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カテゴリ:和服・文化・京都
仏像盗む罰当たり!! 仏像を盗む罰当たりな男の事件のあったお寺の担当者が、「仏教は性善説のもとに説かれたものだから、仏像が盗まれたといって、鍵をかけたり監視カメラを設置する事はありません」と言っていました。 本当かな、と私は疑うのです。 人が、本当に善ならば、仏を盗むという発想は起こらないのでは・・・。 人が本当に、生まれながらにして善であるならば、仏教で善の道を説く必要は無いのでは。 人は、生まれた時は無垢であり、善でも悪でも無く、善にでも悪にでもなりえるからこそ、善の道を説かざるを得ないのでは・・・。? アメリカのお寺では、ドアというドア全てに何重にも鍵がかけてあるのです。 しかし、アメリカの仏教者は病院に出向き、死期を向かえ苦しんでいる人の 精神を慰め救います。 アメリカでの仏教は、本質が違うのでしょうかね。 釈迦は、「仏教者は死にかかわってはならぬ」と説いているのです。 千二百年前に弘法大師は、『最近の坊主は、「頭剃いでも欲そがず、衣染めても心を染めず」』と言っていたのだそうです。 鈴虫の命を操作して人を集める寺もあり、何の疑いも持たず寺に赴く人もいるのですから・・・。 時代が変っても、人の本質は変らないのでしょうね。 なんともかんとも、南無・・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.03.04 12:20:46
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