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八丈島は御存知の通り 東京の南約290キロで 伊豆諸島南部にある火山島。
鎮西八郎為朝の伝説にちなみ 八郎島とよばれたのが地名の由来。 防風用の高い玉石垣、高床式の穀物庫(高倉)、急傾斜のかや葺き屋根、宇喜多秀家などの流人の墓石、漂流者の無縁塚など、島の歴史を物語る景観が随所に残されています。 絹、黄八丈の生産地であり また 観葉植物、球根類を主とする熱帯園芸作物栽培も盛んで フェニックス、フリージア、パイナップル、ゴム、そのほか香料植物など多彩。 牛角力、樫立踊、太鼓ばやしなどの民俗芸能や東京都文化財に指定されている島役所跡、服部屋敷、長戸路屋敷などの史跡旧跡が多いですね。 徳川幕府献上絹(黄八丈)御用船の船預かり船奉行であった服部家の屋敷跡です。服部屋敷では 郷土芸能「樫立踊り」と「八丈太鼓」を上演しています。 往時は 春秋二回の島送りの官船しかなく 流人にとっては 鬼ヶ島と思えたでしょう。 そして 剣を取り上げられた流人たちが 二本のばちに望郷の思いを託して打ち鳴らしたのが 八丈太鼓の始まりなのです。 (温泉も有りますよ) 八丈町の町花で極楽鳥花ともいいます。慶弔両用の供花を中心に使用されています。欧米では最高級の切花であり 日本でも極楽浄土への通行手形の切花として 大空へ翔く鳥の如き花として多用されております。 この島はダイビングのため 何度も訪れましたが 滞在中 台風のため 船、飛行機ともに数日間 欠航。民宿代も底をつき 兄に送金して貰った事も有ります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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