措置入院歴、病歴があるので精神鑑定を求め、事件発生時は心神喪失状態だったとして、無罪を主張するやもしれません。 しかし、衆院議長への手紙に具体的な「作戦」が書かれていて、事件当日も凶器の用意等、計画的犯行であり十分に刑事責任は問えるというのが、一般的感情と考えます。 まさか無罪放免で、社会に戻す社会に放つ訳にはいかんでしょう。 第3点、これは今後の世間の皆さんの精神障害者への反応。 今回の事件で、この4月から施行された、障害者を差別せず合理的配慮を求める「障害者差別解消法」が、どこかにぶっ飛んでしまうのではないかと心配です。 障害者、特に精神障害者は何をするか分からない、やっぱり怖いとの偏見が、社会・世間で増大していくのではないかと大いに危惧しているところです。 以上、今回の事件について現時点での考えを書いてみました。 なお、障害の「害」の字は、一般的には「障がい」とひらがなで書くようになってますが、公的文書では害の字が使われていますので、前回と今回の書き込みはそれにならって障害と表記しました。 私め自身は害の字でも全く気にはなりませんが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年07月27日 15時53分38秒
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