村上春樹氏のエルサレム賞スピーチ
"Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg." 訳: 高くて硬い壁とそれにぶつかって壊れてしまう卵があるなら、私はいつでも卵の側に立つ。村上春樹氏がエルサレム賞受賞の挨拶で言われた言葉だ。ニュースでは、この壁をイスラエル、卵をガザの市民として、「村上氏がイスラエル首相の目の前で非難した」、と伝えていた。まあなんとかっこよいこと!、村上春樹よく言った!、なんてスットコドッコイに感動して、全文を捜して読んだのだが、そしたら、違うんだよね。Bombers and tanks and rockets and white phosphorus shells are that high, solid wall. The eggs are the unarmed civilians who are crushed and burned and shot by them. 訳: 爆撃機、戦車、そしてロケット、白燐弾が、高く硬い壁です。 卵は、それらにつぶされ、焼かれ、撃たれてしまう、武器を持たない市民たちです。つまり、ガザの市民も、イスラエルの市民も卵で、イスラエル政府もハマスも壁だと、村上氏は言っているわけだ。私なりの要旨を抜き出してみた。つたない訳だけれど、御免してもらうとして。私はジョンレノンのイマジンが浮かんで来たのだけれど、どうだろう? Each of us is, more or less, an egg. Each of us is a unique, irreplaceable soul enclosed in a fragile shell. This is true of me, and it is true of each of you. And each of us, to a greater or lesser degree, is confronting a high, solid wall. The wall has a name: It is The System. The System is supposed to protect us, but sometimes it takes on a life of its own, and then it begins to kill us and cause us to kill others - coldly, efficiently, systematically. 訳:私たちはそれぞれ、多かれ少なかれ卵です。私たちはそれぞれ、壊れ易い殻に包まれた特別で取り替えようのない魂です。これは私にとっても真実であり、みなさん一人一人にとっても真実です。そして、私たちは誰も程度は違っても、高く硬い壁に直面しています。その壁には名前があります。それは、システムです。システムは私たちを守るためのものと思われていますが、時として、それ自体が生命を持って、私たちを殺し始めたり、私たちに他者を殺させたりしようとします、冷酷に、効率的に、組織的に。Each of us possesses a tangible, living soul. The System has no such thing. We must not allow The System to exploit us. We must not allow The System to take on a life of its own. The System did not make us: We made The System. 訳:私たちはそれぞれ、確かな生きた魂を備えています。 システムにはそんなものはありません。 私たちは、システムが我々を利用することを許してはいけません。 システムがそれ自体生命を持つことを許してはいけません。 システムが私たちを作ったのではないのです、私たちがシステムを作ったのです。 二ユース映像の中で、授賞式の出席者たちが、感動した面持ちで拍手をしていたことに、???だったのだ。だって、読み上げられたニュースでは村上氏はイスラエル政府を非難したってことになっているわけじゃない? そこにいる人たちは殆どイスラエル人のはずなのに、村上氏のスピーチに感動しているふうって、何で?抗議の表情じゃないのは何で?と思っていたわけで。読んで納得した。ニュースとか、マスコミとか、時にあってはならないくらい、ざっくりと、肝心なことも切り捨ててしまうものだな、知ってはいたけれど。それはそうと、私は、最近父のことを考えていて、父に問うてみたいことを日記にも書いていた。まるでその答かと思えるような、一文がこのスピーチにあったのには驚いた。村上氏のお父さまと父は、同年代で、同じ教師で、お坊さんでいらしたという、(父は牧師になろうとしたことがあった)それが↓の部分。My father died last year at the age of 90. He was a retired teacher and a part-time Buddhist priest. When he was in graduate school, he was drafted into the army and sent to fight in China. As a child born after the war, I used to see him every morning before breakfast offering up long, deeply-felt prayers at the Buddhist altar in our house. One time I asked him why he did this, and he told me he was praying for the people who had died in the war.He was praying for all the people who died, he said, both ally and enemy alike. Staring at his back as he knelt at the altar, I seemed to feel the shadow of death hovering around him.My father died, and with him he took his memories, memories that I can never know. But the presence of death that lurked about him remains in my own memory. It is one of the few things I carry on from him, and one of the most important. 訳: 私の父は昨年90歳で亡くなりました。 彼は教師を退職した後、パートタイムのお坊さんをしていました。 彼が大学院にいた時、徴兵されて中国の戦場へ送られました。 戦後生まれた子どもである私は、父が毎朝朝食の前に、家の仏壇に向かって長く深い祈りを捧げるのを見たものでした。 一度父にどうしてそんなことをするのか、尋ねたことがあります、父は戦争で死んだ人たちのために祈っていると言いました。 戦争で死んだ全ての人たちのために祈っているのだと、味方も敵も同じように。 仏壇に額ずく父の背中をじっと見ていると、父の周りを死の影が漂っているように感じました。 父は亡くなり、私の決して知ることのない父の記憶も一緒に持って行ってしまいました。 しかし父の周りに潜んでいた死の存在は、私の記憶に残っています。 それは私が父から数少ない受け継いだものの一つ、最も重要な一つです。求めれば、与えられるのだ。問いかければ、いつか答は降って来る。樹木希林さんのインタビューにも、村上春樹氏のスピーチにも私は求めていた答を見出せた。そして、それ以前に自分が考えていた自分なりの答、なんて浅はかな小さい自分なことか、と思った。そして、それが妙に嬉しかった。スピーチ全文はこちら