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2010.04.07
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カテゴリ:カテゴリ未分類
春になる頃、大叔母が亡くなった。
春休みの詩を連れて、お線香を上げに訪ねた。

「与えることで豊かになれることを教えてくれた人でしたね。すごい人だった」
なんて、大叔母の長男夫婦と話した。
彼女が与えてきた愛情に、報いた者もいれば、報いなかった者もいる。
報いなかった者に対しても恨むことをせず、その成功を喜び、これからの幸せを願っていらしたことに、感嘆すら覚えたものだった。

愛情を与えた対象が、その愛情に充分に報いなかったように見えても、それは甲斐のないことではないのだなと、ある時思い至った。
人には愛されたい欲求もあるけれど、愛したい欲求というのもあるのだと、その対象を得られたこと自体が恵みなのだと。

大叔母は多くの他人の子の面倒を見、育てた。
それを私はずっと献身、犠牲と思ってきたけれど、そうではなかったのだと、自分が40半ばでもう子どもは産めないと諦めた時、ふと気が付いた。
もう一人子どもが欲しかった、もう一度子どもを育てたい、そういう欲求があるのだと。
ただの献身、犠牲じゃなかったんだ。
愛情を注ぐこと、その対象を得られることは、大叔母にとって恵みだったに違いない。
そう思った時、救われた気持ちになった。

愛情って、多く与えられた者の勝ちみたいに、若かった頃は思ったものだったけれど。
親から愛された子の方が価値があって、愛されなかった子は値打ちのない奴、好きで生まれてきたんじゃないや、とか、生まれてごめんね、みたいに思ってしまったり。
片思いばかり繰り返す女の子は自分に自信が持てない。
恋人に振られると、存在価値を否定されたようにしか思えないし。
結婚せずにある程度年齢を重ねると、負け犬なんて言われるしね。

愛でもお金でも評価でも地位でも、求めることは、それは向上心とは呼べるだろうけれど、愛情に報いる気持ち、与える気持ちがあって、初めて豊かなのだろう。
まあそれぞれの報い方があるとは思うけれど。
求めてばかりでは、それは餓鬼、貧しさでしかない。
なんて、大叔母の死から思ったりした。






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最終更新日  2010.04.07 23:36:48
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