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カテゴリ:つぶやき
我が叔父ジミーの事を書いたら、僕のブログにしては珍しく200人程の方が読んで下さり、図に乗るわけではないのですが、ジミーという人間が生きてた証しとなったらいいと思い、もう少し彼の事を書いてみます。
もう関係者は故人が多いのでこれで傷つく人もいないと思いますが、まずはジミーを語る為に彼の母、僕の祖母のことから話を始めます。 祖母は昭和38(1960)年に51歳か59歳で死んでいます。僕が中1の時なので51だったか59だったか定かに覚えていませんが、明治34年か遅くとも42年には生まれているはずです。 横浜生まれで十代半ばで、どんな縁があったのか富山・滑川の中村の家に養女として入りました。中村の家長は町議会議員をしていたようです。その頃は専売品であった煙草も権利を持っていたのか、煙草屋も自宅で営んでいましたから滑川の実力者だったのでしょう。 その中村家へ入った祖母は、のち分家として本家と同じ町内に置屋を開きそこを任されていました。 女将として未婚のまま、それぞれ父親の違う子供3人をもうけ、長男は父方の同じ滑川内の大きな菓子屋に跡取り息子として迎えられたようです。そして僕の母、ジミーの順ですね、この二人は祖母のもとで育てられました。 このことはずいぶん後になって、祖母もジミーも死んでから母から聞かされ、へぇーっと言うしかないですよね。 祖母はジミーを医者にしたかったらしく、多分父親が医者だったのではと思うんですが、ジミーはその意をくんで昭和医大へ入学・上京。昭和8年生まれですから僕が生まれた26年ごろの話になると思います。 しばらくはきちんと通学してたとは思いますが、天性の性格が開花したのか医大は中退し夜の街へ。 最初からかどうかは分かりませんが、「青江のママ」の店に入り、しばらくして独立。まぁゲイ趣味のあるパトロンがついたのでしょう。 今日はこの辺で・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年06月20日 19時17分23秒
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